宇部興産常盤工業用水【2】

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(「宇部興産常盤工業用水【1】」の続き)

国道190号を横断すると、本土手用水路はボックスカルバートでくぐってそのまま真っ直ぐ伸びていくのに対し、導水路の方は常盤公園前交差点より西側の歩道付近に現れることが分かっている。


この交差点から宇部市街へ向かい、次の市道交差点の手前歩道左側に工業用水管路敷の立て札が出ている。
最初は恐らくあの小さな木杭だけだったのだろう


夫婦池側で最後に見た鋳鉄蓋からここまでの経路がどうなっているかはよく分からない。
本土手用水路【3】」でも取り上げたマップで経路を推測してみた。


本土手用水路の経路調査で草むらが酷いため引き返したのが地点である。3番目の鋳鉄蓋もこの近辺にあった。導水路埋設を示す立て札は地点にある。
このことから、工業用水は何処かで水色の点線のように本土手用水路の下をくぐっている。

導水路の内部がどういう構造になっているのか分からない。例えば鋳鉄管なら本土手用水路の底に殆ど接する位でも問題ないだろうが、時代が古ければレンガ巻ということもあり得る。その場合、交差部分に相応な土被りがなければ水路を設置できないような気もする。
そもそも、この工業用水管路が現在も使われているかどうかも明らかではない。ただ少なくとも平成の初期までは現役で使われており、定期的にメンテナンスされていた。

ここから先は若干伝聞的な話だが、工業用水として導いている大元の常盤池にはハクチョウが放たれている。そのため工業用水の需要先である程度前処理するものの、概して水質は良くない。砂塵が流れ込むことはあまりないが、鳥の排泄物が流入するので定期的に管路内部を清掃する必要があるという。また管路自体も老朽化しているのか漏水部分の補修作業も求められた。これらは人力で行われ、国道沿いに散在する人孔から作業員が降り、這うように隧道内を進んで作業していたという。このことから管路自体は人がどうにか往来できる程度の断面の広さがあると推測される。
専属的にメンテナンスを行っていた市内の業者を知っている…ここでは割愛する

この場所は歩道より若干内側の離れた領域で、何にも利用されず空き地状態になっている。


そこから若干離れたバス停付近にも同様の空き地があり、ロープが張られている。


国道筋は人通りが多いし、敢えて中に入らずともここから分かるのでロープの外から撮影する。
空き地の中央付近に鋳鉄蓋がある。まだ周囲が整備される前から通されていたようだ。


最初に立て札があるのは歩道に沿った帯状領域で店舗などを構えるには幅が狭すぎる。しかしバス停の裏側にある部分は管路の真上だけでなく周囲も含めて社有地となっている。
国道沿いでありながら利用されず遊休地となっているのは珍しい。地被りが浅く家屋など重量のあるものを建てられないか、駐車場として賃貸利用するなどの折り合いがつかなかったのだろうか。
もっとも現在では周囲にある店舗は自前の駐車スペースで足りている

さて、ここから先はほぼ国道沿いに沿って進んでいくことになる。地表部に現れる鋳鉄蓋だけが経路の頼りであり、特筆すべき場所は多くない。
以下、ざっと駆け足的に経路を辿ってみよう。


管路は必ずしも歩道を通っているとは限らない。ここなどは明らかに店舗の駐車場の下を通っている。国道沿いにまだ何もない早期に通されたことを物語っている。


その次の鋳鉄蓋。
敷地の張コンクリートはかなり古いが、それより先にこの鋳鉄蓋があった筈だ。


ここは看板の影に隠れてしまうので振り返って撮影している。
管路の半分くらいかかる形でコンクリート基礎を伴う看板が立っている。
かなり大きな看板なのだが、導水路の埋設深さが相当あるのでこの程度の基礎が上に乗っても問題ないのだろう。


この鋳鉄蓋までの間に用水路が一瞬歩道沿いに進む区間がある。そこを過ぎてから導水路は歩道側に寄っている。


市道草江野中線との交差点手前。
昔からある雨水排水側溝を兼ねて歩道が通されており、導水路はその外側にある。
前方に電信柱があるが導水路に影響を与えることなく建てられたのだろうか…


則貞交差点付近。歩道上に移動している。
国道の線形が微妙にうねっているのに対し、管路が直線的に布設された結果だろう。


則貞交差点を過ぎると、2本連続してかなり深い用水路部分を横断することになる。
用水路は国道より3m以上低い場所を流れているにもかかわらず、管路はこの低い部分に姿を現していない。
歩道のすぐ外側に沿って走るφ300mm程度の鉄管は恐らく水道管


この場所をサイフォン構造にてあの銀管で渡されているのなら別だが、管路は少なくとも地表部から5m程度低い場所を通されている筈である。ここがどういう構造になっているのかはよく分からない。
そのことに呼応して、ここに以前から気になっていた構造が観られるのである。
写真を沢山撮って別途記事に仕立てたので詳細は以下を参照して頂きたい。
派生記事: 宇部興産常盤用水・赤岸
管理はその後別の用水路を横切り、更に歩道へ沿って進む。


このあたりから若干違うパターンが見られるようになる。この場所は鋳鉄蓋ではなく、「空気弁」と陽刻された小さめの蓋になっている。最初から空気弁だったのか人孔が改変されたのか、後から新規に造られたのかは分からない。



市道神原町草江線の自転車横断帯の接続箇所付近。
見落としていた…市道の追加写真採取の過程で見つけた


交差点を過ぎて元ガソリンスタンドだった場所の歩道上。


スーパー丸喜恩田店の入口付近。
ここも空気弁になっている。何故か歩道に対して直角方向に設置されていた。


生き証人がここに居る(?)のでせっかくの機会に語らせて頂くと、この近辺は昭和40年代後半まで国道の両側が田畑や荒れ地だった。
特に現在の歩道から左下はススキの伸びる荒れ地で、その先は一面田んぼだった。当時この場所に見られる唯一の人工物と言えば、スズランタクシーの待機所だけだった。待機所はタクシーが2台程度停められるコンクリートの箱状で、お手洗いが付属しているだけの簡素なものだった。
国道沿いだったせいかかなり早い時期に水洗化されていたと思う

上の写真で丸喜の駐車場案内板の背後に用水路が通っている。即ちここは沢になっていて、特に左側の丸喜恩田店がある辺りは国道よりもかなり低い。
この地形は昔の小字である「長沢」に遺っている
しかしこの区間は先に見た開渠部のような構造にはなっておらず、当初から地表に何の痕跡も現れない管路だった。

かつての恩田交差点の手前。
市道が斜めに交差するこの場所は現在こそ交通量が少ないが、市道神原町草江線が整備されていなかった頃までは、神原から則貞方面に向かうにも一旦ここを経由しなければならなかった。


恩田交差点を過ぎて市道宇部新川恩田線の終点より若干手前。
ここは小学時代の登下校路で、たまに人孔の周囲をキャンバス状の衝立で囲み、メンテナンス作業をやっているのを見たことがある。


この鋳鉄蓋から若干離れて空気弁が設置されていた。
前方にある細い路線は市道恩田八王子線であり、途中まで狭い一方通行になっている。昔から通り抜ける車が多く、登下校時間にはここにいわゆる「緑のおばさん」が旗を持って立っていたものだった。


恩田小学校の東門の手前。恩田に住んでいた手前、6年間この東門を出入りして通っていた。
違う門から出入りして登下校路を変えるのはいけないことになっていた
この先に地下道があるので、管路は地下道と校舎の間の歩道を通っていると思われる。


これも余談だが、かつてこの場所に陸橋があった。手軽に接近できる高い場所だったので、宇部の花火大会の折には陸橋へ上がって見物する人が結構いた。その後地下道が造られて陸橋は撤去された。
時期的な前後関係など詳しいことはよく覚えていない…地下道の後もかなり最近まで残っていた気がする

恩田小学校の西端、西門がある近く。
国道190号はこの先でJR宇部線と立体交差するために高度を上げる。


しかし工業用水は自然流下が求められるため、国道に沿って登っていくわけにはいかない。そのまま通せば、鉄道との立体交差付近では物凄く深い竪坑になってしまうだろう。
確かに管路はゆるやかな勾配を作れる場所を求めて通されていた。

(「宇部興産常盤工業用水【3】」へ続く)

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