片倉高架橋

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現地踏査日:2014/5/11
記事公開日:2014/6/20
片倉高架橋山口宇部道路に架かる最大の橋で、県道西岐波吉見線と沢波川を一跨ぎにしている。
写真は上り車線からの映像。


橋の中央部分をポイントした地図である。


山口宇部有料道路時代は自動車通行のための道として供されていたので、無料開放され県道となった現在でも自動車専用道路の橋と同等な仕様となっている。冒頭の写真で分かるように歩道は付属せず、路側帯部分も極めて狭い。

現地の撮影は、東岐波方面を踏査する過程で無料開放後自転車で初走行するときに行った。本項目は総括なので橋の下の県道から撮影した折には写真と記述を追加する。当面は自転車走破時の写真を元に解説する。

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車の交通量がきわめて多く、一枚目の写真を撮るときでさえも行き交う車が消え去るまでかなり待たされた。
県道なので自転車や歩行者が通ることに問題はないが、道路や橋の仕様が自動車専用道状態だし、多くのドライバーが自転車などの存在を想定していない。路肩であろうがぼんやりつっ立っていると危険なので、まずはガードレールの外側へ退避した。

橋の手前から撮影。
欄干は昭和中後期の橋によくみられるアルミパイプ3本掛けで相当に塗装が傷んでいる。親柱やプレートはなかった。


フェンスの外側は…すぐに県道である。アルミパイプの外側に設置されているので、自転車などが通るようになってから後付けしたようだ。
橋台は幅広に造られているので、将来的に4車線化したときのことも想定されていたらしい。
しかしこの区間が4車線になることは当分ないだろう


さて、橋を渡る。殆ど路肩がない橋上でとどまっているなんてさすがに危険極まりないので一旦サッと通過し、路肩に自転車を停めた。
この日は風が強く、停めている自転車が車道に転がり出てしまわないか心配だった。

渡り終えて反対側を撮影。


こちら側もガードレールを一跨ぎすれば橋の接続部まで接近できた。


木々があまり生えていないのですぐ真下を観ることができるのだが…


人が通るように想定されていないので柵はいっさいない。下を流れる沢波川が見える。高低差は10m以上。
転落したら重傷か悪くすれば命がないかも…


沢波川の上流側を撮影。いわゆる請川方面になる。


下流側はスーパーと病院の見える馴染みの眺めだ。


ここでガードパイプ部分に橋の銘板が設置されているのを見つけた。


実は上の写真の撮影も酷く苦労した。反対車線からのズームでは光の加減で暗くなって文字が読み取れない。鮮明に撮影するにはプレートから数メートル離れてカメラを構える必要があった。そのためには上下車線の充分離れた位置まで車が見えない状態を待たなければ危なっかしい。

プレートを近接して撮影。漢字表記のみのシンプルなプレートである。
架橋年月などはいっさい書かれていなかった。


プレートの文字も結構粗雑な感じがする。片倉であるべきなのだが、プレートの表記ではまるで庁倉のように見える。[1]「高架橋」の高の字も梯子高の異体字を使っている。
路上で立ち止まっていれば文字は読み取れる。しかし有料道路仕様の速度で走っている車だとプレートの前を通り過ぎてしまうのは一瞬だ。とても文字を読み取れないし、読もうとするドライバーも皆無だろう。

フェンスの網目にカメラのレンズを押し込んで下流側を撮影。
丸喜の広い駐車場が見える。ここで買い物した経験は何度もある。しかしこの場所から撮影するのはもちろん初めてだ。
そしてここからデジカメ写真を撮った人は私以外まず居ないだろう


現地ではここまでを撮影し、再び自転車で先へ進んだ。

橋の諸元を示すものが現地にはない。全長や高さ、竣工年月も分からない。もしかすると橋桁の側面などにプレートが設置されているかも知れない。[2]
下を通る県道西岐波吉見線から撮影した折にはこの総括に写真と記述を追加する予定である。
出典および編集追記:

1. この件についてプレート表記とは別の話として「片倉という地名も昔は庁倉だった」というコメントが得られている。特段の文献を提示することなく記憶を頼りにしたという話だった。古地図では確かに片倉が庁倉のように読み取れるものが知られており、調査を要する。「FB|2016/12/23のタイムライン」も参照。(要ログイン)

2. 橋桁や橋脚部分に施工業者名などを記したプレートが設置されていることが普通である。この場合の橋の名は施工時の仮称で実際に公称されている名前とは異なる場合がある。
常盤公園の白鳥大橋に取り付けられたプレートが常盤大橋となっている例など

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