学校外での遊び

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記事公開日:2014/3/31
ここでは、幼児期から現在に至るまで特に個人的関わりのあった屋外の遊び全般について収録する。本編は一般論としての記述のみならず居住地域や時代の習慣や自分史の一環としての記録も志向しているので、特段の必要ある場合を除いて個人的関わりの項目も分離せずそのまま本編に盛り込んでいる。当面は相載せ方式で記述し、分量が多くなってきたら本記事を総括として詳細記事へ移動しリンクで誘導する。主に学童期のものに限定されるので地域性がみられるかも知れない。 知名度が強く日本全国における普遍的な子どもの遊び(かくれんぼなど)や、個人的に遊んだ記憶が少ないものは記述していない。
《 パッチン 》
パッチンは、学童期に近所の子どもたちと遊んだカードを使うゲームの一つである。名称の由来はカードを打ち付けたときの擬音であろう。
写真はまさに当時パッチンをしていた場所。


遊び方は昭和初期からあったメンコと同等だが、私たちの学童期には既にメンコはくじ屋でも見かけず縁の薄いものとなっていた。代わりに台頭してきたのは当時絶大な人気を誇っていた仮面ライダーに付属するカードだった。このカードは後述するような要素もあるために一時は社会問題化した。[1]
パッチンに参加するメンバーは自分のカードを一枚差し出す。そして参加者全員のカードを段差のある場所の縁へ一列に並べる。ジャンケンで順番を決め、手持ちのカードを叩き付けるようにカードの列近くに投げつける。その衝撃と風圧で並べられたカードが裏返しになったならそのカードを自分のものにできる。

カードが裏返るのは運もあるが、手持ちのカードを投げつける要領も多分にあった。そのため下手な参加者はどんどん手持ちのカードを減らされることが起こり得た。持参したカードをすべて友達に取られてしまう事例もあったようで、弱い者虐めの要素が多分にあったことと当時先述のようなカード欲しさに菓子を捨てる社会現象もあったため、パッチンは学校側で厳しく禁止された。しかし後述するような理由を子どもたちも理解していたからか、禁止されたからと言って止めることはしなかったと思う。

それと言うのも少なくとも当時パッチンに参加していた子どもたちは専ら遊戯性のみを追求し、相手のカードが欲しくてたまらないといった賭博性や収集性を帯びていなかったからである。たとえば私自身は仮面ライダーカードは収集していなかったが、集めている子どもが参加する場合も相手に取られて構わないようなカードのみを持ち寄っていた。
仮面ライダースナックに付属するカードは外から見えない袋へ封入されており、開封してみないことにはどのカードが入っているか分からなかった。そのため必然的に重複するカードが増えることとなった。収集している子どもたちはお互い適宜交換していたようだがそれでも何枚か重複したり、元から集めていない子どもはパッチンへ出しても良いカードを何枚も持っておりだぶついていた。パッチンに使われるカードの中には子どもたちの間を転々としてかなり使い古されたものもあった。それは収集としてはまったく無価値だったがパッチンで遊ぶには同じ一枚の札であることに変わりはなかった。その程度の遊びであり、やがて仮面ライダースナック人気が下火になってからはパッチンも姿を消した。

余談だが兄貴は当時かなり熱烈にカードを集めていたようで、1番から確か500番台近くまであったカードのすべてを友達との交換などによりコンプリートしている。カードを収納するアルバムもあって全種類一枚ずつストックされた様子は壮観だった。このアルバムは兄貴が仕事で市外へ転出する際に自分の部屋の天袋へ置き去りにされていたと思う。現在どうなっているか不明である。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - 仮面ライダースナック|社会現象と問題」に詳しい。
《 にくどん 》
にくどんは屋外で行うタッチ系ゲームの一つで、学童期によく行われていた。参加者は少なくとも3人は必要で5〜6人が適当である。

準備として地面に次のようなエリアを描く。十字部分の幅は概ね50cm、白い正方形エリアは一辺が2m程度である。人数に応じて適宜調整する。


ライン部分が重要なので、線が描ける土の地面でなければならない。したがって遊ぶ場所は専ら広場やグラウンドなどで、体育館や路上で遊ぶことはまず有り得ない。線は近くにある木切れか、なければズックの先で適宜引く。

準備ができたらジャンケンで鬼を一人決める。参加者が多いときは鬼を2人にもできる。残り全員は子となり正方形のうちの一つに扇状のエリアを描いた中に入る。鬼は十字路のうちの中心にある正方形部分を避けた何処かの場所に立つ。それからゲーム開始となる独特な宣言を行う。
鬼:「しょうぼう」
子:「かじ」
これは些か儀礼的であり特に意味はない…意味はないと言うか今となっては分からないというのが本当のところである。恐らく「消防」「火事」に対応すると思われる[1]が、私が恩田へ越してきて町内の子どもたちに馴染んで一緒に遊び始めた頃からこの儀礼的開始宣言を耳にしていた。もっとも他地区では宣言しなかったり他の言葉を発する例があるかも知れない。

宣言後、子は右回り・左回りの好きな方向へ移動する。タッチ系のゲームに共通する事項だが移動中に鬼にタッチされてはならない。鬼は十字路エリアから出ることなく子の移動の阻止を試み、子は鬼のタッチをかいくぐりつつ鬼の十字路エリアを踏むことなく正方形エリアを移動する。タッチされたら子は鬼と交替する。

本質的には鬼のタッチを避けて何周か回るのだが、ルールの運用において亜種がいろいろ存在する。例えば扇形の陣地に左脚を着けた状態で鬼のタッチを避けて右脚のみ各正方形エリアの白地部分をちょんちょんと着くことができれば一周したことになるとか、鬼のマークか厳しいときタッチを避けてどちらか片方の脚を移動先の白地部分に着いた状態で鬼とジャンケンし勝ったらタッチされず移動できたことにするなど。体力の弱い子を助けるために手を繋いで片足タッチを試みることもある。この場合もジャンケンに勝てば自分と手を繋いでいる子も移動することができた。子の誰かがあらかじめ決められた周数をこなした時点でゲームセットとなった。

俊敏さにより優劣が生じやすいので、低学年の児童などはある一定回数までの失敗はなかったこととして認める参加者全員による暗黙の合意が設定されやすいゲームでもある。このルールを適用する年少者は一般に「おちゃづけ」と呼ばれる。おちゃづけは年齢差や体格差を埋めてみんなが遊べる自主発生的なルールだった。

にくどんは市内は元より全国的に遊ばれていることが判明しており、呼び方がさまざまありながらルールは概ね同じようである。[2]ゲーム開始前の独特な儀礼的宣言と共に、この遊びの名称の由来もまだ分かっていない。ただし市内の厚東区ではルールが同じで呼び名のみ「かくにくだん」として遊ばれていたという報告を確認している。元々は「にくだん」であったものを遊ぶエリアが四角形に描かれるためであるという。[3]身体を張った肉弾戦に由来するように思われるものの、幼少期の子どもが肉弾戦のような難しい言葉を知っているとは考えづらく、恐らくは別の由来であろう。
出典および編集追記:

* 本項目の記述を行っている最中に県によって作成されたサイトで「十字がいせん」として掲載されていることが判明した。
山口県|キッズウェブ|もっと知ろう山口県|山口県につたわる子どもの遊び(十字がいせん)
ただし私たちが遊んでいた当時は専ら「にくどん」と呼んでいてそれ以外の呼称を聞いたことがない。

1. この場合の鬼と子の対応は逆だったかも知れない。ただし常に「しょうぼう」「かじ」の順で唱えていたことだけは確実であった。
言葉の意味から推測すれば、火事が発生したことと消防車が出動する動作に擬えられるかも知れない。しかしそうであれば「かじ」「しょうぼう(しゃ)」となるべきところであるが、下の学年の子は上級生が慣習的に唱えていたことをそのまま取り入れるので理屈では説明できないところが多分にある。

2. 本件についてかなり以前に質問したことがある。他県でも同様の遊びが異なる名称で呼ばれている事例があることが確認できた。
Yahoo!知恵袋 - にくどんという遊びをご存じでしょうか?

3. 地域SNS掲載時の厚東区在住者読者コメントによる。
《 大学ピンポン 》
大学ピンポンとは言っても卓上のゲームではなく、上記のにくどんに似たエリアを使用してボールで行うゲームである。3人以上で遊ばれることが多い。

はじめに各人のエリアを設定する。4人のときはにくどんのように正方形を描いて田の字に分割すれば均等割しやすいが、3人のときは円形のエリアを描いて120度の扇形として等分する。いずれの場合も中央に直径数十センチの円を描き、各人のエリアに大・中・小の名称を書き込む。4人のときは大・高・中・小とする。遊びの名称はこの序列と学校を擬えたものである。[1]

参加者でジャンケンをして勝った順に高位のエリアに入る。エリアに入らなかった者は小の次候補者としてコートの外で待機する。ボールは屋外用のバスケットボールが使いやすい。
ゲームの要領はピンポンと同様である。自エリアで一度バウンドさせた後に手を使って他のエリアへボールを送る。他のどのエリアへボールを送っても良いが、相手エリア内に入らなかったり名称が描かれている中央の部分に触れたら失敗となり一つ下のランクの者と入れ替わる。小が失敗した場合は待機組の末尾に加わり、待機していた最上位者が小に入る。ボールがラインに触れる位置へ落ちたときは「ねっちん」と呼ばれ[2]概ねアウトの扱いとされる。

ボールの扱いの巧拙によりゲームの参加時間が大きく変わる。一度最上位の大へ入った者は何度か失敗してもランクを移動するだけだが、待機組が小に入って一度失敗したらただちに退場することになる。このため不慣れな子どもや幼少者にはおちゃづけルールが適用されやすい。
小学校高学年同士のゲームで一定の技能を体得している場合は、ボールを相手エリアへ送るとき両手で瞬間的にボールを回転させて送るスピンを認める[3]場合がある。
出典および編集追記:

1. 県サイトに同じ遊びについての記述がみられる。
山口県|キッズウェブ|もっと知ろう山口県|山口県につたわる子どもの遊び(手打ちテニス)
ただし、呼称は専ら「大学ピンポン」でそれ以外の呼び方をしたことはない。

2. 恐らくバレーボールなどの「ネットイン」の変形であろう。

3. スピンありルールの場合バウンドしたボールがある程度の高さを保っているとき、両手でボールの両端を回すように捏ねて相手エリアに送ることでスピンがかかり、地面に落ちたとき不規則にバウンドしてレシーブしづらくなる。中学生レベルで行う大学ピンポンではスピンありが普通だった。
《 やねころ 》
やねころは屋根に向かって投げ上げられたボールのキャッチとボール投げを複合させた遊びである。[1]3人以上で遊ぶ。

準備するものはボールただ一つである。ただし野球に使うソフトボールよりはテニスや庭球ないしはゴムボールのような柔らかく軽いボールが好ましい。[2]道具はボールのみだが屋根に向かって投げる以上、転がり落ちて来る屋根が必要である。また、ボールをキャッチするスペースが要るし、ボールを投げたり逃げ走ったりするアクションもあるので屋根の下だけでなく周囲もある程度の広さを要する。

最初に参加者に番号を割り当てる。名前だと分かりづらいので識別を容易にするためである。1番の者がボールを持ち、自分以外の番号をコールしつつ屋根に向かってボールを投げ上げる。呼ばれた番号の者は屋根から転がり落ちるボールのキャッチを試みる。地面に落とさずキャッチできたなら同じくボールを屋根に投げ上げて他の誰かの番号をコールする。もしボールをキャッチし損ねて地面へ落としてしまったら、他の者はできるだけ遠くに走って逃げる。落とした番号の者は大急ぎでボールを確保した後に「ストップ!」と叫ぶ。ストップがコールされたら他の者はそれ以上動いてはならない。
その後、ボールを確保した者は逃げた者の誰かを目がけてボールを投げつける。投げられた人は地面に着けた両足は動かさずにボールを避けることを試みる。ぶつけられたら命を一つ失う。ぶつけることが出来なかったなら投げた者が命を一つ失う。これで一回のターンが終了し、全員が再びやねころの場まで戻る。

最初の段階で全員がいくつかの命を持っている。[3]何度か失敗して命をすべて失った者が現れた場合は敗者が確定しゲームセットとなる。そこまでは通常の遊びと同様だが、やねころの場合は罰ゲームが付属しているのが独特である。
敗者は磔(はりつけ)という罰ゲームを受ける義務があり、壁に向かって両手両足を拡げた大の字に立つ。この壁はボールが跳ね返りやすいブロック塀が用いられることが多い。他の参加者はやねころで使うボールを持ち、磔状態になった敗者に向かって一度だけ投げつける。ただし、ボールを身体にぶつけるのではなく敗者が開いた足の間や手と足の間など壁やブロックに当たるようコントロールして投げつけなければならない。即ち罰ゲームではあるがボールをぶつけて敗者に苦痛を与えるのではなく、ボールを身体にぶつけられそうになる恐怖感を味わわせるところがキモである。コントロールに自信ある者は敗者めがけてボールを全力投球しても良い。ボールが身体すれすれのブロック塀に当たって跳ね返れば賞賛を浴びる。誤ってボールをぶつけてしまっても特にペナルティーはないが、ノーコンだとの誹りを受けるだろう。この罰ゲームによって一回のゲームが終了する。

ボールをキャッチする器用さに加えて落球時に逃げ走る、投げて当てる、避けるなど多彩な動作を要する身体的ゲームである。背の高い高学年ほどボールを見やすいし高い位置でキャッチできるので、低学年の子どもはどうしても不利になる。そこで最初に3つの命を与えられるところを低学年の子には5つ与えるなどの優遇措置をとるのが通例である。このように措置された子どもは一般的に「おちゃづけ」と呼ばれる。おちゃづけは年齢差や身体能力の差を均して同一ゲームを愉しむための昔からの知恵で、他の多くの身体的ゲームにも準用された。

小学校高学年の子どもたちばかりで身体能力も大体同等な場合は普通にボールを投げ上げてもキャッチ成功の連続となるので、失敗を誘うような策略を練る場合が多い。戦略的にみた場合、誰かが落球したときのことを考えれば屋根から離れておいた方がボールをぶつけられにくい。半面、自分がコールされたとき屋根まで走ってキャッチするのが難しくなる。このことを見越して、屋根から最も離れた位置に待機しているメンバーをコールし、ボールを屋根へ投げ上げると言うよりはジャンプして屋根の縁へ置いて走り去るテクニックが存在した。屋根の端へ置かれたボールはすぐ転がり落ちるので、充分近くに居なければ間に合わず落球してしまう確率が高い。しかしその裏を見越して意図的に走ってキャッチに行ける限界の距離まで離れておく方法がある。相手がこの策略を使って遠くに走り去るのを確認した後、全力ダッシュでボールをキャッチすれば形成は逆転する。失敗すると見越して遠くへ走り去っている相手をコールして同様にジャンプして屋根の端へ置けば、殆ど間違いなく落球してしまうだろう。

恩田へ住んでいた頃の初期の家では、セメント瓦の屋根の一段下にベランダがあり、張り出した波板があった。小学校高学年ならジャンプで先端付近に手が届くので、ボール置き逃げコールのテクニックが使いやすい場所だった。しかし屋根まで投げ上げるとセメント瓦から波板へボールが落ちるときバタンと大きな音をたてる。家の中に居ると相当やかましいらしく、仕舞いには波板が傷むから止めなさいと言われた。しかし低い位置に波板があってその下も適度に広い我が家はやねころには格好の場所で、親が家に居ないとき仲間とコッソリやっていた。このせいでベランダの波板は日光による経年劣化以上のダメージを受けて何度か葺き替えている。

学校の機具倉庫や公会堂でもやねころをやったことがある。こういった建物の屋根は通常民家のものより高いので庇すれすれのボール置き逃げテクが使えなかった代わりに、屋根の傾斜が急なので難易度は高かった。ただしあまりに屋根が高いと低学年の子どもはボールを巧く投げ上げられない欠点もあった。
やねころのルールはまったく単純なのだが結構面白くてスリリングであり、投げて走っての反復は結構良い運動になった。疲れるまでかなり長いこと遊んだものである。
ゲームの終了は飽きたとか疲れたからという理由が順当なところだが、ときに強制終了的な現象が起きた。即ち誰かが力余ってボールを投げ上げたために屋根の頂点を越えて反対側まで転がりボールが回収不能になってしまう事態である。兄貴を含む近所の子どもたちとやねころをやっていてボールをなくされたため、原因を作った子から弁償金をもらってそのお金でボールは買わずに兄貴といつものくじ屋へくじを引きに行ったことがある。

強制終了ほどではないが、ボールが屋根から落ちてこない現象は意外に多発した。しばしばその原因となったのは昭和期なら何処の家でも建っていたアンテナから伸びるコードであった。アンテナから屋内に伸びるコードを無造作に屋根の上へ這わせていた場合、コードの後ろ側にボールが回り込んで引っかかる事態がよく起きた。そのようなときは庭先に常置してある物干し竿を使ってボールをつついた。しかし稀に投げ上げたボールが瓦端の雨樋にすっぽり入ってしまう現象も何度かあり、バドミントンのシャトルの屋根上がりと同様そこでゲームオーバーとなった。[4]

どうだろう。ここまでを読むと一度でもやねころを経験したことのある世代は何となく身体が疼いてメンバーを集めて実際にやりたくなってはしまわないだろうか。[5]
投げてキャッチして走ってぶつける。子どもの遊戯ながらなかなか侮れないほど運動量の多い遊びである。ただし現在では屋根の下が広くなっている場所を探すことが難しいかも知れない。
出典および編集追記:

1. 本項目の記述を行っている最中に検索で県作成のサイトを見つけた。
山口県|キッズウェブ|もっと知ろう山口県|山口県につたわる子どもの遊び(屋根ころ)

2. ソフトボールだと重いので落下してくるボールをキャッチするとき突き指することがある。また、屋根に向かって何度も投げ上げると大きな音を立てがちだし瓦も傷むので止めなさいと言われる確率が高くなる。

3. 些かローカルだが私たちの場合は命の数え方が通常と異なっていた。最初に命3回と設定したときの状態を「3個と命」と表現した。失敗するごとに「2個と命」「1個と命」…となり、残り一つの状態を「命」と表現していた。したがって実際には4回の失敗で命をすべて失うことになった。

4. もっとも見える位置にボールが引っかかっている場合は、親が家に居なければ2階の部屋の窓から外へ這い出て瓦の上を歩いて回収することもあった。

5.「FB|プログラムの例(要ログイン)

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