壮絶なバッテリー切れ事件の翌日24日…
この日は前日の不安定な天気が嘘のように朝から快晴だった。今日の天気が悪ければ昨日出掛けていて良かった…となるなのだが、この晴天では昨日不意の小雨に見舞われながら踏査した苦労が報われない。かと言って昨日訪れたばかりの同じ場所に、またハイブリッド方式の手間をかけて出掛けるというのも気が引けた。
出掛けるなら正午前後までだ。悶々としつつ熟考した結果、再踏査する日を先送りする理由がないと考えた。
次に行こうと決めた日の快晴は保証されない。雨で出鼻をくじかれれば「もう適度に写真撮ったんだからいいだろう…」という気になると思った。実際、左岸からダム下まで行けることは判明したし、河川敷へ降りての撮影以外、左岸から見えるものは概ね撮影できていた。
春先から秋口まで藪漕ぎが甚だ不向きなように、踏査の内容によっては時期を選ぶものがある。しかし今から出掛けるなら、現地へ到達することに関しては純粋に「昨日の復習(復讐?)」である。行っておきたいと切に感じたときが、踏査の適切な時期だ。
当然バッテリーはしっかり充電した。
(充電完了サインが表示されてからも念のため再度コンセントに差した)
それほど嵩張らないので、ショルダーバッグには充電器も入れて行く。画像と動画は昨晩パソコンに取り込んだので全部削除し、カメラ操作で余計な時間がかからないようメディアを空にした。
昨日と同じくハイブリッド方式で踏査する。トンボ帰りしたためその後訪れる予定だった調査物件がすべて流れたからだ。今回は寄り道せず、いの一番に左岸の同じ場所に向かうことにする。
2日続けて同じ場所へ車を置かせてもらうというのも厚かましいと言うか、いくら公共の施設とは言っても苦情が出かねない。そこで厚東駅近くの邪魔にならない場所に車を停めた。
(停めたのはこの会社の駐車場ではなく離れた場所の空き地)
国道2号を東進するまでは昨日と同じだが、今回は車地交差点で左折し素直に国道490号を走る。いくら近道でも荒い石灰石が敷き詰められた砂利道はお尻とタイヤに優しくない。
北部消防出張所の前を通り、沢を一つ渡った先で国道を左折する細い路地があった。
この下り坂を進めば…
昨日も通ったこの分岐点に出てきた。
ここからの砂利道は仕方がないので昨日と同様、草地の上を通る危なっかしい手法で進んだ。
天気が良い。昨日より気温が上がり、何よりも青空が清々しい。空に水色の部分が多ければ、写真一つ撮っても春らしい景色になる。天気は水物で時の運ではあるものの、やはり好条件の元で踏査したいと感じた。
昨日あれほど悩んだ泥濘のじゅうたんもかなり乾いていた。
当然ながら昨日自転車を押しつつ格闘した痕跡が残っている。
さすがに乗って進むことはできなかったが、昨日の帰りに歩きやすい経路を見つけていたので労力は半分以下だった。
昨日と同じ場所に自転車を停める。ショルダーには替えのバッテリーをはじめ飲み物や小銭などが入っている。荷物になるからハンドルに掛けてデジカメ一つで行動開始だ。
さて、昨日は何処までを撮影したんだっったろうか…
記事を書いている今なら「河床へ降りようとする直前」と言い切れるのだが、昨日は手当たり次第無秩序に撮りまくったから、まだカメラを向けていないものがどれだったか記憶になかった。
それで現地では重複しても構わないからと最初から撮り直している。
排砂管からは昨日と変わりなくダム水が吐き出されていた。それで現地では重複しても構わないからと最初から撮り直している。
失意の果てに私が背を向けたときから、好天に恵まれ再度足を運んだ今の瞬間まで休まず河川維持の仕事を続けていたのだ…
まさかあそこまで行くことは出来ないのでズーム撮影してみた。
斜めにカットされた状態だから大きく見えるものの恐らく直径は1m程度だろう。
しかし流出する水の勢いは相当にある。ジャンプして飛び越えられるレベルではないだろう。
(あの管の上側を巻いて歩けば反対側へ移動できる…などと妄想してみたりした)
昨日も撮影した水色の鉄管は企業局の工業用水管である。
ここにはマイクロ発電機が設置され、タービンを回したダム水は奥のゲートを経て、工業用水および飲料用の原水として山中の隧道へ導かれる。
ズーム撮影。
うねうねと波打ったパイプが縦横に走っている。発電機によって産み出された電力を送るコードだろう。
背面にはギロチン台のような形の鋼鉄製の板が見える。厚東川1期導水路に向かうゲートである。
(敷地内で自由に撮影できるなら二俣瀬発電所の独立記事を書けるのだが…)
更にダムというカテゴリから外れるが、この宇部興産(株)発電所の建て屋にも言及していなかった気になるものがあった。
建て屋の2階部分だろうか。天井から吊り下げられた蛍光灯の明かりがついている。
昨日も点灯していた。
敷地内の外灯ならまだしも、完全に室内である。それも通常は無人で運転されている筈の発電所建て屋だ。
無人ではなく、宿直が常駐しているのだろうか…
(ダム事務所駐車場からも建て屋の中に橙色の灯りが見える)
同じくズーム撮影。
発電所建て屋の3階部分に嵌め殺しのガラス窓があり、何枚かは割れたまま放置されている。
現役の建て屋でありながらまるで廃墟のようだ。
内側の構造が分からないが、こんな高い場所にガラス窓を造れば、当然ガラスを拭いたり交換したりが困難だ。最近の建物では清掃員も接近できない場所をこんなガラス窓にすることはまずない。しかし昭和初期〜中期の古い建物では交換を前提としない固定採光用のガラス窓がよく観られる。
(これはかなり古いものだろう…発電建て屋が造られた当時からの窓ガラスではなかろうか)
ダムではなく発電所カテゴリに分類される写真や記事を含めてしまっているのは、写真の分類が間に合わなかったからである。
ここまで書いた後、発電関連の設備の写真を該当フォルダへ移動した。
(幸いフォルダを移動してもリンクは温存されるようだ)
先々で厚東川発電所および二俣瀬発電所の独立記事を書くことがあったら、ここの写真を流用するか新規に撮り直す予定だ。いずれの場合もこの記事の写真や記述はそのままにしておくことにする。
ダム堰堤にも昨日の段階でとても気になっていながら撮影していなかったものがある。ここまで書いた後、発電関連の設備の写真を該当フォルダへ移動した。
(幸いフォルダを移動してもリンクは温存されるようだ)
先々で厚東川発電所および二俣瀬発電所の独立記事を書くことがあったら、ここの写真を流用するか新規に撮り直す予定だ。いずれの場合もこの記事の写真や記述はそのままにしておくことにする。
それはゲート左端から堰堤の左岸に接する部分に見られる。
この袖壁である。
後でも述べるように、ここから眺めることしかできない。
ゲートの端から左岸に接する袖の部分は、右岸側と同じ構造になっている。延長は左岸側の方がやや長い。
右岸の袖壁はダム事務所駐車場から見えるし、その場所にも(大抵はプラスチックチェーンが張られてはいるが)行くことはできる。
しかし左岸側はダム堰堤上を通ることができない以上、全く接近不可能。この部分や裏側がどうなっているかを観る手段はない。
ゲートと左岸の袖壁接続部分には段差があり、手摺りが斜めに設置されている。そこにカマボコ型の空洞が見られるのだ。
これが何を意味するものか全く分からない。
それは直角三角形状に盛られたコンクリート部分を穿つ形で設置されている。上部はアーチ構造になっていて、恰も見えない場所へ施した意匠のようにも思える。こんな誰も眺めはしない場所に意匠を凝らしたものを造るものだろうか…
実は、そういう事例は皆無とは言えない。鉄道の隧道ポータルや落石防止壁など、誰も普通じっくりとは眺め得ない場所にレンガ積みで意匠を凝らした付属物や飾りが施工されている事例がある。
(明治期・大正期などの仕事師の矜恃だろうか…この辺の情報は鉄道関連に造詣深い方ならご存じのはず)
しかし厚東川ダムは戦前に計画され、戦中は資材不足で工事が中断した経緯がある。実用性および施工期間短縮が当然で、遊びで意匠を施す余裕などないと考えられる。これは何か実用的な意味がある筈だ。
一体何だろうか?
最初に頭に浮かんだのは、豪雨で小野湖の水位が超過し本ゲートから排出しきれなくなったときの非常用の余水吐では…という考えだ。しかしこのサイズではゲートのサイズに比較して全く役に立たないし、そもそも全閉状態のゲートの上端より更に高い位置にあるから余水吐では有り得ない。中には灌木が育っている。まさかこんな場所に花壇を造る筈もないから、土砂が溜まったところへ勝手に侵入し根を下ろしたのだろう。
(他に居座る場所はいくらでもあろうものを…あんな狭い中で育つ灌木の根性に拍手だ)
現在地が左岸のダム堰堤にこれほど近いのだから、このまま何とかして藪をかき分けてダム堰堤の真下まで行けそうに思うだろう。
こんな状態なのである。
まず護岸以外の部分は一面に藪の海で押し入ることなどとても無理。
その護岸部も雑木が川面に張り出すまで伸びている。これをかき分けて護岸の天端を伝うなんて重労働だし、第一危ない。
この地点で護岸の高さは優に5mを越えている。転落すれば打撲程度では済まされないし、上がり直せる場所があるかどうかも分からないのだ。
あの裏側はどうなっているんだろう…
既に草木も勢いづき始める4月ともなれば如何ともし難く、袖壁を近くから眺めることは完全に諦めた。(この物件は思わぬ形で再度接することになる…)
昨日は河川敷へ降りようとしてバッテリー事件を起こして撤収したのだった。
今度こそ降りてみよう。
まず接近してみたいのが、対岸からも見えていたこの古い護岸。
新しい護岸が内側に造られたものの河川の流れを妨げる心配がないせいか、そのままにされている。
この場所は河床面から7mくらいあってとても降りられない。
張ブロックの散乱しているあの場所まで戻ってみた。
ここは幾分護岸が低いし、流されたブロックが足場になっていた。河床に降りて現地調査する作業員の姿を観たとき護岸に梯子は掛かっていなかったので、ここから昇降していたようだ。
(人為的にブロックなどを集めて護岸との高低差を少なくしたらしい場所があった)
乱雑に積み上がった張ブロックを足場に護岸から降りた。足元が悪いものの大した労力は要らなかった。
ここから古い石積みがすぐ先に見えている。
しかし接近には護岸から降りる以上の困難があった。
(「厚東川ダム・左岸接近計画【4】」へ続く)