厚東川ダム・左岸接近計画【4】

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(「厚東川ダム・左岸接近計画【3】」の続き)

張ブロックが押し流され基礎が露出していた未改修部分の護岸へ向かう。
押し流されたブロック類が乱雑な山積み状態となっていて、護岸との高低差を縮めてくれていた。

まるで一欠片ずつ割った板チョコみたいに散らばる張ブロック。
表面は古びているが、角がちょっと欠けた程度で原形を保っているものが多い。産廃処理するには惜しい。
設計単価は確か税込で基本が1,260円/枚、半割が630円/枚…県土木さんぜひ回収し再利用して下さいw


転石のようにグラグラするブロックもあったので、足掛かりを確かめつつ河川敷に降りる。

周囲は洪水で剥ぎ取られた古い護岸ブロックや間知石や元からあった栗石など、もうごっちゃごちゃになっていた。まさに瓦礫そのものだ。


転がっているブロック片やコンクリート塊はともかく、この近辺に転がっている栗石は奇妙に角張っていて、人工的に削られたような形のものが目立った。大きなブロックが流されるくらいだから、河原に転がっている栗石もあの洪水によって掘り出されたものだろう。

その中から足元に転がっていた一つの石を拾い上げた。
妙に稜線が整っている。本のページ押さえの文鎮に向いているような形だ。
子どもの頃よく無意味に石ころを持ち帰りませんでしたか?


元の護岸の一部が壊れたまま河川敷に放置されていた。ブロックには裏込コンクリートがくっついたままで、部分的に千切り取られたような壊れ方だ。
大人がその上に載って飛び跳ねても全く微動だにしない重量だ。こんな重量物が引きちぎられ河川敷へ崩れ落ちる様は、観るもおぞましい光景だっただろう。


さて、あの古い石積みへ接近するルートを考えた。
考えるなどと言えば大袈裟に思えるが、実際河川敷へ降りて、それほど容易には近づけない場所にあることに気付いた。
それは河川敷の中央まで突き出ており、端は新しく造られた護岸に接していた。周囲の溜まり水が深く、頭を出している岩が少ない。飛び石伝いに行くのは無理で、一旦新しく造られた護岸の接続部分まで進むしかなかった。


更に周囲を見回して、古い護岸部だけでなくダム堰堤を正面近くから眺めたいなら、ここを通る以外ないことが分かった。
踏査から半年以上経っているので現在では状況は変わっていると思う

新しい護岸の基礎部分は足を掛けられる程度の幅があり、そこを伝えばどうにかなるように思われた。
頭に描いたのは、赤線のようなルートだ。
一番低い基礎の部分は足掛かり部分が無くなるので使えなかった


乾いたコンクリート基礎は足掛かりが良く、滑る心配はなかった。バランスを崩しても転落しないように、護岸の傾斜へ縋るようにいざり進んだ。
無造作には歩けないがそう困難なタスクではない。最近、難易度を考える必要もない踏査箇所が多かったので、この部分の進攻は久し振りのスリルを味わえた。

ところが…
最後の最後になって、スリルなどと余裕をかましては居られなくなった。
嫌な段差があった。
足掛かりは10cm程度しかなく、何よりもそれまで伝ってきた基礎より1mくらい高いのである。片脚を上げて基礎の上に載せるときバランスを崩しそうだ。左側は足掛かりゼロのコンクリート斜面で、その下は溜まり水だ。


距離は大したことはない。極端な話、ここからジャンプすれば前方の岩場に着地できる自信はあった。しかし戻るときのことを考えなければならない。

行けるだろうか…
仮に行けるとして、同じルートを戻れるだろうか…sweat

後から思うにここは踏査コースの最難関だった。

万が一、足を滑らせて転落しても溺れる訳ではない。精々、くるぶしまで浸かる程度の溜まり水だ。しかし車に戻っても当然替えの靴などない。本日初っ端の踏査で靴を濡らしたら、その後のスケジュールは全部流れて昨日みたいにトンボ帰りすることになる。溜まり水に隠された岩で足を挫くかも知れないし、バランスを崩してカメラを放り投げでもしたら、そっちの方が被害甚大だ。

自分の身体能力とバランス感覚、そして安泰に戻れるか否かの判断力に委ねるとして、カメラだけは守らねばならない。
ポケットにカメラを仕舞い、両手をフリーにした状態で挑みかかる。護岸の表面には手がかりがなく、身体を支えるのに充分ではない。それでも両手で体重を分散させ、表面のデコボコを手がかりに少しずつ体重を移動させた。

何とかこのタスクをこなした。

ダム下左岸に伸びる護岸。
ダム堰堤のスロープからそのまま続いている。高さ5mを越える護岸がずっと続いていて上がれる場所はない。


護岸の真下には最近流し込んだと思われる捨てコンクリートが充填されていた。恐らく護岸基礎の洗掘防止だろう。
追加の工事が予定されているようで、溜まり水部分にマーキングがされていた。


新しい護岸の全体像を撮影するために河床の中央付近に歩き、振り返って撮影した。
異なる高さと向きの護岸を擦り付けるように高さと方向を合わせてあった。


先ほど例の袖壁を観ようとして天端を進攻した護岸。
先の方まで洗掘防止の捨てコンクリートが打設されていた。


捨てコンクリートは新しい護岸を造るときと同時期に打設されたようだ。

思えばここは今年の3月、作業員が河床に降りていたのはこの作業とマーキングだったのかも知れない。


さて、古い石積みはちょうどここから振り返ったところにあった。
当初どの位の高さがあったのか分からない。上半分くらいが流出しており、至る所で間知石が歯抜け状態になっていた。拡大対象画像です。
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基礎部分に踏み込んだ。
裏込め部分は間知石とよく密着したまま遺っていた。これがあるから今まで存続できていたのだろう。
現在の河床は基礎よりも低い。もしかすると厚東川ダムが造られる以前からの護岸で、かつては基礎の上を洗うほどの水量があったのだろうか…拡大対象画像です。
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典型的な間知石の谷積み施工例である。間詰めモルタルは殆どが洗い流され、空積みのようになっていた。
かつてはこんなもの何処にでもある…と言うか、コンクリートブロック以前は石積みかレンガ積みという時代である。
今では間知石自体レトロ感を醸し出す建造物以外に殆ど用いられない。石工自体が激減してしまった。
もしかして「間知石」の読み方が分からない…なんて言わないでね


この他、河川敷から厚東川発電所の建て屋や工業用水関連の設備を撮影したが、画像をまとめてフォルダへ移動し終えたので、関連記事を書くとき掲載しよう。なお、ここからダム堰堤の写真は撮れなかった。あまりに近すぎて全体像が収まらなかったのである。正面からのダム堰堤を撮影するには、先の古い護岸より下流側へ移動しなければならなかった。

再び基礎コンクリートの段差が危うい場所をこなし、飛び石伝いに河床中央部へ進む。流された護岸のコンクリート片などが足場になった。

河床のほぼ中央から撮影された厚東川ダムの全容。
コンクリートの残骸が痛々しい。恐らくこのまま自然に川下まで流されるかここに留まり続けるかだろう。拡大対象画像です。
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右岸は今まで何度も訪れているものの、護岸を観ることはできない。管理道から河床まで高低差が大きく、降りる場所がなかったからだ。

今ならじっくり観察できる。
相当な高さがあり、その全てが間知石の谷積みだ。


石垣は中ほどに平場があり、2段構造になっている。後から継ぎ足したのかも知れない。
元からあった下の石積みは、上側に大きなクラックが走っていた。
石積みの下がコンクリート基礎なのでそう古い施工ではないかも知れない


流れは浅いので長靴履きだったら対岸まで渡れるだろう。しかしスニーカーの飛び石伝いは無理だ。不安定な転石ばかりで足場を求めるには心許なかった。
この場所は河川敷の中央より右岸寄りで、スニーカーのまま右岸に最も接近できる限界の場所だった。


さて、そろそろ上がろうか。
これで左岸から見えるものは一通りカメラに収め切れただろう。
同じ場所から護岸に上がった。
降りたとき見つけた文鎮代わりの石も連れてきた(おいぉいっ…sweat


これは厚東川氾濫のメモリアル石として我がアジトの一員になってもらう。
端からその積もりで、見つけた後すぐ分かるように破壊されたブロック塊の上に置いていた。
最初から4枚目の写真…ブロックの上に石が置かれているのが見えるだろう

自転車を停めていた護岸のところまで戻り、見残し&撮り残しがないことを確認した後、ショルダーバッグに文鎮石を忍ばせて(物好きw)来た道を漕ぎ始めた。

陽射しが強くなっていたので、来るとき自転車を抱えて越えたあの余盛りがある場所の日陰に入り、ショルダーバッグからケータイを取りだした。


感動的な場所を訪れたときやることだが、踏査コンプリート報告を…
我、厚東川左岸ノ攻略ヲ達成セリ…
がっつりとした成果を得られて気持ちも晴れやかだった。
やはり、今日気持ちを入れ替えすぐ出直して来たのは大正解だった。
よしよし…この調子だ。

湿りがちだった粘土のじゅうたん地帯は更に乾き、どうにか乗れる状況にまでなっていた。


せっかく昼からハイブリッド方式で繰り出したのだ。もう少し欲張って成果を追い求めても良い…いくつもの物件がここ厚東の地で掘り起こされるのを待っているのだ。

ショルダーに収めた文鎮石の重さも感じられないほど、帰り道の自転車は軽やかに感じられた。

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おっと…
河川敷へ降りた直後に見つけた「文鎮石」のその後だが…
ここがレギュラー・ポジションとなったようだ。


角張っていて転がる心配がないので、最初は無造作に机の下へ転がせておいた。夏場の暑い盛り、時々足の裏をひっつけて冷感を味わう役目を与えられた。
石の表面は常に冷たいので足の裏が熱いときにはなかなか気持ちが良い…

その後涼しくなって用事がなくなったので、足元の邪魔にならないよう我がアジトの守り神たるドラセナ・フラグランスの傍に鎮座させている。故郷の厚東川河川敷へ帰されることは二度とないであろう…^^;
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その後、ダム見学会を通して左岸堰堤に異様なものを見せられて興味を覚え、左岸調査計画が再燃した。後続記事として案内しておく。

(「厚東川ダム・左岸堰堤接近計画【1】」へ続く)

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