厚東川ダム・左岸堰堤接近計画【2】

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現地踏査日:2012/1/29
記事公開日:2012/2/15
(「厚東川ダム・左岸堰堤接近計画【1】」の続き)

第一次計画が失敗に終わり、そのまま再度チャレンジする機会を得ずに新しい年を迎えた。
前回の失敗の原因は天候に恵まれなかったこともさることながら、道のない場所から強行突破を試みた点にもあった。急な崖に進路を阻まれ、雨がちで足元の滑る状況ではリスクを取って先に進むことができなかったのである。

同じ場所から突入しても勝ち目がないと考え、第二次計画となる今回は、距離が長くなる面には目を瞑って道のある場所を辿ることを優先し、一ノ坂側からの攻略を考えた。

これは左岸堰堤に至る道が明記された拡大地図である。


国道490号一ノ坂バス停付近から尾根伝いに左岸堰堤方向へ道が伸びている。それは途中で分岐し、一方は確実に左岸堰堤のある付近の沢へ向かっているのが分かる。いずれの道も途中で消えているように描かれているが、下り始めの途中まで描かれているので道を失う心配はまずないだろう。
山頂や溜め池に到達して行き止まりならまだしも沢へ入って下り始めて行き止まりになる事例は殆どない

かなり遠回りになるのを承知で、一ノ坂側から攻めて行く次のようなルートを考えた。


国土地理院の地図では点線表記されているし、Yahoo!の地図でも人が歩ける道があるように描かれている。
一次計画で厚東川の左岸を遡行するときこの点線の経路を探したのだが、恐らく藪に埋もれていて見つけることができなかった。そこで遠回りにはなるが、間違いなく道があると分かっている一ノ坂からの経路を辿り、沢を下り始めてから等高線に沿って回り込むことができれば左岸堰堤に到達できるのでは…と考えたのである。

1月最後の日曜日、私は一ノ坂にある「左岸曝気循環設備棟」を踏査し、その場に車を留め置いたまま市道一ノ坂黒瀬線などの物件を写真に収め、いよいよ”本日のメインディッシュ”に移ろうとしていた。

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入口となる場所は、一ノ坂にある峠部分(峠としての名前は恐らくない)から伸びている。まずは地図通り本当に歩いて行けそうな道があることを確認する必要がある。

遠ければ出来ることなら車を移動したい。しかし取りあえずここへ留め置いて峠方向に歩き始めた。


第一次計画では前日が雨だったせいで無駄に滑る山の斜面に難儀させられた。
残念ながら第二次計画となる今回も天気は良くない…いや、ハッキリ言って明確に悪い。

そもそも午前中は布団が干せる程の快晴だった。ネットの天気予測で近隣地域に雨雲が出ないのを確認していたし、実際正午過ぎまで布団を干していた。
ところが午後からは雲行きが怪しくなり、アジトを出て現地まで車を走らせる途中で晴れ間が出ていながらも小雨がパラつく救いようのない天気だった。
冬場はこんな天気ばっかりだから困る…年が明けてまだ日曜日がスカッと晴れたことがない

一ノ坂のバス停。
この前後が小さな峠になっている。


なかなか風情のある高い石垣が見える頃、反対側の山手にそれらしき登り口が見えてきた。


国土地理院の地図では最高点付近から枝道が伸びるように描かれているから、右側に見えるあの道であることはかなり確からしい。


この近辺には車を留め置けるスペースが見あたらなかった。
人が往来するような道には思えず、上がり口に駐車しても別に邪魔にはなるまいが、反対車線へ逆向きに駐車するのはまずいだろう。

あれでも行った先が民家の庭先へ続いていてそこで終わり…では困るので、少し先まで偵察してみた。
峠を低くするためにかなり堀割を深くしている。


車は通れまいが、人が歩くには充分に信頼がおける程の踏み跡と幅の道だ。
奥には民家らしきものはなく、それこそ素直に山奥へ向かっていた。


振り返って撮影。
確かに”一ノ坂”という名前に値するほどに目立つ景観を持った坂であり峠でもある。


さて…車の置き場所を探さなくては。

一ノ坂の峠を越えた荒瀬側に車を置けそうなスペースを持つ建て屋があった。


奥に建て屋を囲むネットフェンスがあり、軽四ならフェンス門扉を避けて邪魔にならないように留め置けそうだ。国道からは鋭角で直接は乗り込めないし、中で転回しようとなるとまたさっきの左岸曝気循環設備棟到着時みたいなことになるから、バックで入った方が良さそうだ。


建て屋やフェンスには、これが何の設備かを示すものはない。予備知識がなければこれ自体が未知の「物件」たり得たかも知れない。しかし私はあらかじめ地図上でこの場所を確認していたし、諸事情あって設備の正体を知っていた。

これは一ノ坂ポンプ室で、市水道局の設備である。一ノ坂地区に加圧された水道水を供給するためのもので、この裏山の高台に配水槽がある。
実は左岸曝気循環設備棟を踏査後その配水槽まで延々と歩いて踏査してきた…特に観るべきものはなく時間と労力の浪費に終わった

設備が何であるかにかかわらず勝手に車を置くのは行儀の良いことではないが、取りあえず軽四なら敷地の端に寄せて停めれば邪魔にはなるまい…

確認後、車を取り戻しに左岸曝気循環設備棟の入口まで歩き始めた。
そして…初っ端からトラブル続きだったこの日の踏査は、このあたりから明白な形で変調を来し始めたのである。
晴天ながら段々と雨が強くなってきた。
先の2枚の写真では明らかに晴れ間がのぞいている。しかしこれが今の季節のなかなか嫌らしいところで、写真を撮る頃から小粒の雨が落ちていた。今日は雨降りの予報ではないから、降っても精々通り雨だろうとあまり気にしていなかったが、いつまでも止む様子もなく、この峠を越えた頃から濡れが気にある程降り始めたのだ。

これから山歩きってのに無駄な体力を消耗したくない。しかし羽織っているジャンパーもしとどに濡れるほどの降り方で、やむなく車まで走った。

左岸曝気循環設備棟の坂道途中に停めた車に乗り込み、今歩いてきた道を走らせた。そして後続車が居ないことを確認して本線からバックして先のポンプ室のスペースに車を乗り入れた。
雨は小降りに変わっていたし空はむしろ晴れ上がっていた。待てば止むのは明らかだからそう焦ることはない。暫く車の中で待機し、タオルでジャンパーを拭って休憩していた。

漸く雨が完全に上がり晴れ間だけが空に残った。
それでは活動再開…とばかりにジャンパーのポケットへ手書きメモや携帯などを入れていた最中だった。

ここで痛恨のミスが発覚する。
また替えのバッテリーを忘れてきた。
先までの踏査は車から比較的近い場所だったので替えのバッテリーを持たずに行動していた。しかし今度は車から離れるので持っておかなければと思い、カバンをチェックして初めて気がついた。
どれほどカバンをまさぐっても見つからないことで、忘れて来たという愚かしい事実が決定的だと判明した直後、天を仰ぎ、それこそ一気に脱力した。
それも何故カバンの中に無いのか理解できないならまだ納得できていた方で、どういう経緯で忘れてしまったか自覚があったというのが我ながら救いようのない点だった。
恐らくショルダーバッグの中だ…
私はファスナーの付かないポケットには物を入れないことにしている。常用しているシャツやズボンには普通のポケットしかなく、ファスナー付きのポケットがあるのは冬用のジャンパーだけだ。このため、ジャンパーを着ないときは小さなショルダーバッグに必要なもの一式を入れて移動している。
なるべく身軽になりたいからカメラや替えのバッテリーをポケットに入れたいのだが、山歩きの途中で落としてしまったら回収は絶望的だ。そして藪漕ぎや急斜面登攀など身体を大きく動かす局面があるなら、ファスナーのないポケットに入れたものは必ず落とす。少なくともそう考えておくべきだ。
実際今までポケットに入れたまま行動して失われたハンカチやミニタオルは10枚近い
そして些末なものだろうが、予測外の忘れ物・落とし物という事態がどれほど踏査中の心理に対してネガティブに働くかを知っている。

この日アジトを出るとき外がどの位に寒いか分からなかった。当初、暖かそうだったのでフリースにズボンという出で立ちを考えていた。それだとポケットに物を入れられないのでショルダーバッグが要る。
しかし外へ出たとき思ったより寒く、やはりジャンパーを着ようと考え直した。それならファスナー付きのポケットがあるからショルダーバッグは不要…と、アジトへ置いてきた。恐らくその中に移されたままなのだろう…

デジカメで記録を遺せないのなら、もはやそれは踏査ではない。
全く同じ失敗を一昨年の元旦に厚東川水路橋を初踏査したとき経験していたし、つい最近は替えのバッテリーを持参していながら何故かフル充電できておらずバッテリー切れで撮影できなかった事件がここ厚東川ダム・左岸接近計画【1】で演じられたのだった。

どうでもいいけど…
マジ、もう…勘弁してよっ(>_<);
今回も左岸曝気循環設備棟をはじめ既に100枚以上撮影しており、しかも”持ちの悪い”サードパーティーのバッテリーを積んでいる(常に無くなるのが早いサードパーティーのバッテリーから使い始めるようにしている)ので、これから向かうターゲットの攻略成功・失敗に関係なく撮影中のバッテリー切れは避けられない。

左岸曝気循環設備棟での車転回事件に始まり、市道一ノ坂黒瀬線でのあまりにも絶妙に”悪すぎるタイミング”、外を歩けば降り始める嫌らしい雨…あまりのトラブル続きに、今日はもう踏査を止めて日を改めて出直そうかとも考えた。今から山歩きを始めたからとて途中経路の詳細な写真撮影もできないし、ターゲット到達に成功しても間違いなく途中でバッテリーが切れる。

今からどうするか、気持ちを入れ替えて予定通り歩くか止めておくか数分考えていた。
まあ、ちょっと行ってみよう…
どのみち成功しても充分に撮影できずまた来ることになるのは明らかだから、今回はそのための下見と割り切ることで…
そういう事情で、ターゲット到達成功を収めていながら現地で一枚も撮影できないリスクを避けるために、行きは写真を撮りたかった場所を覚えておいて、帰りにバッテリーの余裕を見て撮ることに決めた。ここへ車を停めている以上、必ず戻って来なければならないからだ。
したがって以下に掲載する写真の殆どは時間的に見て逆順となっている

冒頭の地図で示した通り、道があるとは言っても周囲に民家など何もない山中をかなりの距離歩かなければならない。道を失うような事態になるなら無理せず引き返すと決めていたし、念のため一連の踏査で必要な情報を書いたメモを持っていた。


デジカメは当分出番がないだろうから左ポケットへしまい、代わりにこのメモと鉛筆を右手に持って歩き始めた。
この他に毎度のことだが携帯は必ず左ポケットへ携行している…緊急用だ

先に偵察した斜路を登り、国道から離れるように歩き始めてすぐのことだった。
中電の索道を示す案内標識があり、ここで道は二又に分かれていた。


どちらか直ちに判断はつかなかったので、まずは分岐の左へ行ってみた。そっちの方が視界が開けていて歩きやすく、足元もしっかりしていたからだ。
先の方は墓場らしく、それらしきものが見えている。


墓地へ向かう途中、レンガで造られたこのようなものを見つけた。
これが何か想像つくだろうか。


縁起でもないものを…と言われる方があるかも知れない。
実を言うと私もこれほど明白なものを見たのは初めてなのだが、ほぼ間違いなく殯(かりもがり)に関する遺構だろう。


盆や彼岸の墓参りでこれと似たものを見たことがあった。親父は昔、あの台座に棺を載せて焼いていたのだと話してくれた。母は縁起でもないからあまり見ないようにと言っていた。それは藪の奥に埋もれていて、墓のある場所からやっと視認できる程自然に還っていたと思う。

レンガに火で炙られた痕跡が見あたらないことから、ここに棺を安置して最後の儀礼を執り行い、荼毘に付すときは別の場所へ運んだのだろう。
少し前の私なら薄気味悪いとか不吉だとかいう目で見ていたものだが、今は後世に伝えるべき遺構という感覚の方が強い。もうあと数十年もすれば墓石を立てて死者を地に埋葬する習慣すら怪しまれるなら、このような遺構は縁起悪いから…と誰も写真に遺すこともなく、破壊され消えゆく運命しかあるまい。

しかし今はターゲットを追い求めるとして…この先は比較的新しい墓地になっていて、中電の標識柱が示した通りその先に162番の送電鉄塔があった。
この墓地は航空映像には見つからない…ここ数年の間に造成されたのではと思う

先のメモ書きにはなかったが、求めるターゲットは中電の山口幹線より上流側にあることを頭に入れていた。つまり一ノ坂から進攻する限り、山口幹線の下をくぐることは絶対にない。
この道は違う。
さっきの分岐の方だ。
再び中電の標識柱のところまで戻ってきた。
向かうべきは右側の荒れ道ということが判明したとき、さすがに不安になってきた。
かなり道形が薄くなっていて先がどうなっているか分からない。


幸い、下草で荒れていたのはこの入口付近だけで、進行すれば意外に歩きやすい山道になっていた。しかも道の形はあらかじめメモ書きしておいた”尾根伝いの道”そのものだった。
道の両側は確かに低く、尾根伝いを進んでいることを確信させた。


尾根伝いの途中、またしても分岐に出会った。
ここは先のよりは主要な分岐点らしい。それらしき案内柱が建っていた。


いつのものか時代が読めないコンクリート柱。
その一方の面には「二又セ」とだけ陰刻されていた。傾いていて押すとグラグラ揺れた。


「二又セ」は、紛れもなく「二俣瀬」のことだろう。行き先が分かれば足りるので、画数が多い漢字を避けて簡略化された表記をしているらしい。
しかし二俣瀬と言っても該当する地は広い。これだけでは案内にもならない気がした。他のどの面にも参考になる地名などが彫られていなかったからだ。
左へ降りる分岐に対して二俣瀬が案内されていたので、ここは右側(と言うか直進に近い)を選択した。
後で示すマップではここを左に進んだように描いているが多分行っていないと思う…尾根伝いではなく下っていくように思えたので

思えば、索道を案内する中国電力の標識柱を過ぎてからは、道形を失うような場面は全くなかった。廃道ではなく案外この山道を歩き、あるいは普請する人が居るらしい。
それは有り難いとして、今回はこの整備されている山道が結果的に踏査を苦しめることになった。
あまりにも分岐点が多い。
先の「二又セ」のコンクリート柱を過ぎて100mも行かないうちに、また別の分岐に差し掛かったのである。しかも今度は案内柱がない。


ぱっと見たところ左側が本命の道に思われるが、右側の経路も全く死んでいるわけではない。明らかな道の形を成している。こんな分岐があるとは地図の上には全く描かれていなかった。視界は利かず、現在位置からターゲットがどれ程の距離でどんな方角にあるかさっぱり見当がつかない。

進んでみるしかなかった。

結果的にこの分岐は誤りだったので引き返したときの写真はない。だからざっと説明しておくが、左の太い分岐を進むと、何とそこからまた二叉に分かれていた。
第二の分岐を真っ直ぐ進むと視界が開け、前方に山口幹線が見えた。どうやらその道は中電の索道らしく、先の鉄塔の次になる163番鉄塔に向かうと分かった時点で引き返した。進んだのはものの100m程度と思う。
道は割と広かったが足元のイバラが酷く多くズボンの上からトゲが刺さった

それから引き返して第二の分岐を右に進んだ。メモ書きしかないので記憶も曖昧だが、この道は一つの沢にそってどんどん下っていた。かなり長く、いつまで経っても視界が開けなかった。
やがて道は古い田畑の痕跡と思われる平場に到達し、そこには古い壺と言うか素焼きの瓶が転がっていた。その平場で踏み跡はかなり薄れ、少し藪を漕いだ先には164番らしき鉄塔が見えてしまったので、この道も誤りであることが判明し引き返すこととなった。
この引き返し距離は相当長くしかも長い登り坂でかなり体力的に堪えた

そろそろ言葉だけの説明では分かりづらくなってきたので、手書きのメモを元に作成したマップを示そう。
手書きのメモから作成しているので北を示す方向が違うことに注意


このマップには今から向かう先のことまで記載している。はその方向に進むと下り坂になることを示している。
このマップは次章以降でも説明に使うので ここ をクリックして別ウィンドウで開いておくと見やすい

いずれにしろ、時間と体力を費やして踏み込んだ先には更に2つの分岐があり、そのいずれもがターゲットには向かっていなかった。
結局、あの「二又セ」のコンクリート杭があった次のこの分岐まで戻ることになった。


右側の分岐は如何にも狭く心細い感じがした。実際、二度もの引き返しを負わされた先の枝道の半分くらいの幅しかない道だった。
後から思えばそれほど荒れていることは中電が整備した索道ではなく昔からの道…初めからその道を選ぶべきだったのだ

程なくして道はかなり荒れ始めた。自然に倒壊したのか伐採したのか、相当本数の枯れ木や竹が道にしだれかかっていた。もちろんここまで踏み込んだからには、この程度道が荒れた位で引き返しはしない。


そこを過ぎると、確か黄色いリボンが木に結わえ付けられた分岐に出会った。
そこは帰りに通ったにもかかわらず写真を撮っていない
その分岐の左は沢を下っていたので、気にはなったが追って行かなかった。行きが下りなら延々と進んだ挙げ句違うと分かって引き返すときは登り坂で、そろそろ体力的にも辛く感じられたからだ。
古い瓶が転がっていたあの分岐を深追いしたのが体力的にとても堪えた

黄色いリボンの分岐を過ぎると、そこから先はかなり長かった。

(「厚東川ダム・左岸堰堤接近計画【3】」へ続く)

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