別の経路を通って帰ろうという考えは殆ど頭になかった。来るとき両手足をフル稼働して登ってきたあの急斜面ですら、一番安全確実な経路と思えるほど周囲が急峻だったのだ。
堰堤すぐ横の地山。
殆ど岩山だ。もう一段高い平場がなさそうであるという理由だ。
腰壁の端から眺めている。
このアングルだと大した斜面でもなさそうに見えるだろう。
こんな塩梅なのだ。
45度以上の急傾斜なので、門扉のあたりで既に腰壁から下は5m以上の絶壁状態である。
(あのフェンスの外側を通ってゲート室の方まで侵入しようなどという考えは忽ち萎えるはず)
いざ、さらばだ。
次にここへ再び来ることがあるかどうかは分からないが…
急傾斜ながら適度に散在する木の幹を使えるので登りよりはずっと楽だ。前方にある幹の中ほどを掴み、踏み出した先の足場を確認しつつ体重移動する。この繰り返しでどんどん下っていった。
(慣れない人がやると翌日腕の筋肉痛に悩まされるかも知れない)
帰りに再度この場所に寄らなければなるまい。
急斜面を下った後、再び監査廊前に戻ってきて追加の写真を撮影した。
派生記事: 厚東川ダム・左岸監査廊入口
この狭い平場からダム中心方向を眺める。コンクリート部分が全く見えないくらいに苔に覆われていた。
恐らくこの斜面部分はダム堰堤が完成してから人の手が触れたことはないだろう。
平場のすぐ下は殆ど崖になっている。
ここに比較的最近のものと思われる人工物をみつけた。
写真からもすぐ分かるだろう。
綺麗な円筒形状にくり抜かれたコンクリート部材が投げ捨てられていた。降り積もった木の葉の上に乗っているので、比較的最近のものらしい。
これはコンクリート強度を調べるために採取されたサンプルか、あるいはダム堰堤部に柱を建てるためコンクリートに削孔作業して出た部材だろう。
(いずれにしても…ダメじゃないかこんなところに投げ捨てては^^;)
サンプル採取はコア抜きと呼ばれ、アスファルトやコンクリートの強度を調べるために行われる。円筒形の刃が高速回転する専用の器具があり、採取されたサンプルに荷重をかけ、破壊に至る数値から強度を求める。
コア抜きはコンクリート面にガードレールなどの支柱を立てる際にも行われる。ダム堰堤か監査廊内部で削孔を行って、くり抜かれた部材を持ち出したのだろうか。
さて…
ダム左岸に監査廊の入口を見つけ、そして念願の左岸堰堤到達も成し遂げた。当初は左岸堰堤のみが最終ターゲットだったから、期待以上の成果が得られて今回の踏査は大成功…と言いたいところだろう。
ここでは心して次の原則を念頭に置かなければならない。
無事にアジトへ戻るまでが踏査である。
それと言うのも、私がどのような手段で現在地に居るかを考えれば理解される。半ば後先のことを考えず、あの「恐怖の斜面」を通ってきていた。無事にアジトへ戻るためにはこの問題を先送りにすることはできない。要するにここをどうするのか…ということなのだ。
上の写真では高低差や遠近感覚もつかめないだろう。
私の左足から先は1m程度の段差がついており、足掛かりとなる地山は数十センチしかない。幸い、写真の右側が写り込んでいないから大した局面に思えないだけだ。
この右側は…
こういう急斜面になっているのだ。
コンクリート擁壁の高さは2m以上。表面を湧き水が伝っていて苔まみれ。その奥にダム本体部分が見えている。まだずっと下まである。
これを一気に一番下まで滑り落ちてしまうとなると…
来るとき以上の難局をこなして無事にアジトへ成果を持ち帰らなければ、踏査は成功したことにはならない。
(もっとも私がここに居て写真付き記事を作成できているという事実から分かるように当然成功したのだが…^^;)
ここで どうすべきかの態度は2つに分かれる。
一つは自分のまいた種を刈り取る意味で、困難を押してでも来た経路をそのまま戻ること。もう一つは敢えてこのコンクリート擁壁の横から下へ降りて脱出口を模索する方法だ。
来た経路をそのまま戻れるなら、それが一番の安全策だ。しかし目の前に見えているたった一ヶ所。この崩落が選択の邪魔をしていた。
かなり強引だが、助走して足掛かりに使えない崩落箇所を飛び越し、平場部分に手がかりを求めようかとも思った。そのためには水平距離で3m程度、そして1m程度上方に跳ねる必要があった。助走するだけのスペースはあり、多分こなせるとは思った。しかし絶対に失敗はあり得ないかと問われれば断言はできない。安定な平場と考えて助走の最後の踏み場に使い、仮にそこが崩れたら絶対下まで落ちる。
下へ降りる方法は一応あった。擁壁の末端部分は枯れ葉が積もって若干高低差が緩和されていたし、手がかりになる太い幹があった。しかしそれでも背丈以上の高低差をこなす作業が要ること、何よりも下へ降りたからと言って脱出できる保障がないのが不安要素だった。
(ここでもダム堰堤への接近を阻んだ厳しい藪の存在を思い出す必要がある)
歩き回った挙げ句、脱出不可能となれば最悪また酷い労力を使って監査廊入口前まで戻らなければならない事態も起こりえる。
下へ降りてみよう…
仮に藪に阻まれて脱出できなくても、あの崩落箇所をやり過ごした先で上に逃げる他の経路を見つけられる筈だ…
この推論に賭ける形で下降を開始した。仮に藪に阻まれて脱出できなくても、あの崩落箇所をやり過ごした先で上に逃げる他の経路を見つけられる筈だ…
(悠長に写真など撮っていられる状況ではないので下降中の写真は一枚もない)
コンクリート擁壁の一番端、あの崩落箇所のすぐ横には著しく木の葉が堆積していた。そのまま体重を下ろすと足元がどれだけ埋もれるか分からなかった。信頼に足りる木の枝に片手を掛け、右足の先で突いた。飛び降りる必要はなかった。
(それほど高低差があったなら戻ることができないので下降を諦めていただろう)
かなり足元が木の葉の山に埋まったが、少しずつ木の枝から地面に体重移動した。怪我をしないことが最優先なので、身体的な労力よりも精神的な緊張の方が大きかった。元々、一般人が入り込むような場所ではないし、何が起きようが自力で対処する覚悟が必要だった。
どうにか足元が安定する場所まで降りてきた。
既にダム堰堤は…
こんな高いところに位置している。
木の枝がない場所まで進んで撮影した一枚。これでもまだ完全に下りきったわけではない。
ダム中心方向の眺め。
下方に木の葉が積もりまくっているあの場所が最終着地点だ。まだ5m程度高低差がある。
やっと高低差を片付けることができて護岸が近くなってきた。
これは多分…あの場所だ。
正面に発電所と水利関連の施設が見える。それも今まで撮影したよりもずっとダム堰堤側に寄っている。
更に接近する。
ダム下の流線形部分が見えていた。
河床には減勢工のコンクリート部分が見えている。
対岸にある発電所などは左岸計画の時点で歩いて接近できる場所からも充分に観測可能だ。
しかしこの場所は完全に”閉じられた空間”となっている。
護岸の上を通って相互に行き来できない。
今の季節でこの状況なのだ。雑木やら草やらが護岸からはみ出さんばかりに伸びていて、その上を通れる状態ではない。護岸は物理的に繋がっていながら、その上を伝って歩こうとすれば必ず落ちる。
河床は一面に叩きコンクリートとなっていて護岸天端からの高低差は6mくらいある。どんな安全な体勢を取ろうが、ここから飛び降りればまず足をやられる。
この藪は非常に頑強だ。護岸だけでなくその周囲一体を占拠していて相互の行き来を不可能にしている。いくら今の季節で脱出口を探していようが、この中へ突撃する気力は起こらない。そもそも地面の状態がまるで分からない。
しかし高低差はこなすことができたのだから、あとは脱出口さえ探すことができればまず大丈夫だろう…
体力的にも第二次踏査のときよりまだ充分に余力が残っていたし、時間も心配には及ばない。
むしろ脱出を急ぐよりも、そう滅多に来られないこの場所にあるものを洗いざらい調べ尽くそうと思った。
そして隔絶されたこの空間には、確かにこの場所限定での眺めが用意されていた。
(「厚東川ダム・左岸堰堤接近計画【8】」へ続く)