長門峡発電所【2】

(「長門峡発電所【1】」の続き)

排水口から勢いよく流れ出る水が県道からも見えていた。
待ちきれずズーム撮影する。


それから河川敷へ降りる場所を探してみた。

草木に隠れて、簡素なコンクリート階段が見つかった。渓流釣りを楽しむ人々向けに造られたのだろうか。
ただしその先は草木がかなり深く、汀に接近するにはかなり苦労しそうだ。


夏場は不快害虫や蛇の心配があるから、基本的に藪漕ぎもシーズンオフである。しかし先の橋で進行を諦め引き返していただけに、今度は少々の労力と引き替えてでも望み通りの撮影位置へ行きたかった。
イバラ類の心配はなかったものの、露岩ゴロゴロで極めて足場が悪く、次の足の置き場所に気を遣った。こんな場所で足を挫きでもしたら、帰るにも車の運転すらままならなくなるだろう。

どうにか足元が安定する場所まで到達した。
降りた先は、ちょうど例の水圧鉄管が正面に見える位置だった。


先の橋よりは遠いが、ここからの方がサージタンクの全容を眺めるにはいいアングルだ。

最大限にズーム撮影。
サージタンクの上部にも手摺りがあり、点検用の梯子が見えている。
あの上部はどうなっているのだろう…流入する水量の変動に応じて、まるで息遣いするかの如く上下動する水位が見えるのだろうか…


サージタンクも水圧鉄管も、険しい山地に乏しい県西部にあっては全く無縁の設備で、私と同様の地域にお住まいの方は身の回りは見かけないし、何のためのものか分からないかも知れない。
とりわけ水圧鉄管は水を導く管ということは直感的に分かるものの、サージタンクと呼ばれる円筒形の塔が必要なことを理解するのは難しい。

サージタンクは、流下する水の圧力変動を吸収する緩衝池として働く。この効用を説明するためによく引き合いにされるのは、水を流している状態の水道の蛇口を急に止めたとき、ゴゴゴッという音と衝撃が発生する現象(水撃)である。流れ出ようとする動きを急に停めるなら、管内に急激な圧力がかかって音をたてる。

もし発電所や途中の水圧鉄管に不測の事態が起きて流量が急激に変わったら、これと同じことが起きる。もっとも規模が大きいから、衝撃もかなりのものになる。急激に圧力が高まれば、堅牢な水圧鉄管と言えども恐らく破裂してしまうだろう。急激に流下が始まって負圧が高まったときも同様(内側に凹む)である。

こうした圧力変動を緩和するために、サージタンクの上部は(転落防止の網状蓋はかかっているかも知れないが)大気中に開放されている。導水路の流速や流量の変動は、サージタンク内の水位の上下動で吸収される。ダム直下に発電所がある場合、水圧鉄管の延長が短いので設けられないが、経路の長い発電用導水路では必ず設置される。

「Wikipedia - サージタンク|水利施設」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AF#.E6.B0.B4.E5.88.A9.E6.96.BD.E8.A8.AD
周囲の動画撮影もやっておいた。
[再生時間: 30秒]


長門峡発電所の文字が見える発電建て屋。
窓枠が3列に並び、三階建て設計のように思える。随分と立派だ。


窓のせいで、まるで普通の事務所みたいに見える。もっとも発電所は無人化され遠隔操作されているから中には誰も居ない。事務所なら過剰設計だが、この中に水力を受けて回る水車やタービンが格納されている。規模としてはこんなものなのだ。

位置エネルギーと引き換えに発電所のタービンを回した水は、惰力で抜けていく際のエネルギーまで絞り取られ、河川に返される。この排水路は発電所と共に造られたようで、岩盤を溝状に削った後、後からコンクリートで隧道状に仕立てたようだ。
上部が平らなのは検査用通路か非常用の排水路を兼ねているからかも…


可能な限りカメラの視座を下げてみた。
もちろん排出口から奥は見えない。


水流があるせいか、このあたりは深みを形成している。泡が目立つために清澄さは感じられないが、もちろん汚れた水ではない。

もう少ししゃがみ込んでズームした。


上流側を辿れば露岩を辿って対岸に移れそうな場所はあった。しかし県道から目立つ場所であり、自重しておいた。

代わりにここからズーム撮影してみる。
よく見ると、ポータル部分の上部が凹んでいるのが分かる。もしかすると隧道のように扁額を取り付ける予定でもあったのだろうか。


半円形を描くコンクリート製の排出口は自然界には見当たらない形状で、明らかに人工の工作物である。そうでありながら、この構造物は秀麗と言えるほど自然の景観に溶け込んでいた。

導水式の発電所は、ダム式の発電と違って水没家屋の悲哀を産み出さないものの、明らかに周囲の景観を変える。とりわけ山肌から顔を覗けて斜面を這う水圧鉄管やポット型のサージタンクは、自然のあるがままの山野を愛する人々にとっては景観を乱す異物と映るに違いない。そして川面に顔をのぞけるこの排出口も。

造られた当時は如何にも場違いなコンクリート排水路だったのだろうが、数十年という時を経て黙々と役目を終えた水を川へ返し続け、その過程で全体を苔で覆われることによって初めて自然に溶け込むことを許されるようであった。
「近づくと危険!」のような余計な立て札類がないのも一因だろう

上流側の様子。
先ほど渡ったコンクリート橋が見える。相応に水は流れているものの露岩の方がずっと目立つ。


下流側。
排水口からの増加分だけ水量が増えている。河川本来の姿だ。


河川敷全体を動画撮影しておいた。
[再生時間: 22秒]


県道へ復帰した後、最後にもう一枚撮影しておいた。


他に橋は架かっていないし対岸へ渡るのが無理と分かったので撮影を終えた後はサッと車に戻った。

更に川を遡行する過程で長門峡の遊歩道入口に駐車場を見つけたのでちょっと立ち寄ってみた。


遊歩道を歩く時期ではあるが、時間が遅かったせいか駐車場に殆ど車が停まっていなかった。


案内板。
この写真を撮った後、車に乗り込みアジトへ向かった。


帰宅後、この場所を精密に調べるために国土地理院の地図を参照してみた。
Yahoo!地図では詳細表示ができない


青い点線で示される経路こそ、この発電所に導かれている水路隧道である。それは国道9号側の長門峡に入る前の阿武川から取水され、生雲ダムの堰堤を通過(この辺りはどういう構造になっているのか分からない)し、更に隧道で先に見たサージタンクまで導かれている。途中にある生雲ダムは同一河川で、全体をバイパスで導いているような状態である。
生雲ダムを経由して直線的に導くだけで、約100mの有効落差を得ている。それだけ長門峡が急峻で縦断勾配が大きいことを示している。

すべての水がそのまま長門峡を流れれば、水は露岩にぶつかったり河床を削ったりと、至る場所で位置エネルギーを失いながら流れていく。水路隧道による水力発電所は、無秩序に逃げてしまう水のエネルギーを一箇所に集めて有効利用する手段と言える。他方、河川としての機能を維持する量に限定されるから、岩を噛む雄々しい流れの景観や渓流釣りの醍醐味は損なわれてしまうかも知れない。

この場所に発電所が設けられたのは、設備投資し、ある程度自然景観を乱すことになっても得られるメリットが大きいと判断されたからだろう。設置計画が発表され着工されるまでの間、長門峡の景観保護派との議論が戦わされたのではと想像される。

もっとも、観察する私のような立場の者にあっては、人間の意向に沿うように造られた一連の構造物それ自体が興味の対象であり、河川開発の是非とは次元を異にするものである。
神の創った峡谷や森林が人の視線を惹き付ける自然美なら、これらの人が造り上げた構造物もまた別の次元で私たちの視線を惹き付ける。それを美と言い切れるものか分からないが、少なくとも同類の設備のいくつかは、私の希求する先で踏査されるのを待つことになるだろう。

ホームに戻る