宇部興産窒素線・No.83鉄塔

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現地踏査日:2009/12/6
      2013/12/4
記事公開日:2013/12/21
宇部興産(株)窒素線のNo.83は、中の山団地の一角に存在していた鉄塔である。
以下4枚は現役時代の写真


鉄塔の存在していた位置を示す。
この辺りは中の山団地と呼ばれる住宅地であり、鉄塔は分譲地の一角を割り当ててある。


中電の一回線鉄塔と同じタイプであるが、最上部に架空地線をもたない。[1]
そのため頭が尖っておらずどこか奇妙な印象を受ける。


このNo.83鉄塔のために分譲住宅地の一区画が与えられ、昇降用の階段が備わっていた。
もっとも頻繁に昇降するものではないせいか、階段の勾配が異常に急である。


鉄塔は4本のアングルで支えられる大型鉄塔並みの仕様で、周囲は有刺鉄線付きネットフェンスで囲まれていた。


No.83鉄塔に近接して撮った現役時代の写真はこの他にはない。この場所まで訪れていながら鉄塔番号を示す銘板の写真がないので、容易に撮れない位置に設置されていたか、元から存在しなかったのだろう。

窒素線の運用停止からこの鉄塔が解体されるまでの期間は短く、隣接するNo.82やNo.84がまだ遺っていたときから既に解体撤去されていた。窒素線は自社工場へ電力を供給するための専用線なので、中の山団地の住民には全くメリットがない。景観を損ねるだけので用途が終了したなら早く撤去して欲しいという声も有ったと想像される。

鉄塔の建っていた跡地は今でも容易に特定できる。
市道了善河内線の途中から用途廃止されグラウンドのようになっている旧溜め池の前を通って中の山団地に向かう路地を入ったところにある。


溜め池跡を過ぎると中の山団地向けの児童公園があり、その前を過ぎる。


もう一つ向山側の区画に一段と高い雛壇があり、そこに設置されていた。


既に鉄塔の姿はないが、異様に高い敷地の擁壁と階段部分は転用しようがなく今もそのまま遺っている。


これほど急な階段なのだ。
鉄塔のメンテナンスで訪れる程度だから容易な昇降を想定されていない。現地は今も立入禁止などにはなっていなかった。ここに何があったかを知らない人にはまったく奇妙な階段に思えることだろう。


自転車を置いて階段を登ってみた。
何の痕跡もないだろうから期待はしていなかった。


当然ながら鉄塔は本体のみならず基礎部分まで丁寧に除去されていた。
現状復旧から半年も経っているので周囲には雑草が生えて自然の姿に戻ろうとしていた。


道路面との高低差は5m程度。
その擁壁の端にかつての痕跡が遺っていた。


これは鉄塔の脚ではなく周囲に巡らされていたフェンスの基礎玉である。
鋼材部分を根元から切断しただけで基礎は擁壁の上に取り残されていた。


このような部分が他にも数ヶ所あった。
恐らくこの区画は借り上げたのではなく社有地なのでそれほど丁寧な現状復旧を行っていないのだろう。


上から見下ろしたところ。
もの凄く急な階段だ。
一部画像を加工しています


この区画は新たに家を一軒建てるには狭いし道路からも高すぎる。隣接する民家が敷地を拡げるならまだしも、独立した区画として使うならあの急な階段を転用せざるを得ない。精々、資材置き場くらいのもので生活空間として使うには不便だ。当面は余剰地のまま放置されるのではないだろうか。

厚東川発電所側 厚東川発電所側に移動 窒素工場側に移動 窒素工場側
No.82No.84


出典および編集追記:

1. 標準タイプの鉄塔では導体の下に架空地線(あるいは低圧電線)を取り付けていたと思われる固定碍子が遺っている。しかし現役時代後期には架線が失われていた。
No.83鉄塔には固定碍子の痕跡もないので、建て替え以前から使われていなかったものと思われる。

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