宇部興産窒素線・No.90鉄塔【1】

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(「宇部興産窒素線・No.90鉄塔」の続き)

民家の敷地を通らなければ到達できなかったと思われていたNo.90鉄塔は、行き止まりになりそうな細い道を進んだ先で実は索道に通じていた。

元からこのような設備に興味津々なことは、当サイトで電気カテゴリを設定して市内の変電所や鉄塔までも撮影しまくっていることから明らかだろう。
特に無理をすることなく来られる場所だったのか…というのが率直な感想だった。


ここで地中化するために鉄塔から電線が引き下ろされている。さすがに他の鉄塔とは異なり周囲はネットフェンスが張られていた。しかしフェンスも門扉もかなり錆び付き、周囲は雑草まみれ…ついこの間まで現役稼働していた設備の様相ではなかった。
何処から撮ろうかと考えるより先に目の前のものを片っ端から撮影しまくった。
そのため写真は撮影した順ではなく適宜配置し直している

索道に面して扉が設置されていた。
そう頻繁に訪れる場所ではないので門扉の前まで笹藪が押し寄せていた。まったく草刈りされた形跡がない。


殆ど文字も褪せかけた掲示は「柵のそばに物を置かないで下さい」と読み取れる。
向山にある畑を利用する住民が道具などを置いて作業に支障を来すようなことがあったのだろうか…


門扉の鉄棒はかなり粗く、カメラを差し込んで撮影することができた。

鉄塔にはまだ番号の札が遺されたままだった。
No.90である。


この鉄塔の総括記事からして「No.90鉄塔」と書いているが、実は末端部鉄塔の番号が判明したのはこの瞬間だった。厚東川発電所の昇圧器に接続されたNo.1を始めとして各鉄塔に番号札が取り付けてあることは知っていたが、このNo.90が最後の鉄塔ということになる。
厚東川ダムからここまで全部で鉄塔90基という数を多いと感じるか意外に少ないと感じるかは…

鉄塔の造る四角柱の面には時期が異なると思われる札が架かっている。
左側の方が新タイプだろう。


恐らく初代タイプの番号札だ。建設年月日が漢数字で最近の看板にはない楷書体表記である。


鉄塔や基礎部分は再塗装や補修を経ながらも建設当時のものだろう。この番号札もタイプの異なるものがいくつかある[1]ので、当初から設置はされていたものの適宜取り替えられていたのではないかと思う。

門扉の部分は細い鉄棒が入っているだけで、その中へ手を入れてカメラを構えることができた。腕を思い切り伸ばせば安全限界を超えてしまうのでは…と思えるほど近い。

驚いたことにNo.90鉄塔にはまだ碍子などが遺っていた。架線と耐張碍子が除去されただけでそれ以外のパーツは現役時代を保っているように思われた。


鉄塔の上部。
元々はどのような配線がされていたのか想像がつかない。背面に伸びている鉄線は外された後の架線を反対側へ降ろしたのだろうか。


引き留めの碍子だけは除去されていた。
稼働時がどのような状態だったかもはや知りようがない。


斜め下向きに取り付けられた碍子で受け、架台に載せられた巨大な碍子で停めて背面に回して地面へ降ろしているようだ。


架台の上の碍子は異様に大きい。
その下にはS・T・Rの文字が見える。位相を表す記号だろうか。
中国電力だったらのシールを貼るだろう


この斜め下になっている碍子の植えられた基盤はオリジナルのものだろうか。
如何にも不安定そうだ。中途半端に鉄塔から外して垂れ下がっているようにも見えた。


別の角度から撮れないかと門扉から左の方へ移動してみた。
ネットフェンスには異常の場合の連絡先を明記したプレートが掲げられていた。同じものを他の鉄塔でも観たことがある。


ネットフェンスの網目越しに鉄塔番号の札をズーム撮影している。
漢字の字体がゴシックになっている。更に建設年月日の上には別途連絡先のステッカーが貼られていた。


番号札の上に連絡先のステッカーが貼られ始めたのは割と最近に入ってからのことと思う。それまでは必要に応じて別途先のようなプレートが設置されていた。

重要度から言えば鉄塔に何か異常が発生しているのを目撃したときの連絡先だろう。建設年月日は対外的にアピールする効果があるだけでメンテナンス上は必要ない情報である。後からステッカーが重ね貼りされたのも緊急時の連絡を重視したからだろう。もっとも昭和24年という建設年が番号札に明示されていたことで、窒素線が60年以上前から造られ運用された歴史的な構造物というのを理解できた背景もある。

門扉より左側は藪が酷い上にネットフェンスの網目も細かく思ったような撮影ができないので、それ以上進攻せず再び門扉前まで戻ってきた。

窒素線は既に架線を失っており当然電気は流れていない。しかし門扉はなお施錠されていた。
切断された地中化線の末端部が見える。


鉄塔から引き下ろされた電線は被覆され、地面を這わせた状態で約一周して地中に潜っていたらしい。
ここから見て鉄塔の反対側にケーブルが基礎の上へ降ろされ、ぐるっと周回して門扉の前へ引き出されていた。


この部分を撮影するために笹藪を漕いで門扉の右側へ移動した。

地中化部分の端で切断されたらしく、切断部から黒い液体が漏れ出たようで汚染防止のためか全体がビニルで包まれている。
液体は被覆部分に充填されていた絶縁油だろうか…黒い血液のようで何だか痛々しい。


コンクリート基礎の上を這わせていた太い被覆線は当初からこの状態だったようだ。
被覆線を固定する碍子が見える。このタイプは初めて目にした。


碍子は被覆線の丸みに合わせた形状をしている。地中へ逃げるロスを少なくするための絶縁だろう。


門扉から内側へ入ったところを被覆線が通っているので、感電防止のためか踏み台が置かれていた。


地中化されている部分は門扉の反対側にある。その部分を撮影するためには酷く繁茂する笹藪を漕いで進まなければならなかった。

(「宇部興産窒素線・No.90鉄塔【2】」へ続く)
出典および編集追記:

1. 番号札の新タイプにも時期によってデザインに微妙な差があるらしい。数字の部分の高さが異なるものがある。
いずれにしても昭和24年10月30日建設というのは後付けで実際に番号札が取り付けられたのはずっと後のことである。設置当初は番号札は取り付けられていなかった。

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