語録

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記事作成日:2016/9/10
最終編集日:2021/12/14
情報この記事は記述内容が多くなってきたので各項目毎の分割再構成を予定しています。

ここでは、私自身が考えたり個人的な影響を受けた語録をまとめている。

何をもって語録とするかは人それぞれであるが、ここでは語録の定義として「客観的に読み取れる以上の含意を目的として作られる気の利いた(風に見える)語句または文章の集合体」を与える。諺や俳句、短歌なども含まれるが、いずれも実際に表記される以上の叙述が含まれていなければならない。更に語調の良さ、スッと染みこむような現実味、思わず膝を打つような訴求性の技巧を問う物でもある。後にはそれほど深みはなく、単に自分にとって重要と思うから書き留めておきたいと感じたものも含めた。

語録は複数通りに解釈可能なものもあり、読者へ自由な解釈に任せるものなので、一つずつ解説を付けるのは本当は野暮というものである。そこで特に必要と感じたもののみ個人的な解釈をつけてみた。意図を読みたい場合にのみ参照されたい。また、語録を作っているうちに感じたことは「如何にして語録を作るか」の別項にまとめて記述している。掲載している語録は概ね現在でも自身で納得しているものであり、そうでないものは注釈部分に追記したり取り下げたりしている。このため当サイトの位置づけとして、管理人が最終編集日時点でどのような考えを持っているかを垣間見るプロフィール代わりにもなる。

定期的に内容を査読し、新たなものを追記したり現時点で自分の心情と合わなくなったものは削除している。
《 自分で思いついた語録 》
以下に概ねジャンル毎に分けて記録している。末尾の年月は記録日であってその語録や概念を思いついた時とは完全には一致しない。概念が重要で一語一句そのものは枝葉なので、微細な語句を書き換えることがある。編集追記は他の総括記事と同様に適宜行うので、掲載された語録そのままを現在も信奉しているとは限らない。また、単純な語録は既に同等のものが別の人に唱えられている可能性がある。
【 信条 】
・一番好きな人間が自分でなければ、他人を愛せるわけがないでしょう。嫌いな自分になってはいけない。[a1]
・世の中で最もつまらなく虚しい仕事は「やらされ仕事」である。[a2](2013年)
・人は自分に厳しく他人に寛容でなければならない。そして他人に厳しくあるためには、自分に対してその倍以上ではなく2乗倍以上に厳しくなければならない。(2013/2/12)
・人間、何事も「したいように振る舞える」ことこそが重要です。何故そうしたいのかと問うのは無意味です。[a3](2013/6/8)
・ナンバーワン、オンリーワン、ファーストワン。
どんな小さなカテゴリでもこの3つのいずれかに入らなければ意味がない。
[a4](2013/7/30)
・旅の恥はかき捨て、ネットの恥は書き捨て。(2014/8/10)[a5]
・目に見えないものの力を信じれば、目に見えないものがあなたに味方してくれる。(2014/11/28)
・野ウサギの「野」は、野性の野です。飼いウサギじゃないってことです。(2014/12/12)[a6]
・もの凄く長い間、水に洗われ続けていながら尖っている岩はない。(2016/8/23)[a7]
・時代は、新たな刺激を求めている。男性がネイルをするとかヘアケアに凝るとか、それを新しい価値観と唱える積もりもなく、今まで一般的に考えられていたのとは違う「別の価値観」で生きているだけであり、これも飽和した欲望を越えて新たな刺激を求めた結果である。(2017/4/9)
・知識は振りかざすものではないけど、一人で温めておくものでもない。餅撒きのように欲しがる人が集まってきたところへバラ撒いて喜んで頂く位がちょうど良い。(2017/7/19)
・すべての人に関して、本人が観測することのできる非常に限定された対象だけが世界の全てである。(2019/6/19)[a8]
・今の自分があるのは、人様のお陰だけでも自分の努力だけでもない。一つ前の自分があり、そこに自分の振るまいと周囲の人々の影響、時の運が協奏的に働いて上乗せされた結果だ。だから将来の自分は、その時に生きる自分と、その一つ前の自分との協奏で帰納的に決まる。身の回りのすべての事象に「その一つ前がある」(2019/12/29)
・今の時代より少し先に進んだ考えを持ち合わせていると、今は受け容れられなくても年取ってからが楽しくなる。今の時代に完全対応した考えだけで暮らしていると、今は愉しめていても年取ってからは取り残され寂しい思いをするかも知れない。(2020/1/12)
・人間誰しも「取り扱い説明書」が必要と思う。いわゆる「取説」。取説を自分で書いて見える場所へ提示しておくことでもっと容易に分かり合えるのではないだろうか。(2020/1/25)
・良い調子だ。調子に乗ってみよう。何故なら今まで何かにつけて訳も無く『調子に乗るな!』と批判され続けてきたから。勢いがある今のうちに調子に乗るべきだ。(2020/2/1)
・「世界は自分を中心に回っている」という考えの何処が傲慢なのだろうか。世界観なんて自分を中心に考えて当然であり、むしろ自分が中心となって世界を回すものである。(2020/2/1)
・これを飲めばあなたはX十年昔に戻ることができると仙人に薬を差し出されたとしよう。若々しい身体を取り戻せるし、誤解が元で別れてしまったあの人ともう一度やり直すことができる。その代わり知識や経験もX十年前まで戻されるとしたらどうだろう。私なら涙を呑んでその薬を仙人に突き返す。何故なら、積み上げてきた知識と経験は私にとってそれほどの価値を持つものだから。(2020/2/1)
【 社会人以前 】
・「書くことは止められない。ここに話がある。伝えておきたい物語がある。」(2006/7/2)
・運動会で一番気分が高まったのは開会式の終わり、一番気分が沈んだのは閉会式の始まりだった。(2015/11/12)[b1]
・学童期、年の瀬の慌ただしさと年明けののんびりした時間の流れがカセットテープの回転に重ね合わされた。テープエンドが近づくと残りテープを送る軸棒の回り方は明らかに速くなる。しかしテープエンドに到達してB面に裏返すと、再び軸棒はゆっくり回り始める。実際には時間の流れはどこも均質なのに。(2016/1/1)[b2]
・物語の古典的構成例に「起・承・転・結」が挙げられるように、価値あるものの習得プロセスは「遭遇・模倣・批判・発展」である。[b3]
・学童だった昭和時代、前の年号の大正、明治…を習った。そして元号が変わる日が来る可能性があることを知り、次は何になるかの話をしたことがある。 「今は『昭和時代』だから次は『平和時代』になるんじゃないか?」と言う意見が多かった。そして昭和が終わり、平成という元号が発表されたときはかなり衝撃的だった。 そして今、元号は令和に変わろうとしている。思えば平成と令和だから、2世代にかけて「平和」を達成したとも言える。(2019/4/2)
【 実生活 】
・家仕事に携わる人間にとっては自明なことなのだが「ゼロ秒では家仕事はできない」。(2012/12/19)[c1]
・「オトコというものは男らしい身なりをするものだ」とか…なんかそういう固定観念に縛られるあまりに振る舞いや身なりの選択肢が狭められるのってもの凄く勿体ない気がするんですよね。[c2](2014/11/28)
・重要なものほど代替手段を持たなければならない。道路もネット接続も娯楽も。[c3](2016/8/30)
・祭りの最中に起きた不手際の批判は、祭りが終わってからすれば良い。[c4](2017/5/2)
・自分自身が見聞きしたものを客観資料と共に記録すれば、あとはそれを求める人とのマッチングさえ実現すればそれ自体が商売となる。この意味で作家などのクリエイターは「自分屋さん・私屋さん」とも言える。(2016/11/29)
・人々は変化を好まず今まで通り安泰に過ごすことを望む。しかし変化がなさ過ぎることもまた好まず新たな刺激を求める。この一見矛盾した需要に応えるタイミングで変化の題材を投げつけることが肝要である。(2017/5/10)
・女の子の発する「可愛い〜♪」は、可愛いことを表現する言葉ではなく「うわっ!」「おおっ!」「えっ?」のような感情の動きを表現した間投詞である。(2018/6/17)
・遙か昔に書いた自分の日記を読んでいると夥しい当時の記憶が甦ってくる。そして自分のではなく、まるで他人の人生を歩んでいるような気持ちになる。[c5](2019/6/30)
・経済的価値の貧困を容認して時間的価値を存分に享受する生活。(2020/11/1)
・すべての行動の選択肢は「やる・やらない」の二相であるが、方向性を持つアクションの選択肢は三相だ。「行く・戻る・何もしない」「売る・買う・何もしない」のように。(2021/10/3)
・「諦める」ことは哀しいことでもネガティヴな行為でもない。元は諦めるとは「明らかにする」という意味であり、人生の有限な時間や労力といったリソースを効率的に配分するために重要度が低いものを明らかにして顧みなくすることに決める合理的な仕分け作業である。(2022/1/1)
【 テーマ踏査関連 】
・初めて訪れた場所で目にしたときの風景の感動は、人生でたった一度しか味わえない。[d1](2013/4/11)
・地名や姓は読みや表記が揺らいで伝わるとは言っても一定範囲の系列を越えることはない。例えば田中と山本ではどう揺らいでも交差はあり得ず「田中と山本ほどに違う」と言える。それでも視点を変えれば「田中と山本ほどに似ている」とも言えるのである。[d2](2015/3/27)
・童謡を歌う幼児は、童謡を作れない。[d3](2015/10/22)
・異なる場所で見つかる正体不明の類似物体や、異なる状況で観測される共通した概念は、もし呼び名が存在しないならそれらを包括する新しい呼称が必要だ。[d4](2016/2/8)
・大切な人が亡くなったとき深い哀しみを堪えつつ見送るのに、学童期お世話になった陸橋が無くなると分かっても何故見送らないのだろう。(2016/9/10)[d5]
・現地へ行って直接観察することができず、ネット上に画像などの情報も公表されていない物件は、どれほど重要な遺構であろうが「存在していない」に等しい。(2016/10/28)[d6]
・何年も足元の郷土を観察していると、長い間見過ごされてきたのにある時期になって目に留まり、それが極めて重要な史料であったことが後から分かるような事例が確率論を越えて平気で起きる。恰も「俺を見つけてくれ!」とシグナルを発していたかのように。[d7]
・ある特定の場所で長期に渡って暮らし変化を観察してきた住民は、その地区の郷土に関する専門家を名乗るに値する。(2018/4/11)[d8]
・内科が内臓器官のみに限定し、皮膚科が皮膚疾患のみに限定して意見するなら、内臓に起因して起きる皮膚疾患は解決しない。同様に郷土関連の題材を現地でどれほど観察してもいつ誰が造ったなどの歴史方面を観察しなければ解決しない。分野を細分化して取り組むことは重要だが、最終的には分野を跨いで統合する作業が必要だ。(2017/1/14)
・車偏重社会が続き、四輪の通れない里道の地位は今や歴史的に見て最も低い地位に置かれている。(2019/5/19)
【 現代社会批判 】
・ファイルのディレクトリやサブルーチンの階層構造は処理を簡略化するが、人間社会の階層構造は処理を煩雑化する。(2012/12/15)
・「大至急お願いします」とか「極力急いでください」なんて軽々しく言うが、この長い人生で何をそんなに急ぐべき事象があるのだろう。精々、親の死に目に臨む時くらいのものではないだろうか。(2013/4/18)
・書き言葉の私とリアルでの私が同じワケがないでしょうが(微笑)[e1](2015/10/2)
・人は年を取るにつれて「〜してはいけない」の数が減っていく。幼少期は「いただきます」を言わずに食べてはならなかった。成人になり独立すれば「いただきます」を言わずに食べるのが普通になる。更に年が進めば「いただきます」を言わずに食べることを非難する人すら居なくなる。(2015/12/12)
・ネットで何でも調べられる現代では「知っている」に高度なレベルが求められる。検索して出てきた情報を鵜呑みにそのまま話すことを知っているとは言わず、単なる「聞きかじり」である。自分の中にその情報を取り込み、既存の経験や知識と統合した形で誰にでも明確に語れるレベルに至って初めて「知っている」こととなる。(2015/12/30)
・新年の挨拶を否定はしないとして、ネット上の如く直接顔を合わせない人に対して明示する必要があるだろうか。個別に挨拶すれば良いものを、大勢が行えばタイムラインは挨拶言葉の洪水になる。それは関連する人以外何らの意味ももたらさない「ゼロ価値情報」である。[e2](2016/1/3)
・恋人と、身内と、仲の良い友達に対してだけの愛想良さとそれ以外の人々への無関心。そんなのをもって「優しさ」とかちゃんちゃらおかしいわ。[e3](2016/9/10)
・継続すれば明白に寿命を縮めたり健康を害するなど、自分にとって不利益が降りかかるエビデンスの得られた振る舞い。それを知りつつ行うことを「野蛮な行為」と言います。(2016/9/10)
・現代人の間に悪しき習慣を蔓延させてしまう3大思考原理:「何を今更。ずっと前からやっているぞ」「ちょっとくらい良いじゃないか」「俺だけじゃない。他の奴だって皆なやっている」[e4](2016/9/12)
・ビジネスに必要なのは情報処理能力であり、実生活に必要なのは情報処分能力である。[e5](2016/9/23)
・皆さんが我先にと一斉に押し寄せるような巨大イベントには、私は行きません。何故なら、それほど多くの人が訪れるなら私が行かなくてもそこに何があるか分かりますから。私はその労力と時間を使って他の場所に行きます。[e8](2018/10/20)
・誰かが語っていてホントその通りと同意する予言:「”構えた心”を持っていなければ、現代人はあと5年もしないうちに余暇の使い方に苦しむようになる」[e9](2020/1/17)
【 天下の暴言 】
以下に現在まで私の意識に残っている数々の暴言の部類を収録する。野ウサギを自称しながらも一応人間なので腹の立つことは当然ある。そのうち記録に値するものを載せる。個人攻撃や誹謗中傷の部類は含まれない。
・中学生に入る直前や高校時代の凄惨ないじめを内外で経験していた頃に心の中で誓っていたこと。「この愚鈍な連中と同じ人生を歩まずに済むようにしたいという、ただそれだけの気持ちから猛烈に勉強した」(2020/1/25)
・一日中デスクに向かい、ノートPC叩きながら同僚と談笑し、関連部署の長だからってことで市民会合へチョロッと顔出しし、人様の素案もろくに理解しないままあれはダメだこれでは拙いとダメ出しだけは一人前。そうして一市民のヤル気を挫くだけ挫いて自分らは職務を遂行した気分になって引き揚げていく。そんなポストにしがみ着いて仕事している振りした税金泥棒にモノ言われたくねえわな。却下だ。出直して来い。お前ら十年早いわ。
・ネットでイベント開催の告知をすると、たまに公開直後すぐ「もの凄く参加したいんですが当日は仕事で参加できません」などと書き込みする奴が居る。最初にそんな書き込みがあると、便乗して「大変興味がありますが私もその日は法事で…」「別の会合があって…」という書き込みが続く。挙げ句に参加者不足で中止したイベントがどれほどあるかご存じなのだろうか。本人は思うところを実直に書いたのだろうが、如何にも優しさが足りないしハッキリ言えば営業妨害だ。参加しないのなら率先して欠席しますなどと書くな。表向きには穏当に対応しているが、社交辞令はコンセプトに合わないから書き込みを全部削除したい気持ちし、心の中でいつもこう唱えている:「嘘つき!」「本気で参加したいのなら仕事休めよ!」(2020/2/14)
【 理論 】
・ある人物を詳しく知りたいとき、まるっきり無関係な隣人が手がかりを持っていることがある。数の世界でまるっきり共通点のない隣人(隣りの数)が手がかりを持っているように。[f1](2014/3/9)
・どんなに大胆で、突拍子もなく、非常識かつ不合理とも言える仮説であってもそれが論理的理由で明確に否定されないうちは、仮説としての存在意義を認められる。(2016/8/18)
・将来、技術が進化してコンピュータが文章を書く時代が来る。当サイトの構成で言えば総括記事ならロボットだって書けるようになる。しかし時系列記事は別で、絶対に人の作業によらなければ作成できない。仮に私と同じ思考回路を持つクローン人間を造ったとしても不可能である。何故なら私が過去の一点で獲得した経験は私しか持っていないものだからだ。(2016/9/6)
・知らしめる教育は無数に存在するが、その逆は存在しない。[f2](2016/9/12)
・今、台所の蛇口を捻って流れていった水が循環して再びこの蛇口から出てくる確率は、間違いなくゼロであることを証明する方法はあるだろうか?[f3](2016/9/16)
・幼少期から大人になって2度目の間欠泉を訪問したまでの間にも、私が見ていない間ずっと定期的に熱水を噴き上げ続けていたという事実。[f4](2017/10/6)
【 恋愛 】
・女性は、次の3つを持つオトコに惹かれるように出来ている。
優しさ、外観、そしてお金。
3つも持っていなければ、1つでも持つように努力したらいい。
(2012/12/1)[g1]
・誰かが誰かと出会う確率は限りなく1に近い。私が誰かと出会う確率は私とその誰かの行動様式によりゼロから1の間で任意に変化する。しかし私とあなたが出会う確率は上記とは無関係に限りなくゼロに近い。(2015/10/2)
・人の真摯な努力が遺憾なく発揮される最大局面は、欲しいものがあと一押しの努力で手に入りそうな状況である。(2015/11/17)
・人間関係での評価は理屈ではないので、とても理不尽で不公平なことでも平気で起きる。ある女性Aさんが身の上を案じて心配してくれてもありがちなことと軽く片付けてしまうのに、女性Bさんが短い言葉をかけてくれただけで思い遣りの深さに感激しますます好きになってしまうように。(2017/8/22)
・どれほど関心を抱いていた人への興味をも薄れさせ、理解する努力を放棄させる決定打となる言葉:「あの人とは世界が違うから」(2019/4/9)
・色とりどりの花が並ぶ前で「どれにしようかなー」と悩む。一つに決められずいつまでも迷っている間が一番愉しい。買った後は「手に入れた」という満足感があるだけ。(2019/11/17)
《 公開されている私の語録 》
ここに言う「公開された」とは、本記事のような個人サイトの1ページとしてではなく、不特定多数に公開される外部サイトや印刷物などに供された私の語録を指す。
・語り継ごう。今を記録して未来へ伝えよう。
100周年も現在もかならず過去のものとなる。
200周年を祝う未来人に
「100周年を祝った人々のことが何も分からない」なんて言われないように。
(2017/10/30)[pub_1]
・宇部マニさんって人を知っています。変な人ですが面白い活動をしているようですよ。(2016/12)[pub_2]
《 感銘を受けた他人の語録 》
書籍やネットの記事など他の方の趣向による語録も特に感じ入るものを記録している。語録の根拠となった書籍や人物名に誤りはないと思うが、書かれている語録は一語一句同じとは限らない。なお、郷土に縁のある人物が発した著名な発言や語録については「郷土人の語録」を参照。
・樹の皮の半分は、北風を知らない。(ジュール・ルナール)[1]
・孤独は寂しそうに見えるが愉しむこともできる。しかし孤立は寂しくて虚しい。(「太平洋ひとりぼっち」堀江謙一氏)[2]
・カネにモノを言わせれば、縦×横×高さの任意に広い空間を買い占めることができる。 しかしどんなお金持ちでも第四の要素「時間」を買い占めることはできない。(書籍)[3]
・変化に順応できない生物に与えられた選択肢は、死のみである。(ダーウィン)[4]
・全員の意見が一致したら、そっとテーブルを離れろ。[5](不詳)
・人生の面白いことは、大抵後ろの方に一杯詰まっている。[6](外国の諺)
・子どもは道草が大好きです。一緒に買い物へ連れて行った帰りでも空き地や小径へどんどん進みます。「そっち行っちゃいけませんよ」と言っても帰ってくるどころか逆の方へ行ってしまう始末です。 これは野に咲く花や小径が子どもたちの脳に「何て面白い形なんだろう」「この先はどうなっているんだろう」と呼びかけているのです。そういった好奇心の目を摘んではなりません。[7](育児書)
・「おばさん、オバチャン」と呼んでいい女性は日本生命の外交員、ヤクルトの配達員、そして毎朝登校時に横断歩道で緑の旗を持つあの人だけだ。
・「一年生になったら」の歌の中で「友達百人できるかな」って部分があります。私それって現代では間違いと思っています。友達を沢山作るよう促す必要はない。選んで友達を作ればいい。数多く友達を作っても仕方ありません。
・Stay Hungry, Stay Foolish.(Steve Jobs)[8]
《 宇部マニアックスを表す語録 》
ほぼ私自身のキャラクタと一致するのだが、宇部マニアックスとしてのコンセプトや信念を表す語録が自分自身や他者から表現されている。
【 自分自身による表明 】
・宇部マニさんですか?はい、もの凄く変な人です。当たり前ですよ。もし宇部マニさんが変な人じゃなかったら、じゃあ一体誰が変な人になるんですか?

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