(以前掲載していたものを確認するための自分用データです)
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「細かすぎる歴史展」始まりました
あまりにも多くのイベントや会合、出来事など短期に集ってしまいホームページに紹介しきれていませんでしたが、重要な継続イベントの案内です。12月1日より厚南際波にある集估館
で新川歴史研究会の展示が始まりました。写真は会場の風景です。
新川歴史研究会としての成果の発表を行うことが今年の夏頃から提案されていました。うちのホームページでも単発的に紹介してきた地図や書籍など、まだ殆ど知られていない客観資料を解説付きで展示しています。集估館の定休日である火曜日を除いて、今月27日まで開催されます。入場は無料で、11:30〜16:30に開いています。アーティフィシャルフラワー展示とのコラボ企画で、歴史展ゾーンにも作品が飾られています。今日は平日でしたので、最後の搬入と展示物の調整を行いました。
展示物は宇部の街の基礎を造った渡邊祐策と高良宗七にまつわるものと、高良家文書として新川歴史研究会にも提示されてきた地図です。その殆どが郷土資料館などにはないものです。新川歴史研究会のメンバーがそれぞれ強みをもつ分野に関して展示しています。私は基礎資料として現在も断続的に制作を続けているデジタル小字絵図の完成している成果物を印刷し掲示しています。新川歴史研究会としての展示なので、宇部マニアックスの幟などは掲示していません。
(株)宇部日報者の記者さんがいらしたので、私が各メンバーの掲示物の解説を行いました。恐らく明日あたり歴史展の概要などが紙面で紹介されると思います。今回は私は岡藤氏と協力して展示よりも情報配信者に注力しています。いずれ宇部マニNEWSでも紹介されると思います。
13日と20日の土曜日は、新川歴史研究会のメンバーが集まって公開定例会を行います。この日はメンバーが一番多く集まるので、展示物に関して制作者に分からないことなどを尋ねることが可能です。これ以外に私も例えば金曜日の午後など都合がつけば常駐し来訪者対応を考えています。去年の宇部まつりの日に中津瀬神社で行った展示とは異なり、今回は会期がほぼ一ヶ月あります。私の展示物が如何にも少ないので、追加展示も考えています。
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宇部地方史研究会で講演を実施しました
26日の午後2時より宇部市立図書館の2階講座室で「宇部市の小さな観光」と題した講話を行いました。写真はセッティングが終わって開始時刻を待っているときの撮影です。
先月、新川歴史研究会の塾長経由で依頼を受けました。塾長は宇部地方史研究会の役をなさっていて、宇部地方史研究会の方は私のことを毎月のコラムでご存じでした。私が塾長と接点があったことに大変驚かれ、何か話をしていただくことはできないだろうかという流れだったようです。
依頼を受けた時点で何を話すか決めていませんでした。会員向けに講話の概要を伝えたいのでタイトルだけでも教えて頂けないだろうかと言われて、とっさに「宇部市の小さな観光」と言ってしまいました。後でシナリオの構成にかなり悪戦苦闘しました。結局、3章形式のシナリオを作成し終えたのが殆ど前夜でした。このため今月号のコラムは早めに書き上げて提出し、シナリオ制作にリソースを注ぎ込んでいました。
このシナリオの概要は、いずれ余裕ができたとき総括記事を作成します。シナリオを完成させてUSBメモリに書き出した後の達成感が大きかったし、今日講演を終えて更なる達成感が得られました。今日の講演に集中していたので、後回しにされていたタスクにかかります。ホームページの画像修復作業もシナリオが完成した直後から実施しています。
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桃山中学校の郷土学習を実施しました
10月ともなればさすがに朝夕の気温が快適レベルになってきます。10月最初の重要な行事として、桃山中学校の「宇部・桃山の歴史と文化に関する講話」を実施してきました。詳細は「宇部・桃山の歴史と文化に関する講話・2025年度」として総括記事を作成しました。内容は一昨年行ったときのシナリオを元に構成しました。自己紹介と新川地区にある歴史遺産、桃山という地名の由来は共通で、桃山地区にみられる題材紹介を桃山中学校に限定し、最後のまとめは記録の重視に加えて将来的な産業としての観光についてを追加しました。これは月末に予定されている宇部地方史研究会で同種のテーマで講演を行うための試論となるものです。
前日まではいい天気だったのに、実施当日の3日が雨になるのはお約束です。現在クルマがないので合羽を着て自転車を漕ぐわけにいかず、アジトから歩いて行きました。前回はクルマだったのでノートPCを持参しましたが、今回は周辺機器の準備とセッティングすべてを桃山中学校にお願いし、私はデータの入ったメモリスティックだけを持っていきました。
学年主任の先生にサブで持っているカメラ(新川歴史研究会の高良氏より譲渡)を預けて講演の様子を撮影していただきました。
これがそのときの一枚です。
前回の講演で事前にノートに書いたシナリオを見る余裕がまったくないと分かっていたので、ノートPCの矢印キーを押してスクリーンに映し出される画像データを元に話しました。視線を落とすのはスクリーンと体育座りで聴いている生徒たち、そして手元の時計だけでした。途中で「〜を見たことがある?」と問いかけて挙手を求める場面を数回盛り込み、一方的な講座ではなく少しばかりレスポンスを求める内容にしました。
講話の直後に同じ体育館で全校集会が予定されていたため、終了時刻を厳守する必要がありました。余りすぎても過ぎても格好が悪い。最後のチャプターを話し始める過程で時計を見ながら話す内容を調整し、終了時間ジャストに話し終わりました。学年主任の先生は担当が社会ということもあり、大変に感激していらっしゃいました。生徒たちがどう受け止めたかは、郷土学習授業の一連の流れで予定されている郷土探訪や新聞制作に反映されると思います。
今回の講話の最終チャプターで盛り込んだ将来に向けての課題は、内容を補強して今月下旬に実施される講座に反映させます。人間誰しも文字に起こすよりは話す方が早いので、宇部マニNEWSの最近の配信分を市役所市民交流棟の会議室で行ったように、需要があれば同所の会議室で講座を開くことがあるかも知れません。
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スケジュールが埋まってきています
9月に入って漸く朝夕だけ少し気温が下がりました。日中はまだまだ暑いですが、これが秋の気候とみなす以外なさそうです。すべての季節で恐らく気温が底上げされているので、部屋でエアコン無しで過ごせる時間がちょっとでもあるなら、それが秋です。去年と同様、今年も異常に暑い7月8月は「捨てて」いました。無用な外出を避けて専らアジトに籠もってできる仕事をやっていました。いくらか涼しくなると、行事が増えてきます。一区切りつく9月に入って6日に宇部マニNEWSのラジオトーク編とフィールドワーク編を収録しました。写真は市役所2期棟2階にある会議室での収録準備風景です。
この後にフィールドワーク編を収録(今月中旬に公開される予定)し、9日と10日に連続で別の作品の素材となるアクションとトークの収録を行いました。私はただ題材提供と知っていることを話すだけで、収録場所となった会議室の予約や機材のセッティングなどは全部上の写真に少し写っている人物によって行われました。
これとは別に私自身のタスクもあります。毎月のコラム題材は既に決めていて写真は採取済みです。来月は講演を2件依頼されておりまして、現在シナリオ制作中です。今週末は新川歴史研究会の定例会合です。今回は厚南際波にある集估館で行われ、11月に予定されている展示イベントのためのレイアウトなど下見を兼ねています。私は何を出展するかは…他にこなすべきタスクが詰まっていてまだ決めていません。
週末までまずシナリオ制作とコラム執筆を進め、コラムの原稿は第3週の始めに提出します。10月最初の講演は3日なので、ストーリーを脳内に染み込ませます。シナリオは自分の覚え書きで、実際の講演では時系列に並べた画像やデータを表示させながらその場の成り行きで話すいつものスタイルです。
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記録が追いつかない
行動範囲が限定された中でも、市街部の変化が確実に進んでいることが観測されます。よく通る道に面した店や民家が消えて更地になっているのはザラで、一般向けの建物もあまりに多くて、映像記録が追いついていません。「市内に残る最後の一つ」という意味で、8月末までに銭湯とボウリング場が消滅します。前者は明治町2丁目にある友恵湯で、一度行ってみたいと思いつつも8月末で営業終了します。もう一つは昭和町4丁目にあったパークレーン宇部です。こちらは今月中旬に解体作業が始まりました。昭和中後期のブーム期には市内だけで5つ以上ボウリング場がありました。その中でもっともお世話になったボウリング場です。恩田に住んでいた30代は毎週末にミッドナイトボウル(2時間投げ放題)に行っていました。さすがに一連の記憶を脳内にとどめたままにするのは勿体ないので、いずれ市内にかつて存在したボウリング場として総括記事を作成します。
写真は今年の3月に撮ったもので、既に営業終了していました。
建物の中には入れなかったため、駐車場など外回りを可能な限り記録しました。
営業中に入ったこともありましたが、プレーしている客がかなり居たため撮影はしていませんでした。30代のとき作ったマイボール・マイシューズは野山の何処かに眠っていると思います。ボウリング場は設備が特殊で維持管理が大変なので、今後もしブームが再来しても市内に造られる可能性はほぼゼロです。かつて何ヶ所もあったボウリング場は今では名称も完全に把握されておらず、当時のマッチがコレクションに残っているだけです。
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全ての記憶はいつか色褪せて最後には消滅する
令和も進んだ今の世も、まだ8月15日は特別な日と位置づけられています。特に前後を含めた13〜15日は「お盆の三ヶ日」と呼ばれてきました。今でも通じるものの、この表現は会話や文章で殆ど見かけなくなりました。カレンダーの上では平日ですが、大抵の会社はお盆休みになります。そしてこの続いた休みを利用して帰省が行われます。観光に行く人も多く、観光地が書き入れ時になる時期です。それでも一定より下の世代では、平成期更には昭和期に人々がお盆をどう過ごしてきたかは殆ど知らないでしょう。特に平成初期頃までは遠方への帰省はもちろん、近隣地区に住んでいる親戚は日にちを決めて集まっていました。子どもたちは夏休みですから、親戚の家に年齢の近い子がいる家庭ではお盆より前から泊まりに行っていました。15日に本家に集まり、分散して墓参りした後で夕方は酒盛りでした。自分だけでなく家族で泊まり、翌日の昼過ぎに帰っていきました。野山でこの設定を元にした架空の長編恋愛小説も書いています。
(それが日の目を見ることはまずないでしょう)
今となってはそのすべてが良き想い出です。うちに限らず今ではお盆に親戚が本家に集まる風習自体が廃れていきました。気前よく小遣いを呉れた叔父さんはもう居ないし、墓参も大変な労力が居るため墓仕舞いしました。こうした記憶は私の脳裏に保存されていますが、いずれその記憶も消えゆくものです。私自身、いつか「それを自分自身で観測できなくなる」ときが必ず来ます。
人類が英知を築き上げて来られたのは、おのおのの個体の滞在時間が有限でありながら、その知見を記録して後の世代が参照できる形に遺してきたからです。私が学童期から異常なほど記述することに執着し、記録媒体や手法が変わりつつも今もそれを続けている本質的理由です。「時間の流れに逆らってでも記録し続けなければ生きてきた証は何も遺らない」
最近、画像が飛びまくって記事を台無しにしてくれた OneDrive を恨みつつも手間暇かけて画像を修復しているのも、ひとたび出来上がっていたものを破壊されマイナスに戻るのが我慢ならないからです。人間、以前はできていたことが出来なくなることほど哀しいことはありません。他愛ない記事や写真とて、それはかならず何かの意図をもって作成されています。
(写真はイメージですがこの場所から同じ撮影を行えることはもう無いでしょう)
すべての記憶はいつか消滅する事実を理解した上で、その量や速度を少しでも減らす努力に優先順位をつけて取り組んでいます。取るに足りない項目や記事が今も新規追加されるのは、作成時に それが必要だから と考えたからです。現代社会において記録し後生に託すことがそれほど重要なことと理解されるには、もう暫く時間がかかることでしょう。
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たまには裏目に出ることもあるよ
一部の人によく知られているように、宇部マニさんは雨男です。日にちを定めて何か大事なイベントを主催すると、大抵その日は雨です。何日も晴れが続いていながら当日だけが雨で翌日から天気が回復という嫌がらせのようなパターンも体験してきました。だから節目の重要なイベントが雨になってしまう残念な気持ちがよく分かります。8月9日からの3連休が典型例でした。9日は宇部市役所2期棟のお披露目式でした。11日が山の日の祝日で3連休になることもあり土曜日の9日にお披露目とするだけでなく、例年海の日である7月21日が花火大会であるところを、お披露目の9日の夜に変更されました。ところが土曜日に入る前から週間予報は明白な「ドツボパターン」を示していました。今までウンザリするほどの晴天と異常な高温が続いていながら、3連休だけが雨予報となったのです。
2期棟の竣工式は9日の午前中に行われ、正午過ぎから一般のお披露目となっていました。天気予報は午前10時半頃から雨予報で、降り始めたら酷くなるようでした。今はクルマがないので帰りが雨に濡れるのを覚悟で自転車を漕ぎました。
2期棟の前では一般向けのイベント会場が設けられていました。
この時点で既に怪しい空模様。もちろんまだ一般市民は中に入れません。午前中から開放していれば2期棟の中を見学できたのに…せっかく訪れていながら中に入れず帰ってしまう来訪者を何人か見かけました。私はざっと外回りの様子だけ撮影し、帰りに買い物しました。店を出たときに既に小降りになっていて、何とかそれほど濡れずに帰宅できました。その後昼からは殆ど降り続けました。
午後5時を過ぎるともはや土砂降り。夕方からの花火大会は、この時点で中止が宣言されました。翌日天気が回復するなら催行されていたのですが、10日は災害レベルの豪雨となることが予報されていたからです。そして実際、天候はまったく手加減しませんでした。山口県西部の山陽側地域全てが線上降水帯に入るという恐らく初めての事態となり、市内でも道路の冠水や斜面の崩落が起きました。うちも下の道に泥が流れ出ました。
これを書いている現在11日も雨で、午前中だけ小康状態で今も降っています。明日12日も雨予報で13日から次第に天気が回復する見込みです。イベントを企画していた人たちを含めて休みどころじゃない酷い連休に終わりました。花火大会は順延ではなく中止で、今年度の開催はありません。7月に実施しておけば良かったというのは結果論です。しかし個人的には、何か考え直す余地がある企画やイベントは、どう頑張ってもまた悪天候など不測の事態に見舞われてしまうという根拠のない因果法則を信奉します。俗に言えば「やるな。止めておけ」ってことです。
こういう根拠のない法則が適合しているように見えるのは、順調に事が運んだときのことは忘れやすく、さんざんな目に遭ったときのことは記憶に焼き付くからです。私の場合「雨が降るかも知れない」「もし降ったら困るなあ」なんて心配すると、ほぼ間違いなく雨が降ります。いくら根拠がなくても私は目に見えないモノが及ぼす力を否定しないスタンスです。
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暑い方がアクティブになる?
7月入りして早々に梅雨が明けた後、雨は申し訳程度にしか降っていません。朝からほぼまったく雨の心配が要らない天気が続いています。私が何かイベント企画すればお約束のように当日雨になっていたのが信じられないくらい。今なら青空が広がり日差しが強すぎて危険な暑さでお散歩イベントどころじゃないってなりそうです。だからと言って終日アジトに籠もるとか必要最小限の仕事による外出に限定しているわけではありません。外出の手段は常に自転車なので、車と違って小回りの利く自転車なら定例業務のついでに写真を撮っておこうという気になります。そして実際、今みたいな青空が広がり太陽が照りつける危険な天候の方が撮影には向いているのです。光量が多ければ、太陽を背負ったアングルの写真は見映えします。
6月の撮影枚数は1,800枚を割り込んでいましたが、今月は22日の時点で2,400枚を超えています。撮り直しばかりでなく新規物件の発見もありました。写真は昔府県道が通っていた床波のある踏切跡地です。ここで未解決物件の新たな手がかりが見つかりました。
ここでの報告が追い付いていないだけで、対外的活動は頻度が高くなってきています。宇部マニNEWSでは18日に収録した商店街散歩動画の配信が始まりましたし、同じ21日に隧道どうでしょうのシーズン8が放映開始しました。当の本人が演じているので、どんなのが流れているかは分かっています。今回は隧道の濃さもさることながら、宇部マニさんのかなり濃い生態が視聴者の皆様の脳裏に焼き付けられることになりそうです。トラウマにならないで下さいまし…

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いくつかを諦めなければ前に進めない
更新履歴からも分かるように、気力の続く間過去の画像が飛んだ記事を修復し続けています。鉄道カテゴリの駅や道路カテゴリの橋などはかなり元通りになりました。単一記事が多く、当該ページの画像を仕上げれば済むからです。他方、時系列記事は画像が多いため修復はもの凄く面倒です。多方面からの被リンクが多い記事も同様です。ここまで道路関連の記事はかなり頑張って修復しましたが、さすがにキリがなくそろそろ気力が削がれてきました。今更文句を言っても始まらないんだけど、Microsoft OneDrive がキチンとした手順で改訂をやってくれればこんなアホみたいな作業をやらなくて済んだのです。何か新しい記事が生まれるわけでもなく、やらなければマイナス状態にあるものが時間を掛けて元通り(ゼロの状態)になるだけです。まだまだ手つかずで画像が飛んでいる記事群が大量にあることが分かり、そろそろ腹をくくるべき時が来ました。
そういうわけで、遺憾ながらときわ公園関連の殆どの記事、常盤池や夫婦池の探索を行った時系列記事のすべてを削除しました。ときわ公園のリニューアル以前の画像は貴重だけど、あまりにも画像枚数が多過ぎ。該当する画像を探すだけでも一苦労なのです。今後よほど必要とされる場面がない限り抹消した記事の再掲はしません。
今となっては「いたらん事をしたものだ」と思うだけですが、同じ場所の写真を撮り直したとき以前の画質が悪い画像を削除していました。このため画像リンクが飛んだ記事の中には原典画像が存在しないものが沢山見つかっています。以前は表示できていたのですから OneDrive 側には間違いなく画像があります。それを探してダウンロードして記事のあるフォルダに保存し直さなければならない。OneDrive は画像を一元管理しているので、ファイル名から延々ページ繰りして探す作業が要ります。ぶち面倒くさい。
原典画像がPC側に保存されているかどうかは、該当フォルダを開いて調べなければなりません。枚数が増えたからとサブフォルダを沢山作って仕分けしたのが裏目に出ています。開いて探すサブフォルダが多くなり、さんざっぱら探したのに見つからず、結局 OneDrive から探す有様です。画質が悪くても放置していればいいものを、ご丁寧に「復元したい画像ファイルだけ削除されていて存在しない」場面が多々ありました。
画像復旧するファイルを減らさなければキリがない。そこで内容としては面白いんだけど、画像を探す作業があまりに面倒な記事の修復を諦めました。該当記事は同期を取っているフォルダ(/ubemaniacs)から別の場所に移してミラーリングを行いました。この結果、百を超える記事が抹消されました。

そもそもホームページという発信方法がオワコン予備軍なので、やり方を洗練されたものに変えなければなりません。時系列記事を載せるのは勿体ない。調べ事なら後から編集追記することを前提とした総括記事が適しているし、映像を配信したいならテキストを交えない画像のみか動画の方が手っ取り早い。過去の画像リンクが切れた記事を十ほど修復するよりも、その時間的リソースを使って一つの新規記事を作成した方が有用です。
これを機に、多すぎるカテゴリの統合や廃止も予定しています。例えば遺構・廃物カテゴリは将来的に廃止して当該物件のカテゴリに移動します。電気カテゴリの発電所・変電所の記事も取り下げ対象として殆ど削除しました。近年ライフラインを担う設備の撮影自体が忌避される傾向にあるからです。それらがなくなっても文化カテゴリに新たなセクションが大量に作成されることで穴埋めになるでしょう。
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意外にもどうにかなっている
部屋のエアコンが無事に修理された後、2日くらいエアコンなしで過ごせる涼しい日でした。ところが予想外に早い梅雨明け宣言で途端に気温が急上昇。27日の夕方は疲れていたこともあってエアコン入れっ放しで寝ていました。車に関しては、週始めに任意保険を解約しました。7月末が満期だったので僅かばかり返戻金がでる予定です。現代人はクルマ依存なので廃車にして車がないままということはおよそ考え難いでしょう。しかし次の車が見つかるまで保険を放置することもなく、中断手続きができることを知りました。最長10年間、現在の等級などの条件を保持したまま中断できます。廃車手続きを行って車が手元にない証明書を添付すれば、再び乗り始めたとき申請し直せます。
車がなくても以前から自転車に乗っていたので、業務などの移動手段が自転車に置き換わるだけです。職場などの往来に困るのではという心配をされがちですが、好きなときに遠方へ出掛けられないというだけです。雨天と夜間さえ避ければ何とかなります。昨日は西岐波区萩原まで自転車で往復して定例業務をこなし、それ故にちょっと疲れてエアコンを点けて早寝したのでした。
買い物も2リットルのペットボトルなど買えなくなるかもと心配していました。幸い、古くなって処分した代わりに新調したショルダーバッグが充分に大きいのが役立ちました。2リットルのペットボトルがそのまま2本入ります。これと軽いものを入れたマイバッグを肩から掛ければ、自転車でも余裕でした。
外出頻度が下がったのは確かです。夜8時過ぎを狙って半額シールを漁りに買い物へ行くことがなくなりました。自転車のライトを点けてまで出ようとは思わない。このお陰で今月の食費は通常月の半分くらいで収まっています。荷物になるので菓子やジュースを買う頻度も激減しました。鈍っていた足腰が鍛えられ食費も抑えられて良かったかも。
もし見つかるなら次の車の候補もマニュアル車で探してもらっています。今すぐ車がなければ困るような生活体系じゃないので、約一ヶ月程度探してもらってどうしても見つからなければAT車で目星をつけている車にします。以前はワゴンRに乗っていたので同種がベストですが、マニュアル車で価格が安ければ色や車種は問いません。自転車が積めなくても諦めます。次に見つかる車がほぼ間違いなく最後のマイカーになるでしょう。
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「形あるものが一斉に壊れゆく」フェーズ
形あるものがいつか壊れることは自明の理ですが、ジワジワとではなくあるとき一斉に壊れられると日常生活に支障を来します。今の時期、現代社会においてはマトモに動いてくれて当然、故障したらエラいことになるものが同時に2つ壊れました。一つは自動車。かなり長く乗ってきたから致し方ないけど、ラジエーターだけでなくエンジンそのものが再起不能状態にあることが判明しました。当初ラジエーターの交換で乗り切れると判断されたために、新品のラジエーターを4万円超出して購入してそのまま廃車となる最悪のケースに陥りました。このため現在車がないので生活圏が大幅に制限されています。次の車がいつ頃見つかるか、どの位のコストがかかるかは不明です。
廃車が確定的になったのとほぼ同時期に、部屋のエアコンが壊れました。除湿も冷房も効かず送風しかできない始末です。このため中旬頃に気温が上がったときは部屋に居られませんでした。現在住んでいるアジトは2階の間借りで、エアコンはこの部屋の備品です。だから自腹を切る必要はなかったにしても、工事業者との連絡がすれ違いばかりで大幅に遅れました。どうしても応対できないときに電話が鳴り、こちらから掛け直そうとすると相手に繋がらない。発信元が私の大嫌い
なナビダイアルなんですよね。あれはロクすっぽ繋がらない上に通話料だけぼったくられる最低最悪なサービスです。昨日のこと漸く業者と連絡がとれて、小一時間程度の作業で正常になりました。冷媒が抜けて殆ど残っていなかったとのこと。ガスを充填して室内機をゴッソリ丸ごと交換しました。材料費、出張費、技術料と税金込みで何と7万円!たった8年で壊れて修理代がこれなら、新しいのを購入した方が良かったかもと大家さんがぼやくのも頷けました。
(写真は修理の過程で取り外された室内の熱交換器)
7月とか8月に入る前でまだ良かった。今は室温25度なのでエアコン無しで充分にやり過ごせます。だけど暑い時期はどうなるかと思いましたよ。昼間はエアコンの効いている市立図書館とかに移動できても、夜寝るのは暑いとどうしようもない。車でエアコンかけて寝るとか誰かの家に移動するとかもできません。
車がないので遠距離の移動だけでなく、重たいものを買うことができません。このため買い物の頻度が激減しています。雨が降れば徒歩で出歩く以外なく、来週から数日間雨予報です。まさか私が壊れるわけにはいかないので、これを機に食べる量を大幅に減らして買い物を少なくします。しかし部屋に缶詰状態を余儀なくされたことで、ホームページの画像修復作業や新規記事の制作作業が進みました。ライフスタイルが変わるかも知れないこの連発故障事例を逆手にとって、健康的な生活改善に取り組みます。
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「デジタル小字絵図」を作成しています
先月末、コラム Vol.108題材として紹介した妻崎駅の追加写真を撮りに行ったとき、周辺にある既知の物件の写真も撮り直してきました。それらは昔ながらの地名が観察できる点で共通しています。小字(こあざ)と呼ばれるそれらを地図上に重ね描きした資料が小字絵図であり、過去に資料の閲覧とカメラ接写の申請を行っていて手元に市内殆どの地区のデータがあります。住居表示化が進んだ現在では、小字は一部が自治会の通称名などに遺る程度で殆ど表に出てきません。しかし平成以前の書籍にはよく見られ、殊に昭和中期以前の史料では所在地として普通に書かれているので、小字が現在のどの辺りを示すのか理解していなければ場所が分からない事態がでてきます。このため郷土関連の歴史を紐解くにあたっては参照頻度の高い客観資料と言えます。
小字絵図は閲覧申請を要する郷土資料なので、いつでも簡単に見ることはできません。更に一枚モノの青焼きなので閲覧も大変です。そこで過去に採取した接写画像から地理院地図の上載せ機能を使って各地区の小字絵図をデジタル化する取り組みを行っています。現在は最近訪れた原地区周辺の絵図をデジタル変換する作業を行っています。
これは最近始めたものではなく、過去に沖宇部・中宇部・小串エリアの変換を終えています。重要度が高いことは分かっていますが、作業にもの凄い根気が要ります。小字絵図を表示させて字境界を実線で描き、小字名を書き込みます。3日くらい前から始めて延べ8時間くらいかかってまだ東須恵の原地区周辺が書き上がっただけです。そこから出力させた画像データを載せておきます。

上載せデータは geojson ファイルに保存されます。これは座標や図形を数値に変換したテキストデータで、作成に手間がかかってもファイルサイズは極めて軽量です。市道の総括記事でも経路の表現に使っています。
記録された geojson ファイルを地理院地図にドラッグ&ドロップすれば、すぐに小字絵図が再現されます。更にこれを携行可能なマップや小冊子に印刷することも考えています。作成し始めて中途にすると次回再開するとき何処までやったか分からなくなるので、現在着手している大字東須恵は最低限仕上げます。殆どの人には役に立ちませんが、郷土題材を深く掘り下げたい人々にとって「待ち望まれていた客観資料」となることを目標にしています。
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”新川発祥の地”の歴史的エリア整備に期待したい
今年の5月の連休は、祭りやイベントが集中する3〜5日が好天に恵まれました。連休最終日の6日は朝から雨で、自宅でゆっくり過ごした人も多かったと思います。天気の良かった4日と5日に連続で市内の写真を撮ってきました。4日はかなりの距離を自転車押し歩きして撮影し、帰宅後して眠くなるほど疲れていましたが、一晩寝ると完全に回復していました。それで5日も自転車で市役所まで乗り付け、歩行者天国の常盤通りを歩き回りました。
去年に続き、今年も旧新川橋の上で執り行われた御神幸祭の様子を撮影しました。午後1時に中津瀬神社を出発し、概ね15分後に到着すると聞いていたので先回りして現地に居ました。
この場所で行うのは、最初期の中津瀬神社がこの近辺にあったことに依ります。
申し訳ないけど新川市祭りの他の会場は殆ど写真を撮っていません。祭りを観に来ている人が沢山撮っているから、私は撮らなくていいという毎度ながらの考えです。御神幸祭が新川市祭りの本質なので、後で記事を書くときのためにも丁寧に撮っています。
ヒストリア宇部の横、旧新川橋の東岸側を個人的に”新川発祥の地”と勝手呼称しています。そして昨日のこと、常盤通りと市役所2期棟整備が一段落した後、ヒストリア宇部の前の国道部分を整備する折に隣接する真締川公園のこの辺りを歴史ゾーンとして整備するという話を聞きました。その構成要素として中津瀬神社に据えられている新川疏通壱百年紀年碑と新川橋の親柱が挙げられています。これは非公式な又聞き情報ですが、永年の懸念材料だった初代新川橋の親柱の里帰り問題が解決するかも知れないと期待しています。
親柱は、一部で知られているように島地区の旧郷土資料館横に仮置きされています。関係者と交渉し、私が2016年に自費で工事業者を雇って現地から引き抜き搬入したものです。救出した初期の段階から仮置きの場所と認識し、本来あった場所へ戻すべきと考えていました。今度こそ”良い形で”進んで欲しいところです。
新川発祥の地や中津瀬神社の移転などについては、小冊子「新川のほとり」に客観資料を添えて詳しく記述しています。宣伝するのが嫌だから書かないだけで、まだ在庫はあります。ご用命はリンク先を参照ください。
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隧道どうでしょう・シーズンVII第2幕始まりました
冷やし中華始まりましたみたいなノリですが、14日から第2幕の放映が始まりました。第1幕は先行して去年に放映しています。山口小郡文化資料館で鉄道関連の展示があるのに合わせてロケをしたため、展示が終わるまでに放映を急いだからです。第2幕ではいつもの隧道メンバーで山口市内のある物件を訪れますが、そこで隧道の情報提供仕掛け人がデビューします。今回は隧道(正確には拱橋)の中で真実チャンが作詞作曲した「トンネル隧子」を披露する場面がありました。
これはそのときのテレビ画面接写画像です。
情報の仕掛け人は、実のところシーズンVの清水橋りょうの提供者でした。番組の視聴者さんで、特に隧道をはじめとする構造物に関しては「宇部マニさんが感染させてしまった」こととなっております。
第2幕は27日まで放映され、翌日からは第2幕でもう一箇所訪れた物件について紹介される予定です。
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興味の対象を市内に限定する理由を感じない
およそ宇部マニアックスを標榜している位ですから、宇部に関するいろいろなことを調べて知見を深めているのは事実です。しかし逆は成り立ちません。そのことは初期の段階からトンネルやダムに関しては市外でも記事や撮影の対象にすると明言してありました。最近の興味の動向は、もっと概念的なものに向かっています。市外にある何かの物件を観に行くというのではなく、地図で示される市外のある場所にはどんな眺めが拡がっているのかを調べてくるという塩梅です。最近、翌日から天気が崩れるという予報に駆られて市外のある海沿いの地区を訪れて撮影してきました。
どんなアクションを起こすにも「してみたい」という感情があれば充分で、何故そうなのかという理由など不要ということをもはや知っています。そのアクションによって起きた結果を受け入れられるなら、人は何をしても構わないのです。これは考えられる中でもっとも緩い行動規範です。そこから得られたプラスな情報は、独り占めにせず共有したくなります。これも何故そうなのかは理解できていて、元から「人は知っていることを誰かに教えたがる生物」だからです。
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OneDrive画像リンク全てが「死亡」しました
以前から画像が表示されなくなる現象に気付いており、主要な記事から実画像に置き換える作業を続けていました。数日前のこと間上発電所の時系列記事を紹介しようと閲覧したとき、全てが画像エラーになっているのを見つけました。そして悪い予感がしていた通り、OneDrive から画像をリモート参照していたリンクのすべてが無効化されたことが判明しました。公的なアナウンスはありませんが、リモート参照していた記事のどれもが画像を表示しません。ここに過去援用していた OneDrive 画像リンクのすべてが完全に無効化されたことを確認しました。下はエラーで画像が表示されなくなった記事の一部分です。

もし自前のホームページスペースを持たず従来通りの方式で運用していたなら、このホームページは長文だらけでただの一枚の画像も表示しないクソサイトに落ちぶれてしまっていたことを意味します。ああ、敢えて言います。一面にリンク切れしてただの一枚の画像も表示しないサイトなどクソサイトです。閲覧に値しません。どんなに熱心で丁寧な解説文をつけていようが同様です。OneDrive時代から不安を感じていて、過去にはその時が来たらホームページを閉鎖すると明言していました。
幸いその兆候が分かっていたので、有償のホームページスペースに移行してからはローカルに画像を置く方式に転換するだけでなく既存の OneDrive 画像参照記事も同様の方式に置き換えていました。したがってホームページスペースが確保されてから以降の多くの記事は正常に閲覧できます。しかし初期にはあまりにも精力的に記事を制作してしまい、その全てがリンク切れ記事です。その数は優に1,500ファイル以上あり、手作業でローカル参照に置き換えるのは大変です。数を減らさなければなりません。
去年から行っていた修復作業のときと同様に、遺憾ながらいくつかの条件に合致する記事は修復せずに取り下げます。重要度が低かったり、記述された現物が消滅していたり、私的物件に関する物件の記事です。未公開記事、限定公開記事、書きかけのまま放置されていた記事も無条件に削除します。画像エラーが起きている記事をそのまま放置すると、サイトのページランク自体を下げられます。だから当然対処しますが、3月末の今それをやるには他にすべきことが多すぎます。それでも時間がかかろうが画像エラー記事がひとつも無くなるまでかならず対処しますから暫くお待ち下さい。
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タスクを詰め込み過ぎない生活
年が明けてからロクに記事を更新していません。そんなに忙しいわけではなく、むしろ「忙しい」という語が嫌いで使いたくないのですが、定例業務を含めてこなすべきタスクが多かったのも確かです。先ほど去年いろいろと”やらかした”事件や事故の一般記事を公開しました。ここ一年で環境が急速に変わったように感じます。2023年から2024年への変化と、2024年から2025年への変化が倍以上違います。私だけでなく周囲の他の人に訊いても体調不良を訴える人が居ました。
遊びでも仕事でも屋外の活動時間が長いと、疲労を感じるようになりました。そういう日は日付が変わる前に寝てしまうこともあります。これは身体が休養しろと命令を発しているので、そのサインに従っています。
写真を撮りに出かける頻度は、かなり低くなりました。去年の自転車転落事件でカメラを破損し修理もできず納得のいく写真が撮れないので、撮影自体がそれほど愉しいものでなくなったのも理由です。それでも2月度のコラム向けには村松の海岸を撮りに行きました。
コラムの公開日には岡藤氏の撮影で同じ場所を訪れ、現地解説を交えたニュース向け映像が採取されました。トーク題材は3月最初の月曜日に、村松海岸などの映像は3月中旬より公開される予定です。私も機器が整うなら同様に映像つきでの現地解説動画を採取するかも。
こういった大きなアクションは、現在では一日に一つを原則としています。終わって買い物くらいなら行くけど、同じ日に会議や定例業務を詰め込んだりはしません。無理をすると壊れやすくなるので、なるべく永く同種の活動が続けられるように節制しようと思います。
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新しい眼鏡を買いました
「やっと買った」という感じです。昭和世代は概して身の回りのモノは壊れるまで使い、壊れてから初めて新しいものを買う習慣が身についているからです。年末から年明けにかけて見え方が格段に悪化しました。視力というよりはモノの見え方の変化です。ディスプレーの文字に焦点が合わず奇妙に彩色されてぼやけた状態で見えるのです。眼鏡のせいもあると思っていました。レンズの擦り傷が酷く、掛けていてもすぐ分かるし目障りな位だからです。
昔と異なり今では眼鏡は格安かつ短時間で満足のいくものが入手できると聞いて、ある店に行きました。その場で視力検査し、好みのフレームを選びます。約1時間後に仕上がるということで、粉雪が舞う中近くのスーパーまで歩いて買い物に行きました。
これが新旧2つの眼鏡。
手前のものが今日作ったものです。フレームは薄紫色です。薄紫は持ち色なので、この色とフォルムで即決しました。
レンズは特殊加工無しなので驚愕の0円。フレーム代のみです。暫く使ってみてもう一つ作っておいても良いかなと思える価格でした。効率化と技術の進歩もあるけど、この店を紹介してくれたある人によれば、眼鏡は原価がとても安い商品らしい。個人の店なら2〜3万円はしていたし、初期は一度作れば永く使えるものだからと迷うことなく作っていました。暫く使ってみて問題なければ、今まで使っていた擦り傷だらけの眼鏡をクルマに常備しておいて非常用のサブに格下げします。
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新年を迎える都度必要な作業があります
2025年の幕開けも去年と同じ場所で迎えました。写真はカウントダウン直後の餅撒きの場面です。私も数個拾って帰りました。
今年に関しては、例年以上に新しい年を言祝ぐよりも私を含めて周りの人たちが安泰に新しい年を迎えられた安堵の気持ちがありました。去年の後半は特に命に関わる事故や不具合が相次ぎ、健康や体調にすっかり自信を失っていました。新しい年は、それまでの状態や気持ちにリセットをかけるのに好都合です。
新しい年を迎えて最初にすることが私の中で概ね決まっています。ホームページを始めとするデジタルデータ管理が代表格で、大抵が年単位でファイルを作成しているので 2025年用を一斉に作成します。このお知らせ履歴で言えば去年のファイル(info2024.htm)をコピーして info2025.htm にリネームし、年単位で参照するリンクも書き換えます。更新履歴ファイルも同様です。
この他に画像ファイルの増減管理は表計算フォーマットで作成しているので、2024年のシートをコピーし2025年を作成します。家計簿ファイルは毎月を12枚のシートで作成しているので、ブックをコピーして計算部分を残して記述を消去して使います。
まったく時代遅れと言うよりは時代錯誤に近いうちのホームページですが、一頃は表示されなくなった画像を含むページの修復を集中的に行ったように時代に合わないから取り下げるなんて気持ちはありません。むしろ最近はSNSよりもホームページや紙媒体など異なる種の情報配信にシフトしつつあります。特にFBに関しては去年の半ば頃から明白に閲覧者が減少しており、投稿頻度が下がっています。年が変わって新しいファイルを作成するように、また新しい世界へ移行すべき時期が来ているように感じています。
(「お知らせの履歴・2024年」へ)