井戸

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記事作成日:2019/12/6
最終編集日:2022/10/24
ここでは、市内において観察される井戸について記述する。
写真は浜田地区にある共同井戸。手押しポンプがそのまま遺っている珍しい例。
この共同井戸は2021年までに取り除かれ既に存在しない


この総括記事は急速になくなっていく井戸の市内における分布や形態の記録が主な目的であり、居住者のある民家に存在する井戸は(取材許可が得られたものを除いて)含めていない。また、竪坑を掘削して水を得る以外の形態のものについては「その他の形態」に記述している。井戸の一般的事項については[a1]を参照されたい。
出典および編集追記:

a1.「Wikipedia - 井戸
《 外観による分類 》
地下水面に到達するまで竪坑を掘削する点で共通するが、井戸側をどのように補強するかによる区別がある。
【 素掘り 】
竪坑を掘削したままの状態で井戸側を自然な土壁で代用するものである。
写真は上部のみ石材で囲われている素掘りの井戸の例。


最初期の井戸や短期居住地で一時的に水を確保するために掘られた井戸にみられる。この場合でも地上に面する部分がそのままだと崩れてしまうので、この部分だけ棒状の石材を井桁に組み合わせて補強したものが殆どである。
【 石材による補強 】
石材を円筒状に積み上げて井戸側を補強したもので、古くから用いられている井戸ではもっとも一般的である。


石材は石垣などに用いられる間知石よりもやや大きな直方体をしたもので出来ている。地表部まで円形となっているものは少なく、蓋掛けを容易にする目的などから上部は長方形の石材を配置して正方形に誂えることが多い。近年まで用いられていた井戸はしばしば釣瓶や桶が備わっている。また、井戸自体も屋外ではなく井戸の上に建屋を造り付けて風雨から凌げる造りになっている。
【 コンクリート円筒柱による補強 】
コンクリート円筒柱を積み上げて井戸側を造るもので、後年造られたり素掘りだったものを補修した井戸に多い。


直径は前述の石材による井戸よりもやや小さく、高さ1m程度の円筒柱を積み上げた形態である。石材を積んだ井戸より浅いものが多い。素掘り井戸を補強したのではなく、最初から円筒沈下法(ピーヤ法)により施工されたものがあるかも知れない。ピーヤ法は竪坑を掘り、炭層に到達した時点で層に沿って掘り進むための竪坑施工として援用されていた。即ち円筒柱を置いてその下側を掘り、自重で沈下させる。更に竪坑内へ降りてその円筒柱の下側を掘って落下させ、その上に同種の円筒柱を据え付ける。この繰り返しにより円筒柱を造る施工法である。

最上部も井桁が組まれることはなく、概ね円筒一つ分ほど地表部に突き出た状態である。内部側面は手がかり足掛かりのない平滑なコンクリート面なので、転落した場合脱出する術がない。後述する蓋が逸失した状態で放置されている危険井戸にこのタイプが多いため注意が必要である。
【 陶管による補強 】
事例は少ないが井戸側を直径の大きな陶管で施工された事例が知られる。


施工法は前述のコンクリート円筒柱と同じである。最上部に据えられる陶管の外側に装飾がみられるものもある。
【 形態が不明なもの 】
井戸本体が近くに見当たらず、ポンプおよび導水管のみが見えているもの。現在公共に供されている井戸の多くがこの形態である。
写真は中津瀬神社にある御神水。


この井戸水は年2回の水質検査をパスしている。沖ノ山は東西に伸びる砂州であり潮水の混じらない水が得られる場所は少ない。参拝時に飲むだけでなく容器を持参して詰める人もみられる。護国神社にある維新山の銘水も蛇口を捻ることで供用され、ポンプや井戸は別のところにある。この井戸はかなり深い帯水層から採っていると言われる。
《 井戸の維持管理 》
市内に限らず新規の井戸掘削は事例がないので、ここでは主に清掃と廃用に関して記述する。

飲用として現役使用されている井戸は、定期的な水質検査と機器の正常動作確認以外には特にメンテナンスを要しない。正常な水質と量が提供されるうちは使い続ける方が井戸のためには良いと言われる。汲み揚げられることで井戸の底部周辺からの流れ込みが起きる。全く使用されなくなると井戸内部の水の入れ替わりが極めて遅くなる。井戸の中の表面水は大気に接しているため、酸素を必要とする細菌は繁殖しやすくなる。細菌の活動により生産された有機物は、異味や異臭の原因となる。

飲用に適していなくとも有害な物質が含まれていなければ、花壇への撒水など雑用水として使用できる。必要なのは汲み上げるコストだけなので、市も雑用水として現在も汲み上げを行っている井戸が存在する。
写真は市道浜通り線沿い鵜の島町にある雑用水の水源地。
同種のものは青少年会館の敷地内もあると言われている


一般家庭でも相応な広さの畑を持っている場合は、上水道を使うとコストが嵩んでしまう。灌漑用水目的での使用なら水質検査も特に必要ではないことから、井戸を活かしておくために畑の灌水など非飲用目的で使っている事例がある。
井戸浚え
井戸浚えとは使っている井戸の水を一旦空にすることで内部のごみを除去したり清掃したりする作業で、井戸替えなどとも呼ばれる。
写真は市内のある民家で数十年振りに行われた井戸浚え作業の様子。


かつては七夕や土曜の日に行う年中行事の一つと言われていたが、現役使用される井戸の絶対数が少ないため井戸浚えが行われる事例は更に稀である。

上水タンクのメンテナンスとは異なり入ってくる水を停めるバルブがないため、溜まってくる以上の速さで井戸の水を汲み出し、水位が充分に下がった短時間のうちに異物の除去や清掃作業を行うこととなる。初期には竪坑の掘削や排水対策で知見のあった炭鉱関連の仕事師が井戸浚いに携わっていたという。現代では酸欠防止のために送風ダクトを用いて底部に空気を送りながら排水ポンプで汲み出す専門業者が行っている。井戸浚えを行った直後は底質が攪乱されるので、井戸水としての使用を再開するにはある程度の時間を要する。
【 井戸仕舞い 】
井戸仕舞いとは、民家を解き除けるなどして今後使うあてのなくなった井戸を安全に処理する作業である。
写真は井戸仕舞いされた直後の井戸の例。


前述の井戸浚えとは異なり、井戸仕舞いされた後の井戸はいくつか見ているが、施工中の様子は観察したことがない。底を完全に塞がないかぎり土砂を投入して突き固めたとしても地下水が上昇してくるので、地下水面までは水に浸っても上部が沈下しない素材を充填してその上を真砂土などで締め固めるものと思われる。

処理された後の井戸には上の写真のように息継ぎ竹を挿すのが慣習となっている。涸れることのない井戸水で永らく生活が支えられてきたのは水神様のお陰であり、土砂を投入しても水の神様が窒息することのないようにと古くから行われていた。

井戸仕舞いをした後でその敷地へ新規に家を建てるような場合は、周辺を囲む石材などもすべて片付けられる。ただし念入りな井戸仕舞いを行ってもある程度は陥没することが多い。


近年では息継ぎ竹がビニルパイプで代用されることが殆どである。
《 その他の形態 》
ここでは、竪坑を掘削して用水を汲み上げる一般的な井戸とは異なるタイプの市内における利水関連機構の例を記述する。ある程度項目数がまとまったら別の総括記事へ移動する。
【 汲み川 】
泉の一形態で、請川地区に多いとされる。水の湧く場所に井戸ほど深くはない広めの窪地を造って水を貯めている。昔は地域共同の水源として活用されていたという。[b1]個人所有の敷地にいくつか遺っているようだがまだ現物は確認していない。
北原湧水
東岐波北原地区にある湧水。かつて飲用に用いられていた。形態としては泉に近い。


井戸状の桝が拵えてあるが、従来型のような井戸ではなく湧水を溜める水槽に過ぎない。南側に広範囲な高台があり、湧水のある場所は一つの沢地の末端部である。地下水位が高く沢地の水が集まりやすい地勢により、かなりの量の湧水がある。数年前に菌が検出されて以後は飲用に使われなくなったが、雑用水として汲みに来る人は居る模様。詳細はリンク先記事を参照。
《 類似する構造体 》
飲用または灌漑用水確保のための井戸ではないが、類似する構造体をもつものをまとめている。なお、関連する総括記事を作成した折りにはこれらの記述を移動する。
集水井
山中の傾斜地などに直径4〜5mの巨大な井戸をみることがある。上部は厳重にアルミ製の蓋が掛けられているが内部が覗ける。深さは十数メートルに達し、側面はスパイラル管である。
写真は国道190号小野田バイパスの労災病院入口T字路とJR小野田線跨線橋との間に存在する集水井戸。


内部にはらせん状の階段が備わり、水面まで降りることが想定されている。これは地下水位が高く斜面の崩壊リスクがある場所の水を集めて排出したり、地下水位の変動を観測する目的で造られる。詳細は暫定的に外部ブログ記事へ張られた項目リンクを参照。

その後市内でも真河内溜め池から北向き地蔵へ抜ける市道片倉浜田線沿いで見つけている。
【 浸透井戸 】
一定範囲に降った雨を排水溝へ流すのではなく、涵養目的で雨水を集めて地中に返すための構造物が設置されることがある。巨大な円錐形を呈しており、土壌よりは導水性が良い多孔表面をもつ素材(ポーラスコンクリート)で出来ている。写真は常盤公園の野外彫刻展示場。


井戸と名はつくものの実際は吸水機能を持つ雨水桝の一形態と言える。構造体として地表部に現れることはなく、完全に地中へ埋められるため施工後は埋設位置すら特定困難になる。[b2]
【 炭生(タブ) 】
集水井戸とは何の関係もない極めて特殊な事例であるが、常盤池の北部には石炭を掘り採った跡が竪坑のように遺っている場所がある。一般には炭生(タブ)と呼ばれている。


素掘りの井戸跡のように見えるかも知れないが、上部に石材などの補強物が何もないことで区別できる。殆どは経年変化で崩れて埋まっているものの、写真の炭生は竪坑の底から水の抜ける横穴を持ち、野生動物が巣穴として使うことで原形を保っている珍しい事例である。現在では転落防止の対処がされていないタブ跡は概ね存在せず、すべて囲われているか埋戻しされている。
出典および編集追記:

b1.「歴史散策かわかみ」川上校区史跡位置図

b2. 平成3年施工。設計図書で一箇所が計上されていたが現場では実際の製品や施工状況を目にしておらず設計変更で省略された可能性もある。
《 井戸の観察ポイント 》
人が生活するには清澄な水が必須であるため、上水道時代以前の人々の暮らしは水が得られる場所以外には存在し得なかった。川べりや泉が近くにある場所に住まいを構えるのでなければ井戸の存在は必須で、仮に井戸を掘って水が得られても鹹水だったり量が不十分な場合には生活拠点とならない。他方、極端に保水性の悪い砂州や海水が混じる低湿地以外では相応な水が得られるので、居能や藤曲の地山だった場所には集落があり、それぞれに井戸を持っている。
【 昔の地形の推定材料 】
これらのことより、庭先に井戸があればその場所は古くから居住者のある地山であり、少なくとも開作地ではないことが確認できる。昔の中津瀬神社のあった場所(現在のヒストリア宇部がある前)は、東西に伸びる沖ノ山の砂州でありながら比較的良質で潮水が混じらない水が得られていた事例である。もっとも相応な深さに掘削すればこのような砂州でも水は得られるようで、現在の錦町にある日切り地蔵尊でも近年まで井戸を使っていた。アスファルトなどで覆われない地面より涵養されていると推定される。
【 素材と地下水位 】
危険防止のため古い井戸は蓋がされているが、可能であれば安全を確保して内部を覗いた方が良い。前述のように内部の形態によって井戸が整備されたおよその年代を推定できる。市内でも地域によっては上水道が整備されたのが平成初期までずれ込んでいることから、昭和中期に入っても新規に井戸を掘削していた筈である。上水道が整備された地区に後から建設された民家では、一般に井戸がない。

通常の気候が続いたときの観察時に、井戸内部の水位がどの程度であるかを見ることで、当該地域の平均的な地下水位を知る目安になる。市街部でも完全に干上がっていることは稀で、一定の水位に留まっている。地下水を限定した量を得ること自体は容易だが、人が暮らすには継続して安定的な量が得られることと、飲用に適している品質であることが重要である。井戸の遺っている集落は、古くからその探索が行われてきた歴史的結果である。
《 井戸と歴史的事象 》
人の暮らしには水が必須であることから、井戸にまつわる歴史的事象が数多く存在する。
【 伝染性疾患の伝播 】
市内に限らず歴史的にみて居住者の絶対数と人口密度が高まっていった時代において、しばしば伝染性疾患が蔓延した。顕著な事例としては黒杭村における疫痢で、村そのものが消失した原因と考えられている。他の地区でも例えば西山で疫痢が大流行し、沈静化を願って人麻呂様を祀っている。

伝染性疾患の原因として、集落で共用していた井戸水の汚染が疑われる。排泄物を溜める場所が井戸の水源より充分に離れていなかったために混入したか、疫痢による死者を山奥へ埋葬あるいは棄てた後で病原体が水源に混入した可能性がある。古代は土葬だったため埋められた遺骸は長い間汚染源となり得たことが考えられる。

井戸端には洗い場が設けられていることが多く、そこで汚染された衣類を洗った水が井戸へ混入することが起こり得た。排泄物の処理に関しても普通の農家では、充分離しているとは言っても井戸がある同じ敷地内に厠を造り付けていた。肥溜めへ貯留し醸成させてから畑へ撒くべきところを、便槽より直接桶に汲んで畑へ運び散布することも行われていた。一般に灌漑用水の回せない高い場所が畑となるため、そこへ屎尿を肥料代わりに散布することで井戸水への混入が起こったかも知れない。

炭鉱で新川地区が栄えて居住者が増えてきたことにより井戸水では足らなくなり、人々は新川(真締川)の水を汲んで生活用水に使った。当然ながら当時は未だ排泄物の処理が完全ではなかった筈であり、この結果コレラが蔓延して稀に見る高い感染率をみることとなった。感染症の蔓延により安全安心な水が求められた結果、沖ノ山炭鉱が初めて近代的な水道を布設したのである。
【 渇水対策としての井戸掘削 】
前項のような人口の急増に伴う水需要が追い付かず、昭和初期に入ってもなお慢性的な水不足に苦しめられた。川上エリアに溜め池を造って水を導く案は福原時代から検討され、一部は実施された。沖ノ山炭鉱が近代的な上水道を整備した大正期以後、今の中山浄水場がある周辺に巨大な溜め池を造る計画があったことが最近の客観資料より示されている。

厚東川ダム建設以前、当座凌ぎに温見地区を流れる城ノ腰川の水量に着目し、集水井を数ヶ所掘って水を集めておいて末信水源地へ送っていた。このとき掘削された井戸は現在も2つ遺っている。


この井戸では一定の効果は得られたものの、継続して充分な水を得ることができず最終的に放棄された。
《 問題点 》
桃色レンガ塀などと同様、管理の十分に行き届いていない井戸のもたらす危険性と、水質変化や枯渇性の問題、絶対数の減少に伴う郷土資産に関する問題がある。
【 放置井戸の危険性 】
郷土資産の逸失よりも人命に直接関わるという点で、最も重要視されるべき問題である。

昔ながらの民家が解体された場合、家屋部分に関する部材はすべて撤去される。囲障にみられる塀も隣地との境界を保持する理由がなければ危険防止の観点から除却される。他方、敷地内にある井戸は埋め潰しに手間がかかること、敷地を売却するにあたって井戸を再度活用したいという買主の意向も考えてそのままにされることが多い。このため実際に売りに出されていないものも含めて古民家のあった空き地にはしばしば管理の行き届いていない危険な井戸がみられる。

使わなくなった井戸は水の溜まった壮大な竪坑である。およそ危険が想定されるため大抵は蓋がされるのだが、簡素な木製の蓋で済ませているものが多く、経年変化で割れて井戸の内部へ転落する。こうして蓋がなく開口部が露呈している古井戸が市内にいくつも観測されている。


学童の登下校路に近い場所にある古井戸は、大抵は危険性が指摘され対処されるのだが、やや離れた空き地にある井戸は長い間放置されている。井戸は小さなものでも直径が2m弱あり、梯子などは備わっていないため転落すれば大人でも脱出が極めて困難である。浅い井戸と言えども内部には水が溜まっているものが普通であり、深さは分からないものが多い。学童が興味本位で覗き込んで転落する事故の可能性が深慮されなければならない。

開口部を持つ井戸は日光が差し込むため、側面には藻が繁茂している。これは更に脱出を困難なものとする。水の入れ替わりの乏しい井戸は汚れていることが多く、転落した挙げ句に汚れた水を吸い込むと重篤な病気の原因となり得る。[c1]


このような井戸を放置して子どもの重大事故が起きれば、敷地所有者の管理責任が問われる。不動産会社が所管する物件の場合は立て札があるため誰かが通告すれば対処される余地はあるが、所有者が分からなくなっている空き地も多い。

水質の悪化で飲用は元より灌漑用にも適さなくなった井戸で歴史的価値に薄いものは、井戸仕舞いを行うべきである。再度井戸として用いる可能性がある場合や歴史的価値が認められるものは、転落事故が起きないような安全対策が求められる。

福原邸公園にある井戸には容易に動かすことができない重いコンクリート板が載せられている。
これは福原時代を伝える数少ない遺構であるため保存されている。


蓋を載せると井戸のタイプや地下水位を直接視認することができなくなるが、危険防止には致し方ないことであろう。上部に目の細かな網を張っているものもあるが、網目をすり抜けるごみが入り込み経年変化で破れる可能性もあるため充分とは言えない。
【 絶対量や水質の変化 】
近代的な上水道は水質はもちろん供給が完全に管理されており、供給困難になるほどの渇水が続けば事前に節水予告される。市民は事前に構えることができるが、井戸の場合はそうではない。日々井戸の内部を覗いて水位を管理することなど不可能であり、流入量がどうであるかは自然任せである。流入より使用量の方が上回り続けば汲み上げ困難となり最終的に枯渇することとなる。

ただし数百年レベルで以前に掘られ、充分長い年月運用されてきた井戸では供給量の実績がある。適正な使い方をしている前提で渇水期でも一度も涸れたことがないという報告が圧倒的多数である。電動ポンプで汲み上げている現役の井戸では、枯渇よりもむしろポンプ機器の故障や停電を心配すべきとも言える。

他方、井戸の水質変化は上水道ほど厳格に把握しきれない弱みがある。上水道は上水道法により規定される項目をクリアしていなければならないため、雑菌や有害物質の混入に対して安全と言える。井戸ではある時点で水質検査をクリアしていたとしても、その後近隣地域で宅地開発が進むことで土壌が攪乱されたり、居住者が畑に撒いた農薬や洗車に伴う洗剤が含まれた水が涵養されて井戸水に影響を与えることが起こり得る。地中に浸透した水が地下水位に到達し井戸へ到達するまでのサイクルや量によっては、飲用に適さない状態に汚染されることがある。
【 絶対数の減少 】
上水道以前の時代にはどの家庭も生活用水を井戸水に頼っていたので、現在でも井戸の絶対数自体は現存する古民家と同程度の量がある。しかし接道義務を満たさないため解き除けられる民家や拡げられる里道と同様、井戸も同等に減少している。まして飲用に適する水質を保ったままの井戸となれば更に少なくなる。

井戸の機構そのものは簡素なので、水質汚染の及ぶ心配が無い深山に小さなロッジを新築し、環境汚染に注意しつつ新規に井戸を掘削して飲用に供することは可能であろう。しかし基準を満たす水質で生活するに必要充分な水量が得られるとは限らないし、古民家の井戸のように今後数百年もの間枯渇することなく使える保証もない。長期にわたって飲用基準をパスし安全に使用できていた井戸の実績を重視し、その絶対数を把握した上で水質を保つ努力が必要である。

もっとも古くから存在している井戸を仕舞うのは歴史的資産を喪うことの他に作業が大変なこと、井戸の占有していた場所が解放される以上のメリットもないため、使用停止した後も安全な措置だけ施して何十年もそのまま保存されている井戸が多い。
写真は居能町にある地域の共同井戸で側面に関連する文言が彫られている


それでも近年の市街地回帰傾向により、旺盛な住宅需要から古民家や空き地の再開発が著しい。上記のような地域の用水池として造られた銘の入ったものは可能な限り郷土資産としての活用を考え、やむを得ず除却する場合も事前に丁寧な記録を取っておくことが望まれる。
《 近年の話題 》
2022年8月の新川歴史研究会定例会で、松巖園にある未使用の井戸が調査された。井戸は永らく使われておらず飲用には不適だが、水道代の節約と植物には塩素の入った水道水より井戸水の方が適していることから庭の灌水用に活用することが検討されていた。

2度目の点検時では少雨が続いており、井戸の水位が下がっていた。正方形に組み上げられた井戸の下に円形状に岩をくり貫いた部分が現れ、井戸の水は地下数メートルのところにある蛇紋岩の岩盤より下から水を採っていたことが判明した。


松巖園には古くから庭に池があり、少雨でも水位があまり下がらない。特に干上がったことは一度もないと言われる。島地区は周囲より高いそれこそ島状態の地であり、流入河川がまったくないのに古くから人が暮らすに足りる井戸水が得られていたことが解明を要する課題だった。

池の水位が下がらないのは、比較的浅いところに遮水性のある蛇紋の岩盤が存在していることに依る。この岩盤を円形状にくり貫き部分的に地下水位を上昇させて井戸水を取り出していたと考えられる。この水は、島地区の北側にある小串台からのものであろう。
出典および編集追記:

c1. ごく稀ではあるが「Wikipedia - フォーラーネグレリア」の事例がある。
温かな汚濁水に生息するアメーバで鼻から吸入することによって発症する。アメーバは脳内へ侵入し酵素で脳組織を溶かして栄養とする。症状が発生した場合殆ど助からない。数こそ少ないが国内でも死亡事例がある。昔は知見がなかっただけで、現在において夏場に水の入れ替わりの乏しい溜め池で泳ぐべきではない最大の理由と言える。経口摂取では発症しないため山の湧き水を飲用することに関して心配は要らない。また、水道水は塩素処理されておりアメーバの生息する余地がないためプールの水が鼻に入ったところで本症を心配するにあたらない。
《 個人的関わり 》
平成中期までに市内部では水道の全普及が達成されている中、現役で使われている井戸は少ない。殊に飲用に適した井戸は更に少なく、その殆どが井戸水を従来型の井戸またはボーリングによる掘削を介してポンプで汲み上げている。それ以前の手動で汲み上げていた時代を含めて記述する。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

現在の居住地にある井戸水に深刻な水質変化が起きるか再び引っ越さない限り、今後も井戸水を使い続けることになるだろう。もっとも体内に入る分は今のところお湯を要する食品(インスタントコーヒーやカップヌードルなど)のみで、飲食品全体の割合からするとかなり低いので悪影響が顕在化するのは確率の問題だろう。

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