黄幡公園

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現地踏査日:2013/4/3
記事編集日:2015/3/11
何か小難しい読み方をするのではないかと思われるだろうが、そのまま素直に黄幡(おうばん)と読む。
公園の位置図を下に示す。


黄幡公園についてあらかじめご存じの読者は別として、高低差の情報が間引かれる市街部のこの地図を眺めただけでは実際と異なるイメージになると思う。
公園部分が黄緑色で表されているが、この部分は普通の児童公園のように平坦ではなく小さな丘となっている。
これに対し南西に見えている蛭子公園はほぼ完全にフラットである

一応公園としての機能は備わっている。子どもが遊ぶための遊具があり近くにはトイレもある。しかし元々は後述するように神々を祀った場所であった。
周知の通り、寺院仏閣関連は当サイトにおいて物件の対象外としている。そこで公園として掲載した。それと言うのも春の一時期においては、市内の他のどの公園よりも優れた特性を持っているからだ。

浜バイパス(市道北琴芝鍋倉町線)に接続する交差点。
黄幡公園の入口自体は市道島下条線に面している。


上の写真からもおよそ想像されることだろう。
サクラが極めて美しい公園。
普段はあまり子どもたちも立ち寄らないひっそりとした公園だ。ところがサクラの時期だけは一段と光り輝いている。その咲きっぷりはすぐ前を通る浜バイパスからも極めて目立ち、かなりのドライバーのよそ見運転を惹起しているだろう。
申し訳ない…時期が近づくと私も咲き具合を知ろうとしょっちゅうチラ見している^^;

この交差点から10m程度入ったところに入口がある。
車は入れない…残念ながらこの公園には元から駐車場はない。
スロープがあるので自転車も押し歩きを推奨する立て札が出ている


公園は周囲より5m程度高い丘の上にあり、穏やかなスロープで繋がっている。そして浜通りに面する部分と公園の斜面にサクラの木が植わっており、その咲き方は観るだけでも幸せな気持ちにさせてくれる。

この公園にサクラの本数が特に多いというわけではない。しかし咲き方に勢いがある。


スロープの途中から振り返って撮影している。
傍目にもサクラの枝が花の重みで撓んでいるようにさえ見える。


八重桜は枝にみっしりとすし詰め状態で咲く品種であることに違いはないが、黄幡公園のサクラは異様なほど目立っている。道路沿いで目立つのが一番の理由だろうが、その他にも丘の斜面に植わっているためにどの樹も良好な日射を享受できるのも一因ではないだろうか。

スロープと浜バイパスの歩道の間の斜面にも植えられている。
満開状態だと道路を行き交う車も隠れてしまうほどだ。


スロープを上りきると真砂土の敷かれた広場に出てくる。
精々30m四方程度の広さだ。


浜バイパスに面した歩道から階段で上がればスロープの上部に出てくる。
隣接する平屋は市の小串土地区画整理事務所だ。
一般市民はまず出入りする機会はないだろう


満開ながら公園に人の姿が全く見受けられないように思われるだろう。それは誤りだ。写真を撮るために敢えて人が少ない平日の昼間に来ているのだが、ブルーシートを敷いて談笑したり子どもを遊具で遊ばせている来園者が少なくとも4組あった。

その他の入口として北側から上ってくる階段もある。
鳥居が設置されていることから、かつてはこちら側が正面だったのかも知れない。


青空をバックに下から見上げるように撮影。
コントラストが美しい。


この鳥居の横と正対する場所に子ども向けの遊具が置かれている。
正面から入って一番奥に公園の由来を示す説明板が建っている。


鵜ノ島開作の初期に祀られたというから由来は極めて古い。灌漑用水を確保し田畑が広がり人が住むようになった頃まで遡る。
明治期に一旦は琴崎八幡宮へ合祀されたが、大正末期に再び黄幡社として祀られることとなった、とある。


明治期に政府による神社整理の勅令によって琴崎八幡宮へ合祀されたとあるのは、創立の由来がはっきりせず当時邪社とみなされ廃せられかねなかったからのようだ。[1]
大正末期に再び廃社の危機に晒されることとなったらしい

黄幡とは聞き慣れない言葉で通常の辞書変換ではまず現れない。黄幡の神は中国地方で目立ち、特に広島県、山口県に多いとされる。王馬とも呼ばれることから、農耕に使われる牛や馬に関するものではないかと考えられている。[1]
鵜の島の開作によって農耕が盛んになれば一人役以上の労力を提供してくれる牛馬が大事に扱われた筈で、丁重に弔う風習が生まれる背景があったと言えそうだ。

ちょっと思うところあって祠のある一角へ入ってみた。


この一番奥から公園の入口部分を撮影している。
目測でも浜バイパスからは家屋一軒分程度は高い。


この高低差を埋める部分がどうなっているかというと…
露岩になっていた。


公園の正面入口からスロープを上ればこの地勢は殆ど意識されない。予備知識がなければ、黄幡社を公園にするために後年バリアフリーを意識して全体に真砂土を盛って緩やかなスロープを拵えた…と考えてしまうだろう。
スロープ部分に関してはそうかも知れないが、公園全体としてはそうではない。

ここから塀を乗り越えて降りるなど畏れ多いので、行儀の悪いことをせず一旦スロープを経て公園入口前に降りてきた。
よく観察すれば…確かに露岩だ。しかし雑草に覆われていて普通の土のようにも見える。


祠の外側へ近づくように斜面を登っていく。
この辺りになればかなり明白だろう。


黄幡公園が浜バイパスを含めて周囲より一段高くなっているのは、元からそういう地形だからだ。遙か昔、まだ鵜の島地区周辺の開作が進む以前は島だったとされる。

「鵜の島」という地名からも理解される通り、かつては本当に島があった。即ち黄幡社のあるこの小さな高台、旧市立図書館があった島地区、そして鵜ノ島の3つの島が存在していたという。鵜ノ島は家屋一軒分程度の高さをもつ島で現在の百菜屋若松店付近にあったとされるが、昭和期に入って産業道路を通すとき削られ道路の砕石材として転用されることで消失した。[1]

公園にサクラが植えられている以上、植栽に適した土を盛っているだろう。また公園部分には化粧真砂が敷かれている。しかしこの近辺に見えている露岩群は、公園整備のため多少移動された可能性はあるにせよ昔からここに在った岩だ。

地学の知見がないので岩の種類など精確なことは分からないが、鍋倉山に観られる露岩と同一の外観である。
傍には曰くありげな石柱が一つ転がっていた。


さて、毎度ながらのちょっとコアなところまで突っ込んだ後は、また一市民としてサクラを愛でようではないか…

公園入口に立っていた一本を撮影。
背後の青い空、緑色の草地が好適なアクセントだ。


公園の外からだって堪能できる。
浜バイパスの歩道からの眺めも壮観だ。


小串土地区画整理庁舎の前に黄幡公園前バス停がある。浜バイパスにバス路線が新規設定された数年前に造られたバス停だ。
歩道に隣接してトイレがあり、公園からも近い。


このように公園としては大変こぢんまりしているのだが、日頃から仕事や遊びでよく通る浜バイパスからはとても目立ち、毎年この時期だけは他のどの公園よりも輝いて見える。
《 個人的関わり 》
浜バイパスを激しく往来する車を見ていると市街部の築山のように思えるが、小串の区画整理以前は公園の南側には道がなく、やや東西に長い丘陵部だったようである。
高校生の通学時代は浜バイパスは小松原通りまでしか通じておらずこの近辺を訪れた経験が皆無なため以前の状態は分からない。現在とは道筋がかなり変わっているという指摘がある。[2]

黄幡公園の存在を知ったのは、社会人になって付き合い始めた彼女に連れられサクラを観に行ったのが最初である。当時は唐戸に住んでいて歩いて行ける距離にあったせいか黄幡公園を知っていた。
既に浜バイパスは舗装まで完了していたが供用はされていなかった

アジトを野山から街中へ移してから私は毎年サクラの時期になると必ずこの公園を訪れている。黄幡社の創設者からすれば違った目的で賑わっている現状に困惑されるかも知れないが、サクラの隠れた名所として多くの市民に愛され親しまれるなら、公園としての冥利に尽きると言えるのではないだろうか。
《 記事公開後の変化 》
2014年の夏までに公園の東側に隣接した小串土地区画整理事務所が閉鎖され、その後建物が取り壊された上に敷地全体も民間企業に売却された。同年8月から跡地に学生向けの宇部下条マンション(仮称)として建設が始まった。2015年上四半期に完成し入居が始まっている。

以前は休日閉まっている小串土地区画整理事務所の前面駐車場に車を置く花見客が散見されたが現在は車を置けるスペースがなくなったので注意されたい。
出典および編集追記:

* 拡大画像を取り除きました。(2015/3/14)

1.「ふるさと歴史散歩」p.34 による。
黄幡公園の北側には小串北向地蔵尊があり、かつては寂しい場所で牛馬の足や首が現れたので弔うために祀ったとされている。

2.「FBページ|2015/4/1の投稿(要ログイン)

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