白岩公園・主要な物件一覧

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記事作成日:2014/9/23
ここでは、白岩公園およびその近辺に見つかっている主要な遺構や構造物などを項目毎に掲載している。

著名な物件は白岩公園の総括記事にもマップを載せているので、本編は物件一覧の総括として公開後も随時編集追記する。当面は主要な物件の写真一枚と概要を記述し、物件名からは今まで掲載された踏査記録の該当箇所をリンクする。物件には小井戸など素性がよく分かっていないものもあるので、それらに関して新たな知見が得られた折には公開済みの踏査記録は加筆せず、当該物件の単一記事を作成して記述し項目名にリンクで案内する。

以下は本記事の最終編集日時点までの踏査結果を反映させた全体マップである。
以前のマップはこちら


本記事を作成する現在においても白岩公園の精確な範囲がハッキリとは分かっていない。これまで知られた遺構の分布状況より南端は倒木峠を通る東西のピークライン、北端は門前池から導かれる小用水路、東西の端は県道から面河内池へ至る管理道およびかつての宇部興産(株)特別高圧線付近と考えている。
また、これまでに行われてきた踏査の慣習的な足取りと遺構の種類により白岩公園と考えられている区域の中央を南北に貫くメインの道を中心に西区域、東区域に分けている。当初作成されたマップに現れる物件は白岩公園と直接の関連性がないかも知れないものも含めて掲載している。[1]

マップに記載された物件のうち書籍などで公にされていないものは当サイトにおける暫定的な名称(いわゆる「勝手呼称」)を与えている。
このマップでも石材が散らばっている場所など細かな物件はなお記述しきれていない。将来的にはメインの参道を中心とした西区域と東区域に分割し更に拡大した地図を作成する予定である。

《 西区域 》
メインの道のうち門前池から導かれる小水路を離れて南北に貫く経路を境とした西側の領域である。白岩公園の中核的領域で主要な作品の殆どがここに集中している。
公園領域の境界は不明だが、暫定的に北側は倒木峠を通る稜線、西側の端は特別高圧線跡としている。

法篋印塔
西側区域のもっとも高い場所の一角に平地を設けて設置されている石塔。
法篋印塔自体は珍しいものではなく全国に散在するが、そのサイズと緻密さにおいて歴史的遺構としての価値が極めて高い。


後述する子安弘法大師と共に西側区域の一角に平地を設けて設置されている。塔の前に手水石が置かれており上段には登らず鑑賞されていたようである。主要な遺構の分布する東区域の最高地点に設置されていることから、白岩公園の最も重要な遺構と考えている。

【 子安弘法大師像 】
法篋印塔のすぐ右隣に設置されている立像と礼拝所の遺構。
立像は台座部分から上が失われ鉄の骨材とコンクリート塊だけが遺っている。礼拝所も基礎部分を遺すのみとなっている。


かつての立像は鉛製で、後年盗難に遭って喪われたとされている。

【 石灯籠 】
法篋印塔のある平地の端に設置されている。設置年月など文字は何も刻まれていない。法篋印塔や子安弘法大師などと同時期に設置された。[4]


平地には石材のベンチが設置されている。

【 八丁岩 】
下池のある中央広場から見上げる位置にある岩。恐らく白岩公園内で最大の大きさである。
岩の南側を割って造られた平面部分には渡邊祐策による「大自然」の文字、側面の自然岩部分には白岩公園の景観を讃える短歌が刻まれている。殊に大自然の文字が刻まれた部分を指して「大自然碑」と呼ばれることもある。


渡邊祐策翁との関わりにより白岩公園においてもっとも著名な作品であり、白岩公園を紹介する書籍の写真ではかならず掲載される。
上部は八畳近い平坦な部分を持ち、遠足で訪問したときこの上に座って弁当を拡げたという方も多い。

【 開設記念塔 】
八丁岩のすぐ傍にある大岩上に設置された五重塔で、新四國八十八箇所奥之院の銘があることから、藤山八十八箇所の開設を記念する塔という位置づけがされている。


自重のみで塔全体を安定させられるとは考え難いので、脚はアンカーにより台座部分の岩へ接続されていると思われる。上部の水煙は経年変化で折れて八丁岩の下に転がっている。

【 藤山八十八箇所・第59番 】
県道から進んだときの参道途中に存在する。白岩公園探索において初めて再発見された。御大師様は喪われている。


この祠だけ59番と番号が飛んでいるので当初からあったものではなく白岩公園に何らかの関わりを持つ人物により移転されたと考えられている。

【 小井戸 】
前述の藤山八十八箇所第59番祠のほぼ真下の岩に、石材を組んで造った井戸のようなものが見つかっている。


岩に寄せる形で三方に石柱を並べている。後年その上にコンクリートで補強したようだ。
何のためのものか分かっていないが、銭を洗う弁財天の小井戸を模したものかも知れない。内部には常時水が溜まっていて水位が殆ど変動しない。

【 未知の御堂跡 】
法篋印塔へ至る連続石段の最下段より西側へ進んだところに御堂の跡のような場所がある。


平地の中に手水石と直方体に加工された石材が積み上げられている。御堂を解体した後か、建設途中のものと考えられている。手水石の仕様が6番の倒壊御堂と共通することから、藤山八十八箇所の祠跡だったのかも知れない。初期は秋口以降でも全体が藪に包まれ接近は困難だったが、2014年10月頃に山岳会の方々により伐採が行われた。この後の訪問(第9次踏査)でそれまで確認されていなかった石段の存在が明らかになった。

《 東区域 》
メインの参道に対して東側の領域で、東の端を面河内池へ至る管理道までとしている。西側領域よりも広いながら知られている遺構は少ない。確定された経路が少なく石段もあまり見られない。
参道に近い上池・下池付近の斜面は比較的よく調べられているもののピーク付近は岩がちで接近自体が困難である。既知の物件も枝にテープマーキングすることで経路を確定させている状況なので、探索する時期も限定される。このことより未だ知られていない遺構が眠っている可能性を秘めている。

【 上池 】
メインの参道の下方沢地に作られた池で、堰堤のように土手を築いて水を溜めている。上流部は細い沢となっていて小さな石橋が架かっている。
下池とは堰堤中に埋設された陶管で余剰水を流している。


池の中ほどに石灯籠の上部と思しきものが発見されている。落ち葉が分厚く堆積しており、池を浚えれば当時のものが出現する可能性は大いにある。

【 下池 】
八丁岩からメインの道を挟んで沢地側にある池で、小さな楕円形をしている。常時水が溜まっていて干上がることがない。下の沢への排水が巧く機能しておらず余剰水がしばしば下池前の広場を洗い流し状態にしている。


すぐ横をメインの参道が通っており、転落防止のため後年設置されたと思われる鉄棒が岩に打ち付けられている。
池の中に目立った物件は知られていないが、何十年分もの落ち葉が分厚く堆積しており浚えれば何かの収穫があるのは確実とみている。下池前の広場はかつて大自然碑や開設記念塔が望めていた筈であり、白岩公園の中心的場所だったと考えられている。

【 テーブル岩 】
上池の上流部を石橋で渡った小道の先にある水平な岩。


元から平坦な岩の安定化処理を兼ねて岩の下に大きめの石を押し込んで上部を水平にしている。園内には同種の安定化処理を施した岩は多いが、そのうちで最大のものである。

【 忠魂碑 】
白岩公園のメイン部分とされる上池・下池のある沢を挟んだ東側のピークに存在する。このピークに設置された2つの藤山八十八箇所の御堂と共にもっとも後になって発見された。


白岩公園の西区域では密教の流れを継ぐ設置物が目立つ中、東区域にあるこの忠魂碑は異色な存在である。ただし設置者は白岩公園設園者の良介氏ではなく息子の久一氏とされている。[2]当時の思想や笠井家の幅広い人間関係を知る上で極めて重要。
忠魂碑は台座の岩から落下し中ほどで折れている。風災害による転落で破損したのではなく人為的に破壊されたことが判明している。現地へ至るまでの道はほぼ完全に失われており秋口や冬場でも接近は極めて困難。

【 藤山八十八箇所・第6番 】
東区域の東側に存在する。御堂そのものは完全に倒壊し扁額は雨に晒されている。御大師様は首から上が破損し立像は失われている。現在分かっている中でもっとも深刻な損壊状態にある藤山八十八箇所の祠である。


御堂は瓦葺きで扁額も存在することから既知の祠の中でも豪勢な造りであったと考えられる。かつては登山道白岩公園コースから直接往来できていた筈だが、当時の道は完全に喪われている。倒壊の原因は台風などによるものだろう。
なお、雨ざらし状態になっていた木製の扁額には裏面に制作者の名が刻まれており、その情報を頼りに2014年10月ご子息の元へ返還された。[3]倒壊していた柱などの部材はすべて片付けられている。
現地で既に扁額全体の精密な写真を撮影済み

【 藤山八十八箇所・第7番 】
東のピーク、忠魂碑からやや離れた位置に存在する。現地への道は完全に喪われており枝のテープマーキングによって経路が仮復元されている状況である。御大師様および立像は当時のまま格納されているがその他の供え物などはいっさいない。


手水石は発見されておらず、藤山八十八箇所の祠としては一般的なものだったと考えられている。

【 梵字池 】
園内の南の端、参道から降りた水路沿いに存在する。沢の水を集める緩衝池と思われていたが、初回踏査時に砂の堆積した池の上部に見つけ出されている。
この石盤の発見はこれまでの白岩公園踏査における最大のセレンディピティであった


この石盤の存在から緩衝池を梵字池と勝手呼称している。池そのものは大量の土砂が流れ込み殆ど埋まっている。

【 歯形池 】
東区域の沢地に存在する。下流側へ向けて膨らませた自然石の2段積みで、下流部に向かって湾曲し歯のような形をしている。沢の土砂流出や水流を弱める緩衝池としては園内で最大規模である。


沢地の上部左岸側に洗い場のような正方形状の石組みが見つかっており、水を溜める機能があったようだ。今のところそれ以外の遺構は見つかっていない。

《 区域外 》
現在のところ白岩公園の南端は門前池からの小用水路およびメインの参道、北端は東区域と西区域の稜線と考えている。南端から下は民家や常盤用水路があり、北端には遺構や設置物がまったくみられないからである。
しかしメインの道から登山道白岩公園コースに到達するまでに若干の物件が存在する。白岩公園との関連性がないかも知れないが、当初の踏査で見つけられた流れを受けて北から順に掲載している。
【 鼻の穴 】
登山道白岩公園コースからの道の途中、明白な折れ点に存在する。
2つの穴は内部で繋がっており、明らかに人為的に掘削されたものだが造られた時期や何のためのものかは不明。


登山道白岩公園コースから園内に至る道の特別な場所にあるので、園内で使用する物品の貯蔵用かも知れない。形状からは防空壕だった可能性もある。

【 藤山八十八箇所・第8番 】
県道から白岩公園へ向かうとき常盤用水路を渡ってすぐ左への小道にある。秋口以降は草刈りのみなされる模様。


掲載物件数が増えたなら2ページ目を作成する。園内の配置図からも直接該当記事を参照できるようにマップをクリッカブルマップに変更するかも知れない。

出典および編集追記:

1. 当初、本記事のタイトルは「白岩公園・主要な遺構一覧」であった。しかし藤山八十八箇所のように対象範囲が異なるものが白岩公園内にあったり、鼻の穴のように関連性が今なお不明なものもあるので「物件一覧」に変更している。

2.「炭山の王国」p.246-248

3.「FB|宇部マニアックス(2014/10/24投稿分)」による。(要ログイン)

4. 笠井氏談話による。

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