常盤公園・憩いの家【1】

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現地撮影日:2011/7/10
記事公開日:2015/9/2
情報この記事はかつて地域SNSに公開されていた原典を元に再構成しています。

野外彫刻広場を歩き回り、東の端の方までやって来た。
ここには知名度こそ高くはないものの、常盤公園のこの辺りを歩いたことのある方ならきっと目に留まったであろう一軒の家屋がある。

ぼたん苑という立て札があって降りる道の先に古めかしい藁屋がある。ご存じだろうか。


謎掛けではないので答を書くと「老人いこいの家」である。今どきにしては超珍しい藁葺きの一軒家だ。恐らく個人の家ではなく来園者が憩うためのスペースをイメージして造られたものと想像される。ただし今の彫刻広場が整備される平成時代以前からあったのは確かだ。

風流に見えるこの一軒家も、現在は憩いの場として提供されていない。それと言うのも、いつ来ても玄関や雨戸は堅く閉ざされているし、何よりも玄関に使用禁止の貼り紙があるからだ。この貼り紙は以前からあっていつ来ても同じ状態である。それで自然にこんな疑問と言うか下世話な好奇心が沸き起こっていた。
・どうして使用禁止になったのだろう?
・家の内部はどうなっているのだろう?
園内にある施設だから、使用禁止になった理由は遊園に問い合わせれば分かる。しかしカメラを持ってウロウロする私にとって常に言えることだが、欲しいのは結論ではなく自分の足で出向いて現地を調べた過程やそれに基づく推理を行うというプロセスである。だからこそ今や来園者の殆どが見向きもしない一軒家を気にして接近したわけであって…

いや…
今回とりわけ気になったのも上の疑問の後者について別の理由があった。
その答を教えてくれそうな状況にあったからだ。
普段は閉ざされている雨戸が開いていた。


雨戸が開いている様子は周遊園路からでも見えていた。
思えば老人憩いの家の存在は以前から知ってはいたものの利用したことは一度もない。もちろん中がどうなっているかもあずかり知らなかった。
雨戸が開いている今なら中を覗けるのでは…
今なら中を観察できそうだという気持ちから、自然にこの家の方へ足が向いていた。

縁台代わりにもなる廊下があり、雨戸が半開きになっていた。
開いているのを見たのは今回が初めてだ。


まだ使えるようになったわけではないらしく雨戸には以前と変わらず使用禁止を告げる貼り紙があった。
既に相当期間が経っているせいでガムテープの端も剥がれかかっている。


チャンスだ。今なら中の様子が分かる。
しかし憩いの家ってホントに遊園の施設だよね?
まさか園内に設置されている個人の家ってことはないよね?

少し開きかけた雨戸から覗き込んだ。
畳の一部が剥がされ、床板が露出していた。しかし襖や天井、障子などは構造こそ古いものの意外によく手入れされている感じがした。


もっと部屋の中を観察したかったが、そのためには手前にある濡縁に上がり込まなければならない。憩いの家は周遊園路からも目立つ場所にあり、園路を往来する人は結構多い。さすがにそこまでする勇気はなかった。ある思惑をもって玄関の横から裏手に回ることに。

玄関から右手横に入ったところ。
来園者向けの案内板らしきものがあったが、周囲の灌木に埋もれて何となく物の匂いが…


接近して撮影。
ロックガーデンと春植物の位置図だった。この図から藁屋が”老人憩いの家”という名前であることも判明した。
中央の青色表示が切貫から流れ出る極めて由緒ある用水路


家の裏手。ここまで来るのは初めてである。
排水溝のグレーチングはちょっと場違いだが、それ以外は如何にも昭和中期には普通に見られた家の造りだ。
台形柱状の基礎玉を拵えてその上に木の柱を建てる構造など特に象徴的


裏庭側には室内に廊下があり、部屋とは障子で仕切られていた。これは昔の民家に特有で、スペースは勿体ないけど外気温の影響を受けにくい優れた構造である。

さて、裏庭に回ったのには思惑があった。先ほど濡縁越しに室内を眺めたとき、反対側の廊下の雨戸も開放されているのが見えたからだ。園路から丸見えな表側からはさすがに上がり込めないが、裏庭は人目に付かないのでもう少し安心して撮影できる…

その雨戸が開いている裏側にやってきた。
扉の形といい床に置かれている緑色のスリッパといい…これは間違いなく便所だ。


雨戸の戸袋もかなり懐かしいが、この便所の引き戸が何とも懐かしく感じられた。手前に引くにも取っ手がなく横へスライドさせるにも敷居がない。こういった戸があることを知っていなければどうやって開けるのか悩むだろう。

正解は「横方向に渡されている桟木のうち一本を横に動かして手前に引く」だ。そうすることで柱との間の留め部分が外れて手前に開く。開け閉てするとき常に桟木の同じ部分を触ることになるので、指先で磨かれツヤが出ていることが多い。今やこのタイプの戸は絶滅種だろう。現代人ならトイレに行きたくても開け方が分からず失禁してしまうかも知れない。

ここまで見てしまったからにはどうしても中へ入って撮影したいと思った。申し訳ないが、裏口は人目につかないので遠慮しつつも勝手に上がり込むことに。

廊下までが結構高い。昇降を容易にするための踏み石が置かれていたが、思わずつんのめって靴を転がしてしまった。


それでは勝手にお邪魔させて頂きます…

洗面所の様子…と言ってもかなり薄暗くそのままでは不明瞭だ。


正面からフラッシュ撮影。
床はリノリウム貼り、手洗いは白い陶器製で今でも割と見かけるタイプだ。水洗化するとき改修されたのだろう。


それでも現在は新規にこのタイプの手洗いが造られることはまずない。手洗いの排水管が一直線になっているが、現在では臭いや害虫が上がってくるのを防ぐためにトラップを着けるのが通例である。
田の字型の嵌め込み窓、天井からぶら下がる裸電球は憩いの家ができた初期のものだろう。
初期の裸電球にはソケットに直接点灯用のスイッチが取り付けられていた

ついでながら昔のトイレには、蛇口をひねったら水が出てくる陶器付きの洗面所なんてものはなかった。手元に実物の写真はないが便所を出た先の廊下の外に提灯みたいな形の水桶を吊していた。
水桶は初期のものはアルミ製で後にプラスチック製のが出てきた。水桶の下に棒状の突起があって、手のひらで押すと複数の小さな穴からシャーッと水が出てくるのでそれを手にとって洗っていた…いや、洗うというよりは単に手のひらを水で湿すに過ぎない。石けんは使わなかったし、使う水の量も少しなので手を濡らした後の水はそのまま地面へ落ちていた。水桶は水道栓には繋がっていないので、定期的に水を補充する必要があった。今から思えば溜まり水で手を濡らしているようなものであった。[1]

反対側の廊下の様子。イベントのときに使う低い脚つき台が折り畳んで収納されていた。
屋根の裏側にあたる斜めの部分が剥き出しになっているのも独特な構造で、思わず「お婆ちゃんちの廊下だー」と言いたくなる風景だ。


折り畳みの脚付き台を常備する家など今では皆無だろう。しかし農家ではこの種の什器は何処でも常備していた。近所の寄り合いや親戚の冠婚葬祭などで集まりがあるとき、6畳と8畳の部屋を仕切る襖を外して広い空間を造り、そこに脚付き台を並べて会食をしていたものだった。使わないときにはこうして廊下の隅へ立て掛けておくことが多かった。

開いている戸から居間部分を観察した。内部は6畳の和室が田の字状に配置されていた。中央の十字型には恐らく襖もあったのだろう…今は間仕切りの襖は外され、一部は床板まで空いていた。何よりも目を惹くのは、中央の鋼製ポストだった。


この鋼製ポストの存在だけで、いこいの家が公開されない理由が推測された。
強度的にみて危険な状態なのでは…
十字に走る鴨居は、かなり太い木材が使われていた。しかし中央で支えている木柱は如何にも頼りない…自重は支え切れているのかも知れないけど、台風などで横からの力がかかったらかなり不安だ。このままだと中央の梁が下がって崩れかねないので鋼製ポストで補強しているのだろう。

正方形の蓋がしてあるあれは間違いなく囲炉裏だろう。
昔は天井から伸びるあの鉤に鍋などを吊り下げていたという。もっとも私の幼少期時代には既に親元にもそのようなものはなく掘り炬燵に変わっていた。
その掘り炬燵ですら現在では一般の民家では絶滅種に等しい


靴を脱いで上がっているとは言ってもさすがに室内を歩き回るのは自重しておいた。

外へ出て靴を履き、憩いの家を一周するように反対側へ回る。
プラスチックの雨樋はさすがに後から付け足したものだろう。


トイレの掃き出し小窓。これも現代の家にはまず見当たらなくなった。
掃き掃除するときに便利だし通風が保たれて臭いを軽減する効果もある。


掃き出し小窓は人がくぐれる程のサイズはないので施錠しないのが普通である。実際、この小窓も外から問題なく開いた。便槽に直結した臭突が回っているので、ここから外気を取り入れる役目も果たしていた。

敷居に取り付けられたプラレールもまだ古くからの家には在るが、平成期に建てられた家にはまずありえないものだろう。
敷居部分へ打ち込めるようにレールのところどころに釘代の穴が空いている。


中の便器や床敷きは現代風に改修されていたので先ほどもカメラでは撮影していない。
敢えて見てみたい方は…こちら

庇の内側。壁は漆喰で、梁の材木は相当に古そうだ。
景観を損ねないように遠慮がちな形で配電盤が設置されていた。


完全に満足のいくほど撮影できたわけではないが、ここまでを撮って次の撮影ターゲットである用水路へ向かった。


切貫の樋門から用水路をざっと撮影して引き返すとき、周遊園路から憩いの家をズーム撮影していた。ちょうどそのタイミングで玄関の戸が開き、誰かが出て来るのが見えた[2] 訪れたときにはなかった自転車が玄関前に置かれていたので誰かが来たのでは…とも思っていたのだ。

さて、管理人の方だろうか…それとももしかして憩いの家は常盤公園の中にある一個人の民家なのだろうか?
まさかこれほど荒れた家に住んでいらっしゃるとは思えないのだが…[3]
出典および編集追記:

1. この水桶は絶滅種ではなく現在でもイベント開催時に簡易トイレに併せて設置されることがある。
写真は善和八幡宮の例祭で境内に設置されていた水桶とタオル。


この水桶自体も手洗いタンクとして現在も販売されている。

2. 地域SNS公開時は限定公開だったので他の写真と同様の埋め込み形式で公開していた。人物を特定できるほど鮮明な写真ではないが別リンク形式に変更した。

3. この記事を当初地域SNSで公開したとき、私の知り合いですと言及なさる読者コメントがあった。市の予算の絡みから本格的な補修ができていないが、日々憩いの家を訪れて風を通すなど管理なさっているという。

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