常盤公園・旧憩いの家

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記事作成日:2017/7/24
情報この記事は2017年の改修工事以前の憩いの家について記述しています。
改修された後の現在の憩いの家については こちら を参照してください。

旧憩(いこ)いの家は常盤公園の野外彫刻広場北のぼたん苑に存在する古風な茅葺きの民家である。
写真はぼたん苑の中から撮影。


位置図を示す。


この民家は完全に常盤公園の敷地内に存在し、かつては園内で開催される各種イベントに使われていた。しかし老朽化が進み耐震性の問題も抱えていることから少なくとも2009年には閉鎖され長らく放置されていた。敷地内に入り外から眺めたり雨戸の外にある濡れ縁での休憩は自由にできていたが、玄関に利用停止の貼り紙が貼られ中には入れなくなっていた。[1]
かつては老人憩いの家と呼ばれていたが、現在は憩いの家と公称されている。[2]
《 アクセス 》
正面口から入場した場合、野外彫刻広場の前を過ぎてときわミュージアムの方からの道と交差するところにぼたん苑の表示板が立っている。


西側から入場した場合、ときわミュージアム横にある通用門からの道を歩いて下ったところになる。
この通路は常盤神社への参拝道で、以前は現在の市道常盤公園開片倉線から一直線に伸びていた。


入口部分の自然色アスファルト舗装は平成4年に野外彫刻広場が造られたときのもので、憩いの家の前を通ることから「憩い通り」と仮呼称されていた。[3]
サボテンセンターの後継的施設であるときわミュージアムが造られたとき旧参道の一部が削られた。

北側から周遊園路を歩いて来たときは常盤水路(切貫)の樋門がある堰堤部から降りる階段がある。


擬木の手摺りがあるのでこの階段は後から追加設置されたものかも知れない。


この他、通用門からロックガーデンの園路を通っても憩いの家に出てくることができるが、夏場は足元まで草が生い茂るため通る人は殆どない。
《 概要 》
この民家は昭和38年にかつて吉部に存在していた個人の民家を移設したものである。[7] 市内はもちろん郊外においてもこの種の一軒家は既に絶滅種であり、昭和期の民家構造を身近に眺められる点で人気は高い。周遊園路を散歩する人で立ち寄ってカメラを構える人々の姿が見受けられる。


憩いの家は休憩所やイベントとして使用するため、外観はなるべくオリジナルを保ちつつ内部は必要最小限の改造が行われている。具体的にはお手洗いや電灯、水回りである。[4]

正面に板張りの廊下があり床が一段高くなっている。昭和初期の民家に象徴的である。


居間が廊下より内側にあるため採光の点で難があるが、長く伸びた庇のため夏場も室温があがりにくく快適に過ごせる。なべて昔の家はそうだった。

廊下の下部構造。
金網が張られているのは小動物の進入防止であろう。


玄関から憩いの家を左回りに進んでみる。
正面から見て右側の側面。漆喰の壁に木の桟が入ったガラス窓はかなり希少価値がある。


背面の様子。
雨戸が閉められ内部の様子は分からない。


憩いの家の裏手はロックガーデンに隣接しており、軒下にロックガーデンを造ることとなった経緯を説明する石碑が設置されている。
来園者には殆ど知られていない存在


玄関の反対側の側面。
手洗い用の配管が現れている。小さな掃き出し用の小窓が昔のトイレらしい。


屋根は茅葺きだが葺き替えは恐らく一度もされていない。
至る所苔を蓄えていてそれもまた風流である。


憩いの家は玄関が東側を向いているので、午後訪れると上の写真のように逆光気味になる。撮影は天気の良い日の午前中が好適だろう。

側面の構造。
囲炉裏の煙を逃がす通気孔が設置されている。


憩いの家の庭先玄関側には大きな石灯籠がある。


設置年などは刻まれておらず詳しいことは分かっていない。


また、石灯籠のある近くの植え込みに「三九クラス会十周年記念樹」などと彫られた石碑が存在する。
2014年6月の撮影で初めてその存在を知った


裏側は彫りが浅く読み取りづらいが、昭和43年4月に建立されたもので、同窓会を記念した私的石碑のように思われる。
《 個人的関わり 》
幼少期は白鳥大橋が架かっておらず正面入口から来たとき東の端になるしょうぶ苑や憩いの家まで歩いた記憶が殆どない。藁屋の家があることは知っていたが、個人の家と思っていたせいもあり近づいたことはなかった。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

その後もぼたん苑方面へ訪れるたびに散発的に憩いの家の写真を撮っていた。その後のWSで再生・活用案が持ち上がり、参加して意見を述べようという考えになった。現時点ではWS参加以降の個人的関わりが最も濃いと言える。
《 記事公開後の変化 》
・2015年8月にFacebookのときわ公園公式アカウントから憩いの家を再生させ活用する案が表明され、広く意見を募るためのワークショップ参加者募集が伝えられた。[6]この情報を受けて参加申し込みを行った。この時点まで憩いの家は長いこと閉鎖を告げる張り紙が玄関に出たままであったため、解体されてしまうのではという懸念も一部にあった。3回にわたるワークショップでどのような形の改修を行うかを議論した。一連の過程は以下のドキュメントを参照されたい。
総括記事: 常盤公園・憩いの家再生ワークショップ
時系列記事: ワークショップ(第一回)(第二回)(第三回)

・3回にわたって開催されたワークショップで提出された意見を元に集約された改修の基本方針は以下の通り。
(1) 茅葺き民家の基本構造はそのままに補強を加えて常盤池側へ20m程度牽き家する。
(2) 濡れ縁の日当たりが良好となるように南向きへ回転させる。
(3) 周遊園路からの高低差を緩めるために敷地全体を1m程度地上げする。
(4) 台所とトイレは母屋から切り離して別棟に離れを設ける。(茅葺き構造の母屋での火気使用ができないため)
(5) 離れと母屋の間に車椅子で登れるスロープを設ける。
(6) 玄関と旧厨房にあたる土間部分は一般開放された休憩スペースとする。
この他に4畳半の和室2部屋を板の間に改造する案と旧厨房を展示スペースにする計画が提出されている。

・2016年夏頃よりぼたん園に植わっているぼたんの移植が行われている。憩いの家に向かう階段口には工事が終わるまでぼたん園の観覧ができない旨の掲示が出ていた。


憩いの家そのものは同年9月に訪れたとき、雨水が屋内へ入る原因となっていた天井開口部をブルーシートで覆った上で四方からロープを引っ張り固定されている。牽き家における前処置と思われる。(2016/9/13)

・2017年1月中旬に訪れたところ、憩いの家が移設される予定の場所と新設される厨房棟の基礎工事が完了していた。


ワークショップが終了して1年以上経過するも工事が始まらないので経過観察しないままになっていた。工事看板によると2016年の11月に着工していたようで、工期は3月末となっている。もっとも上記看板には「完成は平成29年度冬」と明示されていたので、曳き家工事自体を年度内に終えて平成29年度からは内装関連の別工事が始まり一般公開が始まるのが冬ということかも知れない。今後は要継続観察物件とし完成まで随時訪れ記録を残す予定である。(2017/1/18)
通風のために雨戸が開けられ中が分かる時期に撮影された憩いの家内部の様子。(2011/7/10)
時系列記事: 常盤公園・憩いの家【1】

上記第一回ワークショップにて現地視察したとき撮影した内部の様子。(2015/8/22)
時系列記事: 常盤公園・憩いの家【2】
憩いの家の改修工事を継続観察した記録。牽き家完了から茅葺き屋根の改修、別棟建設までを収録している。全3巻。
時系列記事: 常盤公園・憩いの家改修工事【1】
出典および編集追記:

1. 通常は雨戸が閉まっているが、室内に籠もる湿気を逃がすため担当者が訪れて雨戸を開けて通風する時期もあった。

2. 敷地内にあるロックガーデンの案内図には現在も「老人憩いの家」として記載されている。かつては常盤神社前の案内図もそうなっていたが、現在は憩いの家に書き換えられている。高齢化社会への移行に伴い、最近ではどの施設においても老人という呼称を避け高齢者と言い換えるか表記そのものを外す傾向がある。
なお、周遊園路の案内板には「憩の家」と表記されたものが存在する。

3. 公園緑地課や遊園による正式呼称ではなく、彫刻広場工事が施工されたときの関係者によって通路識別用に名付けられた。

4. 水道が備わっておりトイレは水洗化されている。

5.「ときわ公園 歴史マップ」による。書物によっては上溝、上小場などとも記述される。当サイトでは県営の常盤用水路と区別するため常盤水路(切貫)と記述している。

6.「ときわ公園「憩いの家」の再生・利活用を考えるワークショップに参加しませんか?」による。

7. 第1回ワークショップにおいて市担当職員による憩いの家の概要説明による。民家の原形を保ったまま運ぶことは不可能なので一旦部材ごとに解体して搬入しこの場所で組み立てたようである。厠や風呂は離れにあったため当初からこれらは移設されなかった。

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