幽霊坂

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現地踏査日:2013/1/29
記事公開日:2013/2/19
幽霊(ゆうれい)坂とはまた何ともおどろおどろしい名称のようである。
実のところそれが昔からの呼び名であったかどうかはよく分からない[1]。しかし命名の由来が何となく分かりそうな坂ではある。


この坂の始まる位置を中心にポイントした地図である。


この道は市道丸山黒岩小串線の一部で、県道の旧区間(市道小串小羽山線)に到達する最後の部分となっている。
等高線の入った国土地理院の地図では視覚的に理解されるのだが、南小串から始まる丘陵地帯は北東方向に伸びており、等高線が混んでいることから斜面のきつさが想像される。蛇瀬川を遡行する経路以外はどこもこの丘陵地帯を乗り越えるのに苦労している。
小串通りからの県道が尾根伝い気味に登っているのに対し、この市道では込み入った等高線に真っ向から挑みかかるような経路となっている。坂の厳しさが理解されるだろう。

真締川からこの坂を登る場合、コンビニ駐車場の横を過ぎてすぐに坂が始まる。
この近辺は新興住宅地になっていて平成期に入ってから整備された。


進行方向左側の練積ブロック擁壁は平成期以前からあった。
坂の下では十数段もあるブロック積みがものの10mちょっと進む間に坂に飲み込まれゼロ段になっている。


最初の直線坂をこなすと、そこから若干蛇行する。歩く分にはそれほどきついカーブには思えないのだが、坂の上から降りてくる場合は制動しても自然法則に従って転がり落ちたがる車を操るのに神経を遣う。


新興住宅地の上端部分である。
ここで坂は全区間の中でもっとも厳しく曲がるというか折れている。縦断勾配はまったく緩むことがない。


坂を下りてくる車は上から落ちてくるように見える。
片側のブロック擁壁がなくなり自然な地山になっている。


振り返って撮影。現地の撮影ではこの付近に自転車を停めて歩いて行った。
坂の麓からここまでは平成期に入って新興住宅地となった折りに拡幅整備されている。


頂上までまだ先がある。
ここで更に道幅が狭まり両側のブロック塀もなくなって自然の土肌になる。全区間の中でもっとも昔からの様相を保っている場所だ。


坂の両側は単純に地山を削っただけで何の養生も施されていない。


削った断面に木が生えていながらそのままの状態である。よくこれで倒れることなく育っているものだ。


剥き出しの断面は露岩ではなく粘性土である。いくら水の通る道がなくとも雨が降れば断面は相応に削られるだろう。それでも遙か昔からこのような姿だった筈なのに大きく崩れることもなかった。


とりわけ狭い区間から振り返って撮影している。
削りっ放しの掘り割りには両側から木々の枝や葉が垂れ込めている。


それも明るいアングルで撮影しているから実感が湧かないだけであって、日の差さない影の場所から写すと…

こんな具合になる。
道幅が狭いので、両側から伸びる木々の枝は頭上でオーバーラップしている。自然のトンネルだ。


ズーム撮影で先方の景色に明るさ調整しわざと周囲をブラックアウトさせている。
晴れた日の昼中でもこの坂道では暗がりを提供しているのだった。


個人的にはこの坂道を「幽霊坂」と呼ぶ人を聞いたことがない。しかしその名前に由来があるものなら、昼間でも暗くて異質な空間を提供していることにあるのだろう。
今のところ幽霊出没などの噂などは聞いていない

坂の途中から歩きつつ動画撮影を試みた。
ところが…

[再生時間: 23秒]


途中で車が入ってきたのでムービーを停止させている。
こんな狭い坂道ながらマル1分間も車が途絶えることがない程度に交通量がある。

車をやり過ごしてから再度続きを撮影した。

[再生時間: 54秒]


坂の頂上部分から撮影している。
ここは市道丸山黒岩小串線の終点であり、護国神社の裏手を通っている地区道の分岐点にもなっている。


次の3枚は3年前の秋口に撮影した写真である。
上部まで木の葉が垂れ込みほぼ完全なトンネル状態になる。フラッシュオフ撮影だと明るさ不足でピントが甘くなってしまう。[2009/11/18]


上から写した映像。
昼間でも暗いのでブレーキランプが赤々と灯る。場合によっては車のライトが自動反応するかも知れない。


この坂は真締川に架かる鎌田橋の続きとして認識されるから、同程度に昔からあった坂道と思われる。現在こそ車の離合できない狭い坂と感じられるが、江戸期あたりならメインの街道並みな規格だろう。

坂の麓となる近辺は、かつて崩(くずし)と呼ばれていた。現在でもコンビニ横の電柱に古い地名が確認される。


詳細は以下の記事に書いておいた。
派生記事: 崩について
個人的な関わりとしては、この坂道を初めて通ったのがいつだったかはもう思い出せない。平成期初頭は現在の県道琴芝際波線の整備が遅れていて記念館前交差点から小串近辺までは狭く渋滞しがちだった。中山方面から走ってきたとき、混み合う交差点をショートカットする目的でしばしば幽霊坂を下っていた。
当時はまだ二反田堤の上部を通る県道の新区間がなかったので、市道小串小羽山線の「直角曲がり」から直進するだけで容易に進入できた。そして現在もこの経路を利用するドライバーは多い。
ショートカット目的で市道小串小羽山線を通るときしばしば幽霊坂から出て来る車に出会う

初めて車で通った時期を覚えていないので詳細は不定だが、かつては坂の登り始め途中までの新興住宅地が存在せず、蛇行カーブの区間も狭いまま延々と続いていた。カーブの膨らんだ箇所で離合はできたかも知れないが、トンネルのように暗い区間が今よりも長かったのは確かだった。

異様に狭くおどろおどろしい道というだけで、歴とした認定市道である。10tダンプなど大型車両が通れないのはほぼ明らかだが市道の終点側に規制標識などは何も出ていない。いわゆる「見りゃ分かるだろ」規制である。
それ以外は公的な規制は敷かれていないので、力量が許せるなら通り抜け目的だろうが通行は一向に構わない。ただし市外県外のドライバーが入り込む坂道とは思えないし、市内在住者でも初心者や運転に自信のないドライバー、それから冬季の早朝深夜などは通らない方が良いだろう。

規制標識がない道路というのは案外、通行が難しい。これほど狭く急な坂を承知で通るドライバーはこの場所の道路事情を理解している前提があるからだ。特に市道の終点側から新興住宅地が始まる狭い区間は「自主的片側交互通行」が暗黙のルールとなっている。
即ち終点側から坂を降りようとする車は、下から登って来る車が視認できたなら進行せず、地区道入口側に寄って待機することが求められる。


坂を登ろうとしているときに狭い区間を下ってくる車が見えたなら、同様に離合可能な場所で待機する必要がある。最後の直線的登り坂区間は軽四同士ですら物理的に離合できない。この区間で鉢合わせしたなら大変に面倒なことになる。
場所や背後の車の状況などにも依るが惰力で後退できる登り側が下がった方が良い

一応認定市道なので、雪の降った日の早朝などは維持班が解氷材を散布してくれると思う。ただし今回の撮影で自転車を走らせた限り、路傍に凍結防止剤は置かれていなかった。そういう危険のある日は少々遠回りでも県道を通るなどした方が良いだろう。
自転車で坂を下る場合は降りて押し歩きした方が良い…危険である以前にブレーキパッドがすぐ禿びるだろう
出典および編集追記:

1.「小羽山付近の史跡と伝承」(平成18年度小羽山まちづくりサークル)p.3 による。
鎌田橋を渡って小羽山3区と新川校区の境になっている急な坂道として紹介されている。また、近辺の在住民によっては崩(くずし)坂と呼ぶ人もある模様。

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