サヤノ峠【1】

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現地踏査日:2011/5/4
記事公開日:2014/6/8
情報この記事は過去に公開済みの市道走破レポートを初回踏査記事として再構成しています。本路線の市道レポートはこちらをご覧ください。

山口県は本州の最西端に位置し、県の西部で中国山地は海に落ち込んでいる。中部地方のように度肝を抜くほど高く険しい山が少なく、必然的に標高1,000mを超えて進む道路は殆どない。とりわけ宇部は瀬戸内海に面した平野部が主体なので、名前の付いた峠自体が少ない地域である。

絶対数が少ないために、名前のある峠は逆に目立つ。私自身も国道など主要幹線が越える市内の峠や位置は大体頭に入っているし、そのうちのいくつかは現地を訪れ、写真を撮っている。

しかし宇部に何十年と暮らしながら、「そんな峠があったっけ?」という名前に接した。

サヤノ峠。
その名前を知ったのは、市道名を調べ始めた一昨年のことだった。
この峠名を含む市道の名前は、洲角サヤノ峠線である。市の道路河川管理課に出向いて路線図を開かなければ、恐らく一生その存在を知ることがなかったであろう。

300番台はじめの路線番号は、この市道が東岐波にあることを示している。路線名からは、洲角という小字に起点があり、サヤノ峠という市境にある峠が終点になる市道だろうと想像される。

しかし道路河川管理課の路線図を眺めていて、不可解なことに気付いた。

この市道は、峠に向かっていない?


が起点で の向く場所が終点になる。

市道は、国道190号が扇田川を横切る付近からスタートして東に向かい、JR宇部線を渡って日ノ山の麓を通る別の市道(岐波門前線)へぶつかって終わっている。経路の途中にはどう見ても峠らしき場所はない。
この市道名の由来って一体…?
考えられそうなことは、終点が”サヤノ峠に向かう別の道であったということか、あるいはかつての終点が実際に市境の峠だったのどちらかだろう。いずれの場合でも実際にサヤノ峠という峠が存在していたことになる。
サヤノ峠は一体、何処にあるのだろうか?
この市道の終点が日ノ山の麓にあることからすると、日ノ山の肩を越えていく道ではないかと考えたくなるのは自然だ。

私にとって東岐波地区は幼少時代から未知の世界で、昔の歴史などは殆ど知識として持ち合わせない。しかし幸いなことに、先人たちの遺してくれた宇部の道に関する書物に接する機会があり、その中でこの峠に関する小さな記述を見つけることができた。
引用しておく。

> 阿知須町との間、日の山峠(サヤの峠)から門前、花園、磯地、西蓮寺坂、王子、片倉、
> 開、寺の前、宇部新川へ通じる旧道は阿知須の船人たちが頻繁に往来した道…

出典: ふるさとの道”(山口県ふるさとづくり県民会議編)
別名として「日の山峠」とも書かれていることから、紛れもなく東岐波門前と阿知須との境にあったらしい。それもかつては阿知須と宇部新川を結ぶ主要な道だったという…

宇部から阿知須へ向かう自動車の通れる道は、日の山を迂回して海岸沿いを進む道(市道丸尾岐波浦日の山線)を除けば、現在でも国道と県道の2本しかない。そのいずれも日の山の西側丘陵部を越え、形の上では確かに峠となっている。以下の2枚は2年前に撮影された写真である。

(国道190号・市境)

(県道212号山口阿知須宇部線・市境)

しかし最高地点付近に山口市・宇部市境の標識があるだけで、どちらも峠としての名前は(恐らく)ない。
かつて阿知須の船人が宇部の街に向かうとき越えたサヤノ峠は、
これとは全く別の古道だったのでは…
そう推測したのも、国土地理院の地図を眺めているうちにそれらしき経路が見えていたからだった。
今はどうなっているのだろうか…
その峠は、現代にあって
どんな眺めを見せてくれるのだろう…

市道が峠の名称を冠された呼称であるからには、道中に何か手がかりがあるかも知れない…
行ってみよう。
自らの脚で峠を究める踏査レポートは、
今回が初めてになる。
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市道の起点付近に来ている。
場所は東岐波、国道190号の上り線歩道から撮影している。この写真からは外れているが、画面の左端にスーパー丸喜東岐波店がある。市内から阿知須方面に向かう車は大抵ここを通るから、見覚えがある風景だろう。


国道を横断し、市道の起点に向かう。
正面には宇部の最東部にある日ノ山が見えている。


ここが市道の起点になる。
標識めいたものは特になく、ごく普通の市道だ。


センターラインのない、1.5車線幅相当の舗装路。車は殆ど通らないが、周囲が開けているせいか寂れた市道という印象はない。
正面に象が伸びのびーっとした姿でお馴染みの日ノ山が見える。地元では親しまれているし、現在でも車では登れないので、軽いハイキングを兼ねて登る市民は意外にあるようだ。


ほどなくして市道はJR宇部線を横切る。


踏切名は門前東第2踏切


踏切を渡った後、一旦軽く左へカーブする。
道中は緩やかな登り勾配になっている。


少し道幅が狭くなり、一路日ノ山の裾野を目指していた。


日ノ山にぶつかる寸前で、別の市道(岐波門前線)へT字路の形でぶつかり終点となった。


ただこれだけで、道中はとりててて見るべきものはなかった。
国道を離れて市道はほぼ単勾配で日ノ山の裾野を目指し、峠らしき場所は全く通過しなかった。周囲を注視しつつ進むも”サヤノ峠”に関する史跡や説明板なども一切見かけることはなかった。

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この市道を走る前から”これがサヤノ峠に向かう古道ではなかろうか…”と目鼻を付けていた候補がいくつかあった。その候補を一つずつ検証するために、私は市道の終点を過ぎてT字路を左折した。

市道岐波門前線へ移り、終点の方(阿知須側)へ向かって走った。私の手元にはマップがあり、サヤノ峠と推定される場所の候補をいくつか挙げていた。そのいずれもがこの方向だったからだ。

やがて右手に門前自治会館が見えてきた。その近くに最初の気になるものを見つけた。


この場所の拡大地図を示しておこう。


自治会館のすぐ横に日ノ山へ向かう細い道があり、道を隔てた角地に曰くありげな石碑が寄せ集められていた。


もしかして、古道に関係するものでは…という想像が働いた。
そうでなければ、こんな立派な石碑とか造りはしないだろう。


それは新しく造られた道路を記念して建てられた石碑だった。道路改修記念碑という文字が刻まれていたので、いやが上にも期待が高まった。
この道ではないだろうか…


この道路標の横に立っていた石碑には、昭和43年の文字が見えた。側面にはびっしりと何か刻まれているが文字の彫りはそれほど深くなく石材の色も薄めのせいか読み取れない。それでも古道の確信を高めさせるには充分だった。


祭礼のときなど幟を固定するとき使われる石材も同じ敷地にあった。
本来は道の両脇に建っているものだから移植されたのだろう。


その道は初っ端からかなり急な坂で、日ノ山の裾野を目指していた。アスファルトで舗装されているものの、それ以前からあった道だろう。
道の両脇には花崗岩の石材が並べられ、舗装される以前は石畳道だったのでは…などと想像を膨らませた。


乗って進むにはきつい坂で、自転車を降りて押して歩いた。
舗装路の両側には民家が散在していた。しかし最後の一軒を過ぎれば舗装路がなくなり、自然の山道となって日ノ山越えを目指すものと思った。


ところが…

如何にもそれらしい道路改修記念碑に誘われて、日ノ山に向かう急坂道を進んだものの、残念ながらそれは目指す古道ではなかった。
この道はきつい坂を登り切り、確かに民家へ繋がっていたもののそこで行き止まりだったのだ。

更に最初のこの挫折にはきつい洗礼のおまけが付いていた。
民家の飼い犬から強烈な
「帰れ!!」コールを浴びせられた。・゜゜・(>_<;)・゜゜・。
あちこちの道へ入り込み、はからずも民家に繋がっていて行き止まりだった…という例は枚挙に暇がない。どれほど詳細な地図を持っていようが不慣れな場所ではよくあることで、テーマ踏査の宿命とも言える。
しかしこういう場面で何故か共通する法則がある。
行き止まりの道にある一番奥の家は、
大抵酷く吠え立てる犬を飼っている^^;
実際このときも私の姿を目撃されるや否や鎖もちぎれんばかりに暴れだし、ゴツい声で吠え始めた。
その時までに行き止まりと分かっていたので追い立てられるまでもなく引き返したが、背を向けて坂を下る間も相当長いこと吠えていた。姿が見えなくなってもいつまでも吠えまくっているあたり、うちの親元で飼ってるワンコたちといい勝負だ。

まあ、ここは違うかなーという感触はあった。東岐波は不慣れだし、更に車も通らない古道を求めてウロウロすれば道に迷う。そこで簡単なマップを手書きして持っていたのだ。
紙切れにある「サヤノ峠」の文字は現地で書き加えたもの…写真は後日の撮影である


重い自転車を押し歩きしつつ、再び坂を下っていった。
近隣住民の方々…大変お騒がせしました^^;


まだまだだ…一度きりの失敗なんざ挫折のうちにも入らない。
他にも古道の候補をいくつか考えていたからだ。

(「サヤノ峠【2】」に続く)

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