牛転び坂

坂道インデックスに戻る

現地踏査日:2013/2/10
記事作成日:2014/7/12
牛転び(うしころび)坂は宇部護国神社の東、維新山の丘陵部へ登る坂道[1]で、市道維新山西山線の途中から分岐し護国神社の裏手を通って幽霊坂の最頂部付近へ至る地区道に含まれている。[2010/1/3]


下の地図は牛転び坂の始まる地点で、市道維新山西山線からの分岐点にあたる。


この地図でポイントした地点から北上する道は市道維新山西山線で、小さな峠を越えて蛇瀬川の屈曲地点をショートカットする昔からの近道となっている。他方、ここから左へ分岐する地区道はむしろここがもっとも低い場所で、丘陵部へ至るまで一本調子のきつい登り坂となっている。
本編では分岐点より始まる坂とその先の地区道部分も含めて記事化している。
《 牛転び坂 》
市道維新山西山線の小さな峠部分から左へ登っていくのが牛転び坂である。
市道は平坦かやや下り坂なので写真だけではどれほどの坂か分かりづらいかも知れない。


実は冒頭に掲載した写真は初めて牛転び坂を撮影しようと現地を訪れたときのものである。このときは急な坂を利用して足腰を鍛えるために駆け足で上り下りさせる訓練が指導者の下で行われていたので、坂のはじめの部分一枚だけ撮影して退散していた。実際に坂を登ってみるのはこのたびが初めてである。

通過して先へ進むだけなら自転車でも乗って通るかも知れないが、今回は坂そのものがターゲットなので降りて押し歩きする。いや…押し歩き以外有り得ない。こんなムチャクチャな坂、乗って進めるわけがないというのが率直な感想だった。


勾配からすれば隣接する幽霊坂といい勝負だ。しかし直線的で先が見通せる分だけ坂としての威圧感がある。「ほら…まだまだ先は長いよ」と語りかけるような感じで。自転車の押し歩きですらかなりきつい。撮影に立ち止まる時はブレーキレバーを握り締めておかなければならなかった。

まだ坂の中腹だ。上から見下ろすと市道との高低差が歴然としている。
道は舗装されてはいるが市道側にガードレールは付属していない。
冬場に路面凍結したとき車でこの坂を下るってのは…


真下の市道を撮影している。
岩場ではなく自然な土の斜面なんだろうけど、10m近い高低差がついていて転がり落ちでもしたらかなりマズイことになりそう…sweat


坂の中腹あたりから民家が見え始める。なおも坂はまったく勾配を緩めることなく先へ続いていた。


民家のブロック塀の通りで坂のきつさが分かるだろう。


民家が連なるあたりから坂はやや緩くなる。
何故か路上を滑るような細いタイヤ痕が遺っていた。


再び上から見下ろしたところ。
見通しが効く分だけ幽霊坂より安全とは思われるが、車で初めて乗り込んだらかなり怖いのでは…


きちんとアスファルト舗装されているのが感心だ。表面がそれほど荒れていないので割と最近舗装したらしい。
この仕上がり具合からすれば、合材は手引きかも知れないけど転圧はローラーだろう。それもハンドローラーではなくコンバインド[2]のような…
転圧作業はかなり神経遣ったのでは…
何しろこの急勾配だ。機械なら間違いなく道路横断方向に往復して転圧しただろう。縦断方向にローラーを移動させた途端、勝手に坂を下り始めた…なんて事態を考えるとかなりぞっとする。重量物さえ通らなければ、案外転圧もコンパクタで間に合うのかも知れない。
以上はちょっとマニアックな施工上の専門的なお話でした

坂の頂上が近づいてきた。
やや勾配が緩んできた先、地区道は直角に左へ折れている。


この辺りは幽霊坂の最終部分と同様、土を削って道を造ったのだろうか。昔ながらの土肌が剥き出しになっていた。


ちなみに真っ直ぐ進む道はなく民家の敷地だった。
曲がった先も若干登っているような気がする。


えっ?まだ登るの?
勾配はやや緩くなったが更に数十メートルほど登り坂が続いていた。


乗って進むのもどうにかなりそうな程度の勾配だ。
午後訪れたもので真西になるからか前方の西日がまぶしい。


この区間の途中から振り返って撮影。
感じとしては幽霊坂の最後の部分に似ている。


やっと登り切った。
登った先は峠のように下っているのではなく平坦で、普通に民家があった。


ここまでが牛転び坂ということになるだろうか。
坂を登った先はまったく平坦だ。テーブル状の丘の上に登ってきたことになる。


坂を登り始めた分岐点からこの場所までを橙色に塗った地図を示す。


スタート地点から跨いでいる等高線の数から言って高低差は精々20m程度だ。市道からの分岐点が小さな峠部分にあって、その地点で既に10m程度登って来ているので、幽霊坂よりは坂の長さも相対高度も小さい。
幽霊坂や牛転び坂がこんな極端な坂になっているのも、護国神社のある北側の丘陵部は南北の傾斜がきつい特徴を持つからである。尾崎から県道琴芝際波線を経由して西からアクセスした場合はそこそこな坂道で済むのだが、東に向かって伸びる半島状の地形をしているためそれ以外からこの丘に至る安泰な道がない。蛇瀬川の流れる東側は崖だし、北側の沢に至っては現在は人が歩ける道も存在しない状態だ。
丘の頂上部分がフラットなのは、人々が暮らしを営み始めた頃にある程度削って平坦地を確保したからではないかとも想像される。

牛転び坂の名前の由来について[1]に記載があるものの正確なことは分からない。荷を載せた牛が転んだなどの故事に依るのかも知れない。
古い小字絵図をみると、広田と地今坊の間に牛転という小字が存在していたように記載されている。[3]絵図では位置関係を大雑把に記載しただけなので正確にこの坂がある場所を指していたのかは分からない。

さて、現地ではそのままこの地区道を辿ったのでついでながらその写真も載せておこう。
《 牛転び坂〜幽霊坂 》
坂を登り切った先はほぼフラットになる。もう自転車に跨って漕ぐことができる。
そのすぐ先に鳥居があった。


これは護国神社の当初の鳥居と言われている。明治期に維新山側へ大きな鳥居を設置したので、元の鳥居をこちら側へ移設している。[4]


時系列ではここに自転車を停め、参道を降りて護国神社での写真を撮ってきた。
現在まだ総括記事は作成されていないが関連する記事リンクを掲載しておく。
ネコ好きな方にはかなり興味深い話と思うのでぜひお読みになることをオススメする
派生記事: 護国神社|遣いのネコ
その後地区道は特に変わった景観もないまま見覚えがある場所に到達する。
市道丸山黒岩小串線が最後のきつい幽霊坂を登り切り、旧県道琴芝際波線で現在は市道小串小羽山線のきついカーブがある場所だ。


この場所については以下の記事にも記述がある。
派生記事: 市道丸山黒岩小串線|地区道接続部
まさか牛転び坂が大きく姿を変えることもないと思うので本編はこれで完結して続編が書かれることはないだろう。
《 地名としての牛転びについて 》
坂の名称としては前述のようにしばしば漢字を交えて牛転びと表記される。これとは別に古い制作時期の小字絵図には牛転(うしころび)という地名表記がみられる。ただしそれは本記事で記述した牛転び坂とは異なる場所で、現在の広田付近である。江戸期からの地名を編纂した「山口県地名明細書」でも川上村の広田小村にうし転として掲載されている。牛転び坂のある場所そのものの小字は大字中宇部字岡ノ辻なので、両者はまったく異なる場所である。

今のところ牛転という地名は市内において広田地区にあるものと、この牛転び坂以外に見当たらない。異なる場所とは言えそれほど離れているわけでもなく何かの関連性がありそうに思える。
地名明細書では多くの地名が漢字表記の振り仮名付きという構成である中、この地名の「牛」に相当する部分が平かな表記されている理由はよく分からない。「うし」は明白に「牛」のことと思われるが、農耕用の大事な存在だった牛をそのまま地名として漢字表記するのが躊躇われたのかも知れない。なお興味深いことに、牛転にすぐ隣接して馬隠(うまがくし)という小字が確認されている。この地名も小字絵図と地名明細書の双方に掲載されている。

「うしころび」の由来の元が「後ろ転び」だった可能性は一応ある。しかし現地は明白な急斜面に道がついていることから、牛転び坂そのものとしては遙か昔からここを頻繁に通る踏み付け道から自然発生し、人も牛も転びかねない急坂として名前が与えられたことは疑いないだろう。他方、地名としての牛転が具体的に現在のどの場所になるのか、そこには同様な急坂があるのかについては未だ調べていない。
出典および編集追記:

1.「平成18年度小羽山まちづくりサークル」p.3

2. オペレータが乗って操作するタイプの小型転圧機。

3. 小字のみを記載した制作時期の古い絵図による。その後作成された既成の市街図へ重ね書きしたものでは坂の始まりから地区道の終点部分において南側は岡ノ辻、維新山で北側は西山という小字が記載されている。

4.「ふるさと歴史散歩」p.33

5. 二俣瀬区木田にある川越えの噴水として知られる「駒の頭」も当初はサイフォン構造を指す言葉であったものが後にその場所をも示すようになっている。駒の頭自体は小字絵図には記載されていない。

ホームに戻る