蛇瀬池・陸繋島【1】

溜め池インデックスに戻る

現地撮影日:2012/10/15
記事公開日:2012/12/25
(「蛇瀬池・陸繋島」の続き)

今年の夏場から秋口にかけて中国地方は珍しく一つの台風も接近せず、何の被害にも見舞われなかった。それはそれで幸いと言えることだが、台風が「何の影響も及ぼさなかった」という事実が少雨という形で影を落とした。晩夏以降それでなくても雨が少なかったため、市内の水瓶である厚東川ダム・宇部丸山ダムの水位は低下し、取水制限が長く続くこととなったのである。

ダム貯水量は懸念されるものの、雨が少ないことは低水位踏査を行うには逆説的にベストコンディションだ。この状況に乗じて丸山ダムでは汀まで降りて取水塔を至近距離から撮影できた。そしてダム湖だけでなく市内の多くの溜め池が近年の最低水位を更新していた。

10月の中旬、私は例によって仕事で早い時間に小羽山地区へ来ていた。最初の訪問を済ませ、次の約束がある訪問先まで小一時間程度の空き時間ができた。それで時間があるときはしばしばすることだが、低水位状態の蛇瀬池がどうなっているか様子を探ろうといつもの小道をちょっと歩いた。

そこで目にしたのは…
島が陸続き寸前になっている!!


それは今まで見たことがないほど水位が低下していることの証明だった。本土手にある樋門小屋の横に来ただけで木々の間から異常に下がった汀を見ることができた。

時系列が前後するが、次の2枚は同じ日の帰り際に撮影したショットである。
昭和49年度の航空映像で見られるような状態になっていたのだ。


ズーム撮影する。
半島部分から伸びる砂州が少しばかり浸る状態で陸続きになっていた。


もしかすると「上陸」できるかも…
蛇瀬池の島自体は、少し池の水位が下がるだけで姿を現す。島の最高地点は標準水位とほぼ等しいので島全体が完全に水没する方がむしろ珍しいくらいだ。充分に水位が下がれば、この島は北小羽山側にある半島と繋がる。その状態が永く続けば砂州部分も乾き、歩いて島まで渡れるようになるという。[1]
この記事をかく現在から思えば、状況としては常盤池の北部にある陸繋島とまったく同様だった。島の成り立ちに関する物理的特性はもちろん、単なる子どもじみた冒険心や征服欲以外の上陸モチベーションを刺激する点についても。

陸繋島に限らず、一定の条件が揃ったときにのみ人が接近できる場所は何処でもあまり人の手が入っていないと言える。蛇瀬池が築堤された当時のものとか、そこまでいかなくとも遙か昔に誰かが目印として島に置き去りにしたものがあるかも知れない。

時刻は既に午後4時半を回っていた。秋の日照は釣瓶落としで、暗くなると鮮明な写真が撮れなくなる。
私が今まで見たうちで一番水位が低い状況となれば、汀の写真も興味の対象だった。しかし時間が押しているので帰りがけに採取するとして、迷わず汀へ降りて半島部分の砂州に接近開始した。

異常な水位低下で、普通なら長期にわたって水面下にあるものが現れている。ヘドロや投棄ゴミが目立ちお世辞にも綺麗とは言えない。いくら低水位踏査とは言っても直接カメラを向けるのも憚られた。

本土手樋門がある斜面から少し北小羽山寄りの汀である。
改修以前に使われていた花崗岩製の樋管が新たに3本現れていた。
これより高い場所にある1本は既に知られていた…まだ水面下に眠っているかも知れない


充分に水位が低いので汀を歩いて進むのに困難はない。市住の下は露岩が多く水位が高いと全く接近できないのだが、今なら露岩を見上げつつその下の汀を歩くことができる。


半島部分に到達した。
ここは廃道同然の市道北小羽山4号線の終点にある原生林半島の下にあたる。


蛇瀬池に向かって砂溜まりになっており、削り取られた真砂土が堆積して地面が赤みを帯びている。初めて低水位踏査でここを訪れたときも火星のような地面の赤さが印象に残った。

砂州はほぼ乾いていたが、陸に繋がる浅瀬の前後はさすがに乾ききっていなかった。
水に浸った砂州部分には飛び石が置かれており、手前には沢山の靴の跡があった。先客か子どもたちが渡るために石を運んだのだろうか…


半島の先端と島は僅か2m程度の浅瀬で分断されている状態だった。あと数センチでも水位が下がれば完全に繋がる。樋門から排出される下流側と水が流れ込む上流側で水位差が追いつかないらしく、この浅瀬では目に見える速度で池の水が下流側に移動していた。

上陸目前は明らかだが、不用意に踏み込めば何が起きるかは自分なりに承知していた。足で捏ねくり回された周囲の地面から推測は容易だった。

水に濡れて色が変わった部分に踏み込むと、一歩進むごとに足元の感触が危うくなってきた。それでもあの飛び石まで到達できさえすれば何とかなるだろう…飛び石自体が浅瀬にハマり込んだ痕跡がないからだ。
一歩踏み出し、少しずつ体重移動し、支えきれることを確認した上で反対側の一歩を…という緩慢かつ慎重なプロセスだ。

あと少しだ。
見えているあの石に足を掛けることができれば、安泰に上陸できるだろう…


そして上の写真を撮影直後、次の一歩を踏み出したときのことだった。
やってしまった…


足を置いた時点ではかなり安定していたように思えたのだ。それで次の一歩を踏み出すために右足へ体重を移し、左足を前に出しかけたところで…こうなってしまった。
慌てて足を引き抜いたが、長靴ならともかくスニーカーではひとたまりもなかった。20cm近くもハマればズボンの裾まで泥が着くのは避けられなかった。

改めて飛び石部分を撮影。
よく見ると、人間が渡ったことによって石が沈み込んだ形跡がない。


そのことから陸繋島になったのを見て、渡ろうとして最近置かれた石ではないかも知れないと感じた。この場所でこれほどハマるのなら、飛び石が置かれている池底はもっと緩い筈で、人が踏めば沈み込む筈だ。あるいは昔から機を見て上陸したいと考える勇者が多く、沈み込みが収まるまで何段にも重ねて石を埋めているのかも知れないが…

いずれにしろ…
泣きたい気分…(>_<);


ヘドロとは違うので悪臭はなかったが、泥は靴にもの凄く粘り着いた。足を振るったくらいでは落ちず、そのまま乾いた砂州を歩けばどんどん足の裏に真砂土をひっつけてしまう有り様…まるで鉛装着の靴みたいだった。
蛇瀬池の汀をうろうろしていると結構目立つ。それ故にあまり足元を気にした行動を取ってはいられなかった。もし他の場所から見られているなら、迂闊な行動でハマって足を汚したのがバレバレである。起こり得る危険を予測していながら、結果的に回避できず予想通りの結果になるのは、踏査においてかなり恥ずかしいことなので…

一旦砂州から離れ、別のアングルから撮影した。
既に北小羽山半島の原生林が島や砂州に影を落とし、立ち位置を変えなければ明瞭な写真が得られなかった。


砂州や浅瀬部分も含めて撮影。
汀が赤いのは真砂土独自の色だが、島が赤く見えるのは純粋に西日の影響だ。実際には灰白色を呈していた。


この位置から周囲のパノラマ動画撮影を行った。

[再生時間: 27秒]


この程度のことで上陸を諦めてすごすご退散はしない。
再度、別の場所を踏みしめつつ接近してみた。


粘性土に足を取られた跡がいくつも見られることから、上陸を試みた有志は私だけではなさそうだ。そして足跡のいくつかは私と同様の悲惨な体験を想像させるほどの深みを踏み抜いていた。

島へ再接近した状況での一枚。
これが限界…本当に限界だった。


限界と書いていることからも推測されると思うが、
上陸を断念した。
この飛び石を伝う以外到達できる経路はない。しかし周辺の何処から接近しても一定限度飛び石に近づいたところで例外なく地面が緩んでいた。上の写真を見れば本当に目と鼻の先なのだ。
腕を伸ばして撮影している…実際は一番手前に見えている石でも3m程度離れている

恨めしいが、ここから可能な範囲で島全体を撮影してみた。
北小羽山半島側から見える部分には特に古い人工物などは見あたらなかった。


島の本土手寄りには子どもたちが持ち込んだのだろうか…泥水の入ったペットボトルらしきものが置かれていた。


このペットボトルは間違いなく今の状態になってから置かれたものだろう。したがって飛び石を伝って最近島に上陸した人間が居たのは確かだ。恐らく近所に住む子どもたちの仕業だろう…この状態から飛び石を踏み抜かずに渡れるのは体重がそれほどない人間に限られる。

真砂土ばかりの半島部には足に付着した泥濘を落とせる草地がなく、重い靴を我慢しつつ一旦本土手まで戻った。

本土手付近から再度、島をズーム撮影してみた。先ほど見た砂州からは島の裏側になる。
遠いので微細な部分は分からない。まして日が暮れかけていればピントを合わすことすら困難だった。


次の仕事先に行くのにこんな出で立ちではとても訪問できない。
草むらの中で摺り足して可能な限り靴に着いた泥を落とし撤収したのだった。

この記事を著す12月下旬では詳細をよく覚えていないが、残念ながらこの陸上踏査を試みた翌日以降、割とまとまった雨が降った。その後も一両日くらい夜間に雨が降ることがあったように思う。

諦めきれずこの踏査の一週間後、再び蛇瀬池の本土手を訪れてみた。
残念ながら「島」に戻っていた。


島から伸びる砂州の末端部分は完全に水没している。この一週間のうちに降った雨で上流から水が流れ込んだ結果だ。


現地で確かめたのだから、実際には半島部分から島までの水深は極めて浅い。それでもこの状況なら、たとえ長靴を履いても足を濡らすことなく安泰に上陸することは不可能だ。

この写真を撮影後、再び雨が何度か降ったので上陸計画は完全に潰えた形になった。
次にチャレンジできるのはいつになるか分からない。過去3年間程度にわたって蛇瀬池を観察していながらここまでの低水位状態に接したことがないので、続編記事を書くのは当分先のことになりそうである。
1. かなり前の話だが蛇瀬池の水位が非常に下がったとき同様に汀を伝い、半島部分から「上陸」を成し遂げたことがある。そのときは砂州部分まで完全に乾いていて足元がハマることはなかった。島には特に何もなかった。(東小羽山住民による体験談)
FBページ|2015/12/10の投稿」の読者コメントも参照。(要ログイン)

ホームに戻る