祈祷台池【旧版】

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現地踏査日:2012/1/7
記事編集日:2014/4/27
情報この記事は公開後に多くの知見が得られ内容が古くなったので再構成しました。現在の総括記事はこちらを参照してください。

祈祷台(きとうだい)池は現在の地番で言えば野中1丁目にある溜め池で、夫婦池に次いで常盤池に近い位置にある。

地図で位置を確認しておこう。


地図でも分かるように、祈祷台池は角の欠けた平行四辺形をしている。周囲をほぼ完全に道路の堰堤や家屋のブロック塀で囲まれていて自然な土手の形の汀は殆ど遺っていない。
池の西側にある堤の上を市道梶返野中線が通っている。この市道はアジトから自転車で常盤公園へ行くとき、経路や坂の距離は短縮されないものの勾配が比較的緩く疲労度が少なくて済むので、その時の気分に応じて選択される経路の一つとなっている。

さて8日の午後、常盤池や夫婦池など踏査方向が共通することに加えて池関連がメインの踏査だったこともあり、記事制作仕様に追加の写真を撮ってきた。

ここは市道梶返野中線と市道東新川野中線の交点である。
東山住宅入口バス停があり、梶返野中線は対面交通の道を斜めに横切っている。既に先方には堤の白いガードレールが見えている。


市道は若干高度を上げ、祈祷台池の堤に接続される。
ここに余水吐があり、市道の下をコンクリート水路で横断している。今どきやや珍しくなったコンクリート蓋が掛かっている。
今回写真撮り忘れたので一昨年の春市道梶返野中線を走ったときの写真を流用している


自転車を路側に停めて池に接近する。
池の大きさに呼応して、余水吐も小さめだ。市道横断部も小動物がくぐれる程度の幅と高さしかない。
もっともくぐろうとした近所の子どもとか居るのかも…
設置位置も高く、ここから越流することは滅多になさそうだ。


灌漑用水が要らない時期のせいか水位は低い。汀まで接近できそうだ。


池に接するコンクリート壁に付着した水跡からすると、用水需要期にはあと1m程度水位が上がるようだ。
栄養素に乏しいのか水が引いても殆ど草が生えていない。


正面に見える大きな建物は常盤台病院である。


堰堤に沿って撮影。
護岸部がコンクリートで固められ、中央に樋門がある。
護岸土手に植えられたサクラは恐らく築堤当時からの補強用だろうか。


池の正面。
樋門の操作や清掃のときガードレールで塞がっていては作業しづらいせいか、このスパンだけは取り外し可能な短いガードレールに置き換えられていた。


樋門は建築ブロックで囲まれ、降りていく階段がついていた。


市道を進み、堰堤の端まで移動する。ガードレールの切れ目から池の中へ降りていく道がついていた。
余ったコンクリートを置いて階段状に均しただけの簡素なもので、割と最近拵えたもののようだ。
前回サクラの時期に来たときには土の斜面だったように思う


降りられるよう造られたものなので、遠慮なくここから降りてみた。

天気が良いので青空を含めて池を写すと日の当たらない岸辺が真っ黒になってしまう…


空をホワイトアウトさせて岸辺を撮影。
水位が低いのでその気になれば先の方まで歩いて行けそうだ。しかしブロック塀一枚隔ててすぐ民家の家並みなので、さすがにそこまでする気はなかった。


最後に上がり口から対角状に撮影する。
家並みの背後に見える鉄筋コンクリートの建物は常盤中学校である。


ズーム撮影。
私が中学3年生のとき、まさに今見えているあの3階の一室で1年間を過ごしたのだった。
木に隠れている部分がトイレ、その右横が昇降用の階段、真正面に見えるのが3年1組の教室だった


ここから教室が見えているので、あの場所からも祈祷台池を眺めることができるということだ。
実際、窓際に近づけば家の屋根を越して祈祷台池が見えていた。池の存在は知っていたが、池の名称はもちろんその由来にもなっているこの近辺の小字(祈祷台)も全く知らなかった。
隣接する「組木原」という小字は知っていた

これほど近いにもかかわらず、中学校時代はこの池に関する想い出は皆無である。登下校の際には決まった道以外通ってはならなかったし、家からも距離があって遊びに来る場所でもなかったからだ。

ただ、あの教室から祈祷台池を写した当時の写真が存在する(筈だ)。
あれは確か卒業式が済んだ後日のこと、もう常盤中学校の在校生ではなかったのだが、公立高校の合否報告のために中学校へ行かなければならないときがあった。
今ではそんなこと考えられないだろう
これが自分の過ごした3年1組の教室を眺められる最後と知っていたので、記念のためにカメラを持って登校した。職員室で用事を済ませた後、一人で元の教室に入って様々なアングルから教室内を撮影した。このとき窓から眺めた祈祷台池の写真を撮っている。
この記事に間に合えば…と思って先ほど押し入れを探したのだが見つからなかった

思えば祈祷台という小字も何やら歴史を感じさせるものがある。全く安直な推測を行えば、古い昔、長いこと雨が降らず常盤池が干上がって旱魃の危機に晒されていた…雨が降って水が溜まるように祈祷を捧げる場所がここにあった…という具合なのだろうか。
区画整理で野中1丁目に住居変更されてから祈祷台という小字が現れる建物などは殆ど皆無である

さて、話を現代に戻し、この溜め池の水位が高いときの写真も付け加えておこう。
以下の2枚は一昨年の春、市道梶返野中線を通って常盤公園にサクラを観に行く途中に撮影した写真である。

灌漑用水の需要期を控えて、水位がかなり高くなっていた。コンクリート壁の下まで用水が来ている。


建築ブロック造りの樋門も天端まで水没していて見えない。


いちゃ♥ イチャ♡ している野ガモのカップル。
こらっ。
おまえら、仲良過ぎだぞっ。
野ガモになりたい野ウサギ^^;


さて、樋門があるということは、需要期には開栓して田畑に用水を供給するのである。すなわち祈祷台池は生活排水が流れ込む汚い沼地ではなく、灌漑用の水を確保している。
もっとも遙か昔には周辺の家から生活排水が流れ込むことはあったかも知れない

祈祷台池の周囲には流れ込む水路や川はないので、何処からか別途灌漑用の水を導いていなければならない。この池の周囲に降る雨水だけでは、相当期間を経ても十分な水が溜まるとは思えない。

この疑問から、つい最近こんな突拍子もない推測が生まれた。

もしかして…

こんなことになっている可能性はないだろうか?


祈祷台池に灌漑用水を確保するもっとも簡単そうな方法は、近くにある常盤池から用水を導くことだ。それも例えば樋門なしの暗渠で常盤池と繋がっていて、水位が連動している…なんて可能性は?

そういう推測が生まれるのも、以前にこの映像を見ているからだ。


派生記事: 常盤池・水没建築ブロック【3】
高専グラウンド裏手の常盤池に接する護岸には、このような場違いに直径の大きい管渠が口を開けている。祈祷台池と完全に水位が連動しているか、あるいは常盤池の水位が上昇したとき自然流下するよう勾配のついた管渠になっている…なんてことはないだろうか。

アジトを出るときからこの考えがあったので、池の中に降りたとき常盤台病院側の護岸をズーム撮影していた。しかしここから窺う限りそれらしき暗渠などは見えなかった。


それでもなお「管渠接続説」に偏るなら、常盤池から用水を一方的に流下させれば足りるため、祈祷台池側の管渠は水没していて見えなかった…という可能性は一応ある。
しかし恐らくそんな構造にはなっていないだろう。仮に管渠で接続するならその延長は300m程度必要で、後世になって築造したのでもない限り、そんな連絡管が造られれば何処かに情報が遺る筈だからだ。
高専グラウンド裏手の管渠は恐らく古い時代に造られ今は使われなくなった雨水排水経路の一つと思う

先の写真でも分かる通り、灌漑用水需要期には水位が上昇する。雨が降って近くを流れる水を取り込むだけでこれだけ水位が上がるとも思えず、何処かから引水できる慣行水利権を持っているのだろうか…

多分進展はないと思うが、この件を含めて新しい知見が得られれば続編を書くことにしよう。
【追記】(2014/4/27)

初回記事作成から一年以上経過したため、景観の変化や新たな情報が得られている。整理を要するが取りあえずまとめてここに書き留めている。

・祈祷台池の東側にあった常盤台病院は2014年1月より解体開始され4月現在には姿が見えなくなるまでに撤去されている。

・溜め池関連の事故が多いせいか、市道に沿ってネットフェンスが設置された。市道折れ点のガードレール切れ目部分にはフェンス門扉が設置されている。当然施錠されており汀へ降りることはできなくなった。

・祈祷台池は灌漑用水を貯留する常盤池に対する補助池のうち最大のものである。同様の補助池は昭和中期頃まで現在の常盤中学校北側付近を始め数ヶ所あったとされる。[1]

・祈祷台池に流入する水源は上流にある雨水処理水路のみであり、常盤池との連絡はない。したがって管渠連絡説は誤りである。楢原の入り江で西側の尖っている小さな部分は湧水の汲み出し向け水槽があった。[2] また、溜め池自体の湛水面積が小さいため水位の変動は季節要因とはあまり関係がない。冬場でも最高水位近くになっている場合もある。

・明治時代からある溜め池であり成り立ちは古い。水位の下がる冬場にはスケートが出来ていたとされる。[2]
出典および編集追記:

1. FBページ読者のコメントによる。

2.「野中今昔物語」(参考資料)による。

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