常盤池・本土手【1】

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現地踏査日:2013/7/7
記事編集日:2013/7/14
本土手は市道常盤公園江頭線になっており、結構な往来のある普通の道なので昔のものは殆ど何も遺っていない。歩道を歩いても常盤池に面する側が後述するような特殊な構造になっていることを除いて、ここが遙か昔は谷で人力により堤を築いたことが実感されづらい。
まして夏場は藪が生い茂るときであり、本土手の下流側を観察しようにも視界が殆ど得られない。本格的にやるなら秋口以降に藪へ潜入するくらいの覚悟が要る。
得るものはないだろうという気はしつつも、一応右側の歩道に沿って進み検証してみた。

本土手の右岸付近になる。道路左側に見えるのは樋門入口である。
写っていないが左側の橋に飛び上がり地蔵尊がある。


この場所は市道のT字路から若干進んだ位置になる。白トビしているが右側に石炭記念館がある。
道路の右側は既に斜面が始まっている。あのT字路の先に灌漑用水取り出し口へ降りる階段があったのだった。


ちょっと下を覗いてみた。
時期柄樹木の枝葉が繁雑で見づらいのだが…かなり下の方に水の流れが見える。


ズーム撮影。
本土手樋門を出た灌漑用水が吐き出され、開渠を流れている。目測で高低差は5m程度。流水の音も聞き取れた。


右カーブに差し掛かる地点。この辺りは既に堰堤部分の筈だ。
心なしか歩道が堰堤の外側へ向かって傾いているようだ。


堰堤のほぼ中央部。
外側は酷い藪である。植生が置き換わってしまったのか、かつて補強目的で植えたとされる松の木はまったく見られない。


カーブが緩まり直線になる。本土手の左岸側に近づいている筈だ。


カーブを過ぎて概ねこの位置である。
ここで改めて本土手となる堰堤の外側を覗いてみた。


頻繁に撮影するので自転車に乗っても意味がない…押し歩きしていた。
その後ろから再び下側を覗いてみたのだが…

藪しか見えません…sweat
やっぱり時期が悪かった。


この下がどんな風になっているかまるで知らない訳でもない。初期の夫婦池の汀調査では、樋門の取水口からと荒手側から接近している。しかし盛大な藪に阻まれて相互の往来は一度もできておらず、本土手が造られた当時のものを探る以前の段階にある。

本土手の左岸接続部付近。
道路右側は既に地山だが、左側は入江部分を巻くように曲がっているので歩道は張り出し桟橋構造になっている。


地山に到達してすぐのところに常盤堤東荒手石橋を通る古道の入口がある。
歩車道境界ブロックが途切れており車止めの鉄柵があることから近年まで人が往来していたらしい


このように、結局本土手の下流側は歩道からさえも特に何も視認できなかった。

市道を渡り常盤池側へ移る。
この部分は後から歩道を張り出し桟橋の形で付け足している。


張り出し歩道の下に低い石積みがあり、初期の護岸と思われる。


本土手を過ぎた先で市道は大きく左へカーブする。この場所は充分な幅員が確保できなかったからか、歩道が常盤池の上にまで張り出している。


通常水位では車道部分のコンクリート護岸下まで水が押し寄せるが、低水位時には護岸下が現れることが知られている。


歩道は常盤池の上へ張り出して設置されている。境界の問題が起きないのは、市道も常盤池も市に帰属するためだろうか。
この張り出し歩道の設置時期は思い出せないものの相当昔からある。上を通るのが歩行者や自転車だから問題はないだろう。もう少し重いものが通ったとしたら、強度的には些か心配なものがある。
低水位期にこの下を踏査して護岸に亀裂を見つけていた…注意すれば先の写真にも観察される

この護岸下については、余水吐の調査を行ったときに既に実行済みである。時系列は前後しているが後続記事として案内しておく。

(「常盤池・本土手【2】」へ続く)

なお、秋口以降に本土手下流側の詳細な調査が実行できたなら、本編の写真を差し替えるか後続記事を制作する予定である。

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