余水吐を過ぎて張り出し歩道の真下に到達している。
コンクリート護岸の下側30cmくらいのところに水の跡がついており、通常水位ではそこまで池の水が押し寄せる。
余水吐の近くに転がっていた石柱は、残念ながら純粋に余水吐部材の一部だったらしく文字など当時を伝えるものは遺されていなかった。
本土手は常盤池の築堤の要であり、水位がこれまでになく下がった今なら、未発見のものが汀へ見つかるかも知れない…という期待感があった。
(そう美しくもない低水位の池の汀を辿る最大のモチベーションである)
その前に些か現実的な話だが…
張り出し桟橋構造の歩道を支えるコンクリート護岸がエラいことになっているような気がする。
1スパン分、およそ4mにわたってかなり大きな亀裂が走っていた。隣のスパンにも若干及んでいる。
ズーム撮影。指2本分くらい入る幅に拡がっていた。
もしもここから常盤池の水が染み込んだら本土手が…と一瞬考えかけた。
しかしコンクリート護岸についた水の跡を見ると、最高位でもクラック部分に達していない。精々、満水位で風が強ければ飛沫がかかる程度だ。常時水没してしまうほど水位が上がる前に余水吐から越流する。したがって池の水でジャブジャブ洗われる心配はない。
横方向にクラックが入ったのは、基礎や裏込が洗われたために護岸コンクリートの自重で下がったからだろう。この上は歩行者や自転車が通るのみで、重量物が負荷を与える心配は殆どない。しかし張り出し桟橋の池側へ思い切り重たいものが寄ったならちょっと心配な気はする。
(コンクリートの基礎部が洗われ空いている方が問題…池の水が浸透し護岸の内側に空洞が出来ているかも知れない)
護岸の下は栗石が転がっていて、水の押し寄せない部分から早くも草が生え始めていた。
低水位が一定期間続いていることを示している。
護岸下の土手部分は常盤池に向かってかなり傾斜していた。
本土手は常盤池が誕生する以前は塚穴川の一部だったので、沢としてはこの辺りが最も深い。水面で隠されているから気付かないだけで、恐らく現在身を置いている場所は急斜面の最上部だろう。
右岸側に到達した。
ここからは角度の異なる古い護岸が伸びていた。低水位の今でも水が押し寄せ護岸下を歩くことはできない。
低い方が初期の護岸だろう。その上1mくらいのところを市道が通り、張り出し歩道はこの上をカーブで通している。
低い護岸を車道の護岸部に擦り付けているので、当初からこの構造だったようだ。
古い護岸の天端までは1mちょっとの高さ。頑張ればよじ登れるだろうがそこまでする気はなかった。
自転車を余水吐の近くへ置き去りにしているし、逆から降りて来た方が安全だ。
そのまま引き返すことにする。
足元に転がっている栗石も当初の本土手のものとは思われない。車道部の護岸を施工するとき補強的に充填したのだろう。
結局、本土手の護岸下の様子が判明しただけで岸辺には何も見つからなかった。
もっとも低水位期の今でなければここを歩くという芸当すら成し得ないのも確かだ。
再びここへ戻ってきた。
さて、余水吐の近くに転がっているこの石柱をちょっと調べなければならない。
余水吐踏査の記事から読んで来られた方は、「常盤池・余水吐【2】」から参照元記事の時系列へ戻ることができる。
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別の日に樋門小屋の下を回り込んでこの護岸の反対側へ降りることができた。続編として案内しよう。
(「常盤池・本土手【3】」へ続く)