常盤池・東條

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記事公開日:2012/12/15
最終編集日:2022/3/19
常盤池における東條(とうじょう)とは、古地図に記載されている入り江の一つを指す。
下の地図では入り江の先端部分付近をポイントしている。


常盤溜井之略図にもその名称が記載されている。


周遊園路の入り江左岸側から撮影した写真。
前方に見える突端部が山炭生の鼻である。


地図では水路のように細く表示されているが、昭和中期頃の改変にによって当初の姿が不明瞭になっている。
東條という名称の由来は明確には分かっていない。この入江の東側の岡ノ辻は床波方面から海産物を運んでいた極めて重要な古道の交わる場所であり「東に道のある地」ではないだろうか。[1]
《 アクセス 》
車で訪れて常盤池の周遊園路を歩くなら、北側は常盤スポーツ広場の駐車場、東側はときわ湖水ホール駐車場に車を停め置いて周遊園路を歩くことになる。
ウォーキングやジョギング目的ならときわ湖水ホールの北側に無料駐車場がある

自転車で訪れる場合は、岡ノ辻方面から向かうなら自動車学校へ向かう地元管理の道を利用する方法がある。詳しくは以下の派生記事を参照。
派生記事: 市道丸山黒岩小串線・東條の入り江に下りる道
未舗装路を自転車に乗って通行するのは問題ないと思われるが、周遊園路に入る場合は適宜自転車を停めて歩くか、降りて押し歩きする必要がある。
《 特徴 》
・東條は7つの主要な入り江の中ではもっとも大規模な改変が加えられている。
その様子は航空映像で現在と比べてみることで理解される。
「国土画像情報閲覧システム - 常盤池北部(昭和49年度)の航空映像」
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CCG-74-12&PCN=C22&IDX=16
別ウィンドウで開いたページ右上にある400dpiのリンクをクリックすると高解像度の画像が表示される
即ち昭和49年度の時点で既に入り江の中ほどで締め切られ、現在の周遊園路としての経路の一部が出来上がっていた。
締め切られた堰堤の内側は水質や水深が異なるせいか、水の色が常盤池本来のものよりも薄い。
既に自動車学校は存在しているが、周遊園路そのものはまだ整備されていない。山炭生の鼻付近は畑地だったようで、畝で仕切られた部分が見えている。

東條の入り江が改変された理由は詳細には調べていないがかつてこの付近に存在していた常盤炭田と関連があるものと思われる。
写真は周遊園路から撮影した跡地付近である[2010/4/6]


常盤炭田は昭和中期まで稼働していたことから、採炭作業のために入江を堰堤で締め切り常盤池から切り離したのだろう。

・堰堤で締め切られた内側は排水路部分のみ残してすべて埋め立てられている。堰堤に接する部分はフェンスで囲まれ、資材置き場のようになっていた。
現在は仮置きされていた一連の資材は片付けられている[2010/4/6]



・上流部からの注水口は入り江の右岸側に存在する。構造は通常のカルバートボックスで、樋門は存在しない。[2012/1/15]


この水路として残っている部分は勾配が殆どゼロなので、常盤池の水位が上昇するとかなり内陸部まで池の水が遡行する。岡ノ辻から降りてくる地区道が自動車学校の前を過ぎてこの水路部を横断する場所でも遡行が確認されている。[2012/1/15]


・堰堤部は当初は砕石を敷き詰めただけの簡素なものだった。その後一旦アスファルト舗装されたが、堰堤に沿って排水側溝が布設された折りに自然色アスファルトと砕石敷の半々の構成に変更された。また、このときに入り江側へ転落防止柵が設置された。
この写真は排水側溝が施工された直後のものである。[2012/1/15]


これは自然色アスファルトを施工し、転落防止柵を設置した後である。[2013/1/1]


数年前までは堰堤部分は通常の砂利敷でかなり歩きづらかった。砕石が流れたり偏りが生じるので定期的に不陸整正する必要があった。[2]
堰堤部に排水側溝が布設されたのは、内陸部が一段高い真砂土の敷地になっていて雨のとき周遊園路上を伝って水が流れ、入り江に土が流れ込むのを防ぐためと思われる。

・堰堤の左岸側には子どもたちの幸福な成長を願うサクラ記念植樹碑が設置されている。


サクラの咲く時期は堰堤から山炭生の鼻周辺にかけて周遊園路は満開のサクラに埋め尽くされ大変美しい。ここは周遊園路において印象に残る眺めを提供してくれる名スポットである。[2010/4/6]


・入り江の右岸側は真砂土系の粘性土で、露岩が殆どない自然の岸辺である。このため水位上昇時の侵食が著しい。左岸側も自然の岸辺だが、粘性土に混じって露岩、場所によっては石炭層の露出部がみられる。
堰堤部分は侵食防止の護岸が築かれている。特に堰堤より内側の水路部分はブロック積みとコンクリートによる垂直壁となっている。

・水位が低いとき、堰堤下部にはかつての土留め柵と思われる古い木柱が観察される。
同様のものは入り江左岸の末端部付近にもみられる。[2012/11/25]


これはもしかすると常盤炭田のために堰堤で締め切った初期の柵跡かも知れない。

・入り江左岸中ほどに倒壊寸前の松の木が存在する。岸辺が著しく侵食された結果である。[2012/1/15]


自然の岸辺となっているためであるが、同様に倒壊寸前な樹木がかなりある。[2012/1/15]


左岸末端部から岬周辺にかけては、岸辺に設置されたベンチが既に崩落している場所もある。
《 個人的関わり 》
周遊園路が整備される以前は青年の家から岸辺沿いを辿る道がなく、幼少期に訪れたことは一度もない。
平成初期に周遊園路の補修作業[2]を行った後、本社へ帰るまでの短い時間に岸辺のハクチョウを撮影した写真が見つかった。

以下の2枚は現物写真のデジカメ近接写真である。
業務で使うカメラの予備として自分用のカメラを持っていた


この時のことはよく覚えている。
最初、上の写真を撮影した。その後泳いでいる一匹のハクチョウが上陸して私の方へ歩いてきた。

その時に撮影した一枚。
特に人を恐れもせず近寄ってきたところで撮影している。


ところが…

この直後、ハクチョウは私に背を向けたかと思うと、思い切り羽を広げてバタバタと羽ばたいた。そのときハクチョウの肘の骨が私の膝上を直撃した。
餌をくれると思って近づいたのに私が写真を撮るだけなので怒って威嚇したのだろうか…とにかくもの凄く痛かった。作業ズボンを履いている上から羽根が当たっただけなのだが、内出血してその後数日間ほど痛みが残った。
大人の私でもそんな状況なので、小さな子どもが無邪気に近づいたらかなり酷い怪我を負っていただろう。もっとも今となっては懐かしい思い出であった。写真を撮影した正確な月日は分からない。
日記帳を調べれば記述を残しているかも知れない
出典および編集追記:

1.「ときわ公園物語」p.8 では最初に常盤池の築堤を計画した人物(東條九郎右衛門)に因むという記述があるが、これは物語構成上のフィクションである。東條九郎右衛門という人物の実在性については古文書を検証する必要がある。

2. 公園緑地課発注の維持修繕の一環で2tダンプトラックに砕石を積み、人力による整正作業を行ったことがあった。
山炭生の鼻より右岸から堰堤部分、左岸の中ほどまでを歩いた低水位踏査記録。
派生記事: 東條【1】【2】

東側の入江 東側の入江に移動 西側の入江に移動 西側の入江
兵右衛門屋敷土取

《 地名としての東條について 》
常盤池の東岸にある東條(とうじょう)とは、大字沖宇部に存在する小字の一つである。
大まかな字東條の領域は以下の通り。


明治期作成の山口県地名明細書にはみられない。山地字として存在していて居住者がなかったものと思われる。

東條という字名は他の地域にもみられる。藤山村エリアには「〜條」の地名がきわめて多い。

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