常盤池・東條【1】

インデックスに戻る

現地踏査日:2012/12/15
記事編集日:2013/1/20
本編および後続記事では、東條の入り江の現地歩行踏査を収録する。
本編と次編で収録しているのは、以下の地図に示される区間である。


本来の入り江は堰堤で締め切られた内陸部の湿地帯に及ぶのだが、その区間はまた日を改めて検証する予定である。

---

時系列では「山炭生の鼻【1】」の続きとなる。
低水位踏査として岬の周辺を訪れた後、周遊園路に戻らずそのまま東條の入り江の左岸部を伝い歩いている。


通常水位より1m以上低いため、汀が5m以上も退いている。
この近辺は殆どが粘土っぽい真砂土系で露岩がまったく見られない。ところどころでコンクリート片が落ちていた。


空中に現れて相当期間が経っているせいか、赤土も乾いて白っぽくなっている。


周遊園路との接続部近くに底部が流出して宙に浮いている排水溝があった。


排水口の下には栗石が散乱していた。基礎部分が完全に流失してコンクリート側溝部分だけが残っている。


周遊園路ウォーキングのとき、この排水口の存在は知っていた。そのときは排水口の下まで水が来ていたので、こんな状態になっているとはもちろん分からなかった。

赤土気味な岸辺を辿ると、堰堤の端に到達する。
ここに池と内陸部の入り江を連絡する注水口がある。


注水口の手前から栗石とコンクリート混成の護岸が始まり、周遊園路横断部はボックスカルバートになっている。
ここも通常水位だと両袖の天端まで浸るので詳細な構造は分からなかった。


現在は水位が低いので、内陸部で集めた雨水をチロチロと排出している状態だった。
しかし溜まり水が広範囲に広がっているので堰堤側に渡れる場所がない。


堰堤部直下の区間は帰りに辿ることにして、ここから一旦周遊園路に上がって左岸側を辿ることにした。


堰堤部分だけは周遊園路を一般の通行人みたいな顔をして歩いた。それでも視線は低水位な堰堤真下の汀に向けられていた。

天気は良いが寒い時期のため周遊園路を歩く人はそれほど多くなかった。まあその方が好都合だ。周囲を撮影するにも無関係な通行人を写し込まずに済むし、普通の人が立ち入ろうとも考えない護岸の下などをウロついていても目立たないからだ。
今だから撮影できるしそこに身を置くこともできる…通常水位に戻ればすべては押し黙った水の下に隠されてしまう。水の下にそう珍しいものが潜んでいるとも思えないが、期間限定で普通なら見られないものが観察できる可能性はある。それこそがすべての低水位踏査のモチベーションである。

堰堤の左岸接続部に到達する。
ここで堰堤部護岸の種類が代わり練積ブロックに、その先は間知石積みになっていた。


段々と低くなっていく間知石積みの天端を歩いて再び岸辺に降りた。
この護岸部はかなり新しい施工のようだ。


踏査は常に午後からのため、西に向かって歩くと逆光になる。光を浴びてまともな映像を結ばないので振り返って撮影している。
左岸の方が更にゆるやかな岸辺になっている。至る所に車のタイヤ痕があった。


それは周遊園路が半島部へ入っていく辺りからここに続いていた。
打ち寄せられたゴミや木の枝を回収する公園緑地課の作業車だろう。車を乗り入れられる範囲では軽トラで倒木などを片付けているらしい。


木の陰に入って逆光を避けつつ撮影。ここからでも白鳥大橋が見えている。
白サギが汀で獲物を探していた。


私が一歩踏み出してズーム撮影を試みようとしたとき気配を察したのか飛び立ってしまった。

白サギの居た辺りまで到達したとき、それまでの汀の土質とは異なるものを見つけた。
逆光だと色彩が飛んで分かりづらいかも知れない。


一旦通り過ぎて順光で撮影。これなら分かるだろう。
そこには奇妙な人工物も一緒に見つかった。


投棄されたアスファルトの破片みたいに黒々とした土…そして全く場違いとも思われるコンクリート杭だ。


近づいて調べてみた。
何と宇部市の境界杭だった。どうしてこんな場所に設置されているのだろうか… 今は低水位だからこそこうして観察していられる。標準水位なら杭全体が水中に没してしまうはずだ。


測量のためのベンチマーク目的というのは如何にも実用的ではないから、地目を区切るための境界杭ではないかと思う。実際には通常水位でも境界を越えて池の水が押し寄せるものの、溜め池としての地目はここまで…という取り決めの可能性である。
もっとも官民境界でもなければ頻繁に参照されるあてはなく、殆ど忘れ去られた存在ではないかと思う。

もう一つ…この場所での黒々としたものと言えばあれしかない。


石炭である。
傍目にも高品位な石炭ではない。泥の比率が多く、まるで燃えかすのように見える。


それは非常に脆く、指先で押すだけでポロポロと欠け落ちた。
古来、常盤原に暮らす人々が「燃える石」と呼んでいたそのものだが、燃えるにしてもそう強い火力が得られるとは思えない。

東條の入り江にはかつて常盤炭田が存在し、昭和中期まで稼働していたことが知られる。その場所は既に埋め立てられたり湿地帯の一部となっている。しかしそれほど離れていないこの場所なら微細な石炭層が現れても不思議はない。

(「常盤池・東條【2】」へ続く)

ホームに戻る