常盤池の入り江

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記事編集日:2015/3/31
常盤池が今の姿になったのは1600年後半のことであるが、それ以前は相応な水量のある川(現在の塚穴川の一部に相当する)が流れていて人々の暮らしがあった。現在の飛び上がり地蔵尊の場所に本土手と呼ばれる大元の堰堤を築き締め切る形で現在の常盤池が誕生した。それまで沢だったところが入り江に、尾根だった場所が半島上の地形を形成した。常盤池の湛水域にかかる常盤原には30戸程度の人々の暮らしがあり、床波や梶返の清水崎に移り住んだ。[1]もっとも水没しない入り江付近は今まで通り暮らし続ける人々があっただろうし、新たに岸辺付近に居住地を構える住民もあったと推測される。

人々の暮らしがそこにあれば、周辺にある主立った地形には須く名前が与えられる。今となっては由来が不明なものが多いが、常盤池に存在するいくつかの入り江や岬は名前を持っていた。時代が下って農耕を中心とした生活体系が変わり、水を求めて常盤池の入り江に面して暮らす家屋も激減した。現在では入り江や岬が日常生活にかかわる機会がほぼ皆無なため、それらの名前は近辺の小字と共に忘れ去られた存在である。

現在では宇部市民の間で入り江の名前が話題に上ることはまずないし、常盤公園内に掲示された常盤池の案内板ですら、7つの主要な入り江が存在すると書かれているのみである。


この「7つの入り江」は、明治18年に作成された「常盤溜井之略図」という常盤池の全容を描いた地図にその名を見ることができる。
郷土資料館の展示資料で写真撮影および掲載にあたって館長の許可を頂いている拡大対象画像です。
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入り江の名前の多くは常盤池が誕生した後のことと考えられるので、古くから人々の暮らしがあった小字などに比べればむしろ歴史は浅い。

常盤溜井之略図を元に、現在の国土地理院地図に主要な7つの入り江の名前を書き込んでみた。


入り江の殆どは常盤池の北側に集中している。昔ながらの姿をほぼ保っているものもあれば、現在は改変されて殆ど埋め立てられている入り江もある。
【 えごについて 】
古文書においてしばしば常盤池の入り江は「えご」と呼ばれる。一般には常に平かな表記される。[2]推測だが、えごという呼称の由来は入り江の小規模なもの、即ち「江子」ではないかと思われる。
主要な7つの入江は一部が小字として遺っているものの、一般名詞に近いえごは文献に現れることも少ないせいか現在では入江の名称以上に一般への知名度が低くなっているように思われる。当サイトでは既に殆どの記事を入江という表現で書いてしまっているので、常盤池の「えご」を指すものもそのまま「入り江」ないしは「入江」と表記している。
出典および編集追記:

1.「ときわ公園物語」p.194

2. 入江と漢字表記したままで「えご」と読む場合もある模様。郷土関連の書籍では殆どが平かなで「えご」と記載されている。
《 7つの入り江の概要 》
航空映像に頼らず7つの入り江を上空から直接眺めたいなら、石炭記念館の展望台を利用するのが最も簡単である。これは石炭記念館展望台から撮影した常盤池の映像で、通常の地図と同様ほぼ真北に向かって撮影している。[2014/4/2]


すべての入り江を完全な形で眺められるわけではないが、池の北側は護岸に覆われない自然な岸辺をもった入江が多数見受けられる。

自然豊かな常盤池の周辺を堪能するために、平成期に入って池を一周できる周遊園路が整備された。園路はすべての入江の岸辺を忠実にたどってはいないものの、7つの入り江を近くから眺めることが可能である。
「健康ウォーキング」と称して周遊園路を一周または半周する一般公開イベントが年数回開催される。このイベントの一周コースでは、常盤池の東にあるときわ湖水ホールから出発し、逆時計回りに歩いて最後に常盤橋を渡って戻ってくる。[1]ここでは健康ウォーキングのルートに準じて各入り江の概要を掲載する。

周遊園路とされる経路は今のところ正確に決められてはおらず、複数のルートが存在する。旧東駐車場から歩く場合は青年の家の前を通って真っ直ぐ下るルートが最短だが、ウォークイベントではときわ湖水ホールが出発点になるため、最初に常盤橋の見える階段を下りる。ここで半周コースは常盤橋を渡って白鳥大橋の手前まで歩いて引き返すが、周回コースでは逆時計回りに岸辺を辿る細い道を進む。
この近辺は論瀬と呼ばれる小字で、小規模な入り江が目立つ。かなり起伏のある狭い道を経て青年の家の前から来る幅の広い道に合流する。

幅広の道を真っ直ぐ下った先で出会うのがやや小ぶりな兵右衛門屋敷と呼ばれる入り江で、現在の常盤台県営住宅の裏手にある。入り江に人の名前というのも不思議な気がするが、いくつかの伝説が知られている以上のことは分かっていない。
派生記事: 兵右衛門屋敷


その先で周遊園路は半島部を横切る道と、律儀に半島をなぞるように進む小道に分岐する。両者が再び合流する地点で視界が開け、広々とした中を進むようになる。

現在は直線的な道になっているが、この部分は入り江を締め切った堰堤で、かつては東條と呼ばれる入り江だった。[2010/4/6]
派生記事: 東條


東條の入り江で現在堰堤で締め切られている内陸部側にはかつて常盤炭田が存在し、昭和中期まで稼働していたという。国土画像情報閲覧システムによる昭和49年度の映像でも既に堰堤が見えていることから、採炭を効率的に行うため早期に入り江をこの場所で締め切って露天掘りしていたようである。閉山された後も暫くは広範囲な浅瀬だったようだが、現在は上流部からの水を受ける水路部分を遺して埋め立てられている。

周遊園路は南山炭生の鼻と呼ばれる岬部分を大きなカーブで曲がり、暫くは汀を離れてこんもりとした森の中に向かう。園路が最も長いこと常盤池の汀から離れる区間でもある。

この過程で最も標高のある場所を過ぎ、やがて市道丸山黒岩小串線の旧道に向かって下っていく。途中、本線の周遊園路からは外れる形で岸辺を忠実に辿る枝道がある。すべての入り江を間近で眺めるなら、ここで枝道に入る必要がある。

その道は左側に深い沢を見ながらやがて一つの入り江に到達する。
土取と呼ばれる入り江の一部で、本土手の築堤を行うのに必要な土を採取した場所に由来すると考えられている。
山炭生の鼻からここまで汀を辿れる経路は存在しない
派生記事: 土取


土取は北に枝分かれする3つの主要な入り江のうちで最大であり、特に名前が与えられていない副次的な入り江を多数持つ。周遊園路のある側と同じ入り江の左岸には少なくとも2つの小さな入り江の存在が知られている。
枝道はサッカー場の横を通り、市道丸山黒岩小串線の旧道部分に合流する。現在あるサッカー場もかつては土取の入り江の一部で、平成期に入って埋め立てられた。

常盤スポーツ広場を後にして小さな丘陵部を越えると、すぐに再び常盤池の細長い入り江を横切る。
高畑の入り江の先端部分で、ここに注ぐ小さな川があり常盤池の水位によっては入り江にも河口部にもなる。この部分が常盤池の北端とも言える。
派生記事: 高畑


市道丸山黒岩小串線の旧道はそのまま現路線に合流し、周遊園路としては高畑の入り江右岸を辿る形になる。
ユースホステルに向かう道の立体交差を過ぎて小さな入り江に出会う。

金吹の入り江である。
金吹は老人憩いの場である金吹園としてその名を知られ、小字にもなっている。小字の由来は金気のある水の噴く地と思われる。
派生記事: 金吹


再び小さな半島部分を横切り、先端部分にボックスカルバートを伴った入り江に出会う。
7つあるうちで最も長細い形状をしたながしゃくりである。この奇妙な名前を持った入り江の由来は細長い形状によるものと思われている。
入り江の先端部分付近は「南長尺り」になる
派生記事: ながしゃくり
常盤用水路が入り江に注ぐ部分から撮影している。
入江は途中で屈曲しているため、入江の先端部から眺めたとき常盤池の本体部分は直接見えない。


ながしゃくりの先端部には常盤池の主要な給水源となっている常盤用水路が接続されている。常盤用水路は厚東川の末信潮止井堰にて取水し、末信ポンプ場で動力を用いて押し上げられそこからは中山、小羽山の蛇瀬池、琴崎八幡宮の裏手、山門を経てここへ自然流下している。近代化産業遺産に認定されており、接続部付近に認定プレートが据えられている。注水口のすぐ近くに薬草園がある。

周遊園路は暫くながしゃくりの入り江に沿って下っていく。
そして直角方向に左側から交わる入り江の末端部に行き着く。この交差末端部は南遠山の鼻という岬として知られる。

楢原の入り江。
末端部に白鳥大橋が架かっているので、周遊園路を歩いたとき楢原だけは末端部から先端部を眺める形になる。
派生記事: 楢原


楢原は常盤池が景観指定される以前に開発が進んだようで、入り江の両岸はコンクリート護岸となっていて民家などが接している。入江の先端部分は護岸が鋭角三角形状に交わる特異な形状になっており、園外にある市道楢原線を経由することで入江の先端部分を眺めることができる。入江の中程に鉱泉源があり、昭和中期まで汲み上げて温泉として供していた。現在も水位が低いとき汲み上げ井戸のパイプが現れる。入江の末端部南岸付近には炭生跡の存在が知られるが、現在は低水位時でも観ることはできない。

白鳥大橋を渡った先から再び常盤橋を渡るまでの間には昔から名前のある大きな入り江は存在しない。
ウォークイベントでは菖蒲園や彫刻広場の前を通り、白鳥湖の手前で常盤橋を渡る形で再びときわ湖水ホールに戻ってくる。
出典および編集追記:

1. 健康ウォーク以外のイベントで正面玄関から出発する場合もある。また、健康ウォークでも常盤池を半周する短縮コースでは時計回りに歩いている。
《 その他の入り江 》
7つの入り江には含まれないが、常盤溜井之略図には現在の白鳥湖(常盤橋より下流側の領域は慣習的に白鳥湖と呼ばれている)の東側にある小さな入り江に揚場という名称が記載されている。

これは揚場から本土手方向を撮影した写真である。
左手に見える桟橋上の道は市道常盤公園江頭線の張り出し歩道で、この末端に常盤池の余水吐が存在する。対岸右端に見えているインクラインのような構造物は本土手の樋門である。


揚場は常盤池が誕生する以前、瀬戸内海から現在の塚穴川を経てここまで水運によって荷物を引き揚げていた場所の可能性がある。主要な7つの入江には含まれないが古地図にも名称が記載されていることから、本サイトでは揚場を便宜上「ゼロ番目の入り江」として記事を制作している。詳細は以下の記事に。
派生記事: 揚場
同じく白鳥湖の西側には、かつてハクチョウたちが放し飼いにされていた入り江がある。常盤池誕生当時から存在していたかは定かではなく、ハクチョウの飼育スペースとして後年整備された可能性もある。


常盤池の西岸は彫刻広場など来園者が頻繁に訪れる場であり、名称はないが小さな入り江と認識される場所が数多く存在する。南側から順に眺橋の架かっている噴水池の入り江、ボート乗り場付近、ペリカン島を擁する入り江、上小場の出水口がある切貫付近、そして菖蒲園のある場所が該当する。
写真は菖蒲園である


この他に、主要な7つの入り江自体にも枝となる小さな入り江が多数存在する。手つかずの岸辺が遺る北半分は殆ど江戸期のままと思われるが、南半分の特に彫刻広場から白鳥湖にかけては改変が著しい。
《 記事に現れる用語 》
以下の用語は、入り江に関する記事において説明の便宜上用いている言葉である。必ずしも一般的に通用するものではないのでご了承いただきたい。

先端入り江を河川に見立てたときの最も内陸部に切れ込んでいる場所。完全に一つの点として同定されるとは限らない。
末端入り江を河川、常盤池本体を海に見立てた場合の注ぎ口。入り江の中心線から両岸が同時には存在しなくなった場所とも言える。
右岸・左岸入り江の先端部に背を向けて立ったときの岸辺の位置関係を指す。この定義は河川のものを流用している。

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