常盤池・水没建築ブロック【4】

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現地踏査日:2013/1/27
記事編集日:2013/6/14
記事公開日は6月だが、踏査自体は1月の低水位時で、しかも異なるアングルからの撮影が成されたというだけである。最初に断っておくと、水没建築ブロックの正体は依然として明らかになっていない。撮影写真の枚数が多いので別途記事を作成しただけである。ご了承いただきたい。

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時系列では「常盤池・楢原【7】」の続きとなる。
今まで水没建築ブロックにもっとも接近できたのは、とある民間アパートの駐車場からの2度だけだった。高専グラウンドに入ることができれば若干近づけるが、多分ネットフェンス越しにしか見られないし学校の事務所に申し出てまで観察しようとは思わなかった。

低水位に乗じてアパート駐車場のほぼ真下に居る。そしてここまで来れば高専グラウンド側のもっと近い場所に移動できた。


高専グラウンド裏側の護岸下にいる。
水没建築ブロックまでは目測で20mちょっとだ。


水没コンクリート構造物がある対岸側と違い、岸辺は入り江の中央に向かって結構勾配がついていた。1mで10cmくらい深くなっているのでターゲット付近で建築ブロックはまだ2mは水の下に隠れているだろう。

可能な限り汀へ寄ってズーム撮影を開始する。
対岸に水没コンクリート構造物が見えている。


白鳥大橋に対してはこのような位置になる。
水位が低ければ逆に白鳥大橋からも一連の水没物件が見えることが分かっている。


今まで裏側は確認できていなかったが、想像通り水没建築ブロックは四角柱状に組み上げられていたことが証明された。


対岸に見える水没コンクリート構造物を含めてズーム撮影している。


ターゲットをズーム撮影。
物理的にも今までにないほど接近できているから、ズーム画像はそれなりに鮮明に写った。


鮮明度が保たれる範囲での最大ズーム撮影。
40年以上常盤池の水に洗われているせいか表面は水垢などでかなり汚れている。しかし建築ブロック自体に剥がれや欠けはみられない。目地の部分もしっかり詰まっているように見える。


水没コンクリート構造物とは天端の高さも構造も異なる。それ故に両者が入り江を渡る建設予定だった橋の橋台跡…などという可能性はない。
視座がもう少し上がれば建築ブロックの内部が観察できるのだが、ブロックの天端がほぼ視線の高さでどうすることもできなかった。


撮影できたこのときが最低水位ではなく、もっと水位低下したときに観察できている。上から9段目の建築ブロックまで水上に現れた状態を確認済みである。特殊な構造部分をもたず、四角柱状のまま池の底に建っている…という予想がもっとも順当であろう。
一番下まで見えるほど常盤池が干上がることはない…そうなる前に常盤用水路経由で給水するだろう

今までにない近くから撮影することはできた…しかしただそれだけのことだ。
この物件の正体が何であるかのヒントは何一つ得られないままだった。


高専グラウンドの護岸寄りから観察すれば、あるいは建築ブロックの内側が見えるかも知れないという程度だろう。水位が今より劇的に下がることなど見込めず、実地に検査しても謎は解明できそうにない。


現地ではこの写真を撮った後に引き返すこととなった。

なお、やや後日談めいた話になるが、前回の「水没建築ブロック【3】」を公開してから現在まで常盤公園活性化対策推進室からは何の回答もいただいていない。この遺構に関して分かる人がどなたもいらっしゃらないという答えだった。
いつまでも未解決のままというのも気持ち悪いので、読者やたまさかこの物件について知っておられる方を期待して、本年5月5日の子どもまつりの折にカラー写真を展示してみた。かなり興味は持たれたものの詳細を知っている通行人には出会えなかった。

お一方ほど、本件に興味を示し個別に各方面へ尋ねられた方がいらっしゃった。元山口大学の工学部長だった方に尋ねてみたものの知らないという回答ということだった。また、該当物件が池の中にあるコンクリート構造物ということで、公園緑地課ではなく道路河川管理課方面からアクセスを試みたものの、やはり知っている担当者に出会えなかったという報告も頂いている。

行政関係は担当する方面について熟知しているが、異動があるので情報を持っている人を追跡しづらい難点がある。高専関係者はその点有力だが、常盤池に少しでも関係する専門分野でなければまず注意が向かない。周辺住民も然りで、いくら家の裏にある古い物件だろうが関心がなければ全く与り知らないままだろう。

些か弱気だが、本件はまだ当分の間未解決物件のベールを被せられたまま時を過ごすことになりそうな気がする。あまりにも手がかりが薄く、さりとて文献に遺されるほど有名かつ古い遺構でもない…その中途半端な時間経過は、充分に古い江戸期や明治期などの遺構よりもむしろ極めるのが困難なのかも知れない。

(「楢原【6】|時系列」に戻る)

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