常盤池・水没コンクリート構造物【2】

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現地踏査日:2011/3/27
記事公開日:2013/1/14
(「常盤池・水没コンクリート構造物【1】」の続き)

前編からしばし時間が経ち、常盤池のハクチョウたち「受難の日」から一周年となった2011年3月下旬のこと…
ときわ湖水ホールで開催されたハクチョウ慰霊祭に出席し、その後天気も良いのでアジトへは帰らず、これといった行き先も決めぬまま市道丸山黒岩小串線をどんどん走った。
岡ノ辻を過ぎた辺りで久し振りに常盤池を観てみたい気分になり、市道の旧道区間に乗り入れた。

常盤スポーツ広場前を過ぎて周遊園路の接続部に到達したとき、まったくタイムリーなことに常盤池の周遊園路の一部を使って自転車の乗り入れ実験を行っていた。
入口に散布されているのは消毒用の消石灰粉末…あの事件直後暫く常盤公園は入園禁止になっていた…入場許可となった直後暫くはこういった措置が取られた


この記事をかく現時点では未だに常盤池の周遊園路は全区間において自転車の乗車禁止である。乗れるのは精々、今しがた走ってきた市道丸山黒岩小串線の旧道との重用区間だけだ。
この区間は自転車だけではなく一般車両の乗り入れも全くフリー

周遊園路の自転車の持ち込みは、降りて押し歩きする場合に限り許容されている。しかし手ぶらのウォーキングやジョギングならともかく、常盤スポーツ広場から白鳥大橋まで自転車押し歩きなんてウンザリするほど長い。そのため周遊園路のこの区間における踏査はどうしても遅れ気味だった。

しかし乗って通って良いのなら話は別だ。アジトへ戻るにしても周遊園路を乗って走れるなら、アップダウンがきつく常盤池を大きく迂回する市道丸山黒岩小串線よりもずっと近道で見るべき物件も多い。それで当初の予定を変更し、実験に協力する形で周遊園路に乗り入れることとなった。アンケートに記入し、自転車に識別用のタグをぶら下げた状態での乗車である。


こうしてまったく初めて周遊園路を自転車走行するというラッキーな場面に巡り会えた。
この幅広な周遊園路の区間だけでも自転車乗車を認めて欲しいと再三申し入れいているのだが…

巡り会いと言えば、実はもう一つあった。薬草園のところで久し振りにまみえた常盤用水路の終点部分の撮影を行っていたときに「劇的な再会」があったのだが…まあ個人的な話だからここには書かないことにして…
↑書いてるやんか^^;

さて、いい加減前振りが長くなったが、再び自転車に跨ったときいつか踏査しておかなければならない物件をやり残していたことに気付いた。それこそが本記事主題の水没コンクリート塊の接近撮影計画である。

白鳥大橋にさしかかった。
久し振り訪れた常盤池は水位が高い。それでまずは橋の上から例の物件が視認できるかチェックすることに。


白鳥大橋のほぼ中央部から楢原の入り江を撮影。
写真でも僅かながら写っている…と言うことは肉眼でもそれと分かる程度だった。


水没コンクリート塊を最大限にズーム撮影。
鳥が羽を休めているのが見えた。


さあ、それでは行動開始しようか…
初回踏査終了時点で考えていた次なる作戦とは、楢原の入り江の左岸を遡行する案だ。常盤池の水位は初回踏査時よりもかなり上昇しており、もはや前回のように汀へ降りても接近できない。そのことは想定済みだったので、常盤寮の裏手にあたる半島部分へ行けるなら一番近い位置から観察できるのではないかと考えた訳である。

再び白鳥大橋の左岸側へ戻ってきた。
以前から気になっていたのだが、ここに奇妙な石碑とソテツの木がある。


まあ…詳しいことは帰りに調べよう…と思って当初の物件を先行調査させた。
そしてそのまま調べるのを忘れてアジトへ帰ってしまっていた…いずれ横話記事で案内する
派生記事: 記念植樹石碑
楢原の入り江の左岸側は、常盤寮の駐車場に沿って暫く草地が続いている。
適度に草刈りされているようでその気になれば自転車に乗ったまま進攻できなくもない。


振り返って白鳥大橋を撮影。
天気が良いので写真もなかなかに映える。
もう一枚撮った写真は白鳥大橋ギャラリーに掲載している


ちょっと護岸に近づく。護岸の裏込が流出している場所がかなりあった。
例の物件は護岸の内側にあたるらしくここからでは見えない。


やがて護岸の上まで雑木が張り出している場所に到達した。
もう護岸に沿って辿るわけにはいかない。


護岸はそこから先完全に覆われ、迂回すべき道もない。
ある程度覚悟はしていたが、これはかなり厳しい戦いになりそうだ。


どの位藪を漕げば見える位置まで到達するやらも分からない。しかしこの半島部自体は地図で確認してあり、それほどの距離はないはずだ。
時期は3月下旬。もう少し暖かくなれば木の葉に虫がつき始める頃合いだ。今やっておかなければ、また寒い時期になるまで先送りになってしまう。

自転車はここに留守番させておくことに。


悩んでいても仕方がない。何処を行こうが藪の密集度は同じだった。
そうとなれば突撃!とばかりに頭から突っこんだ。

厳しい…sweat


半島部分は適度な日照があるせいで下草ぼうぼう、木の枝張りまくり…イバラがないだけ幸いだった。下手に枝を撓らさせると跳ね返りで厳しいビンタが飛んでくるので、手足をフル稼働させて枝を抑え込みつつ進攻した。前方に護岸が見えていたから、それを頼りに辛抱した。

護岸まで到達し、最初に顔を出したところ。
小さな入り江の先端に見える白いガードレールには記憶があった…市道楢原線の終点付近だ。


少し眺める角度を変えると、前回の低水位踏査のとき最後に斜面を降りた場所も見えていた。


あの斜面や市道の終点が見えるということは…
常盤寮の半島部分を横切ったわけだ。ターゲットは半島の先端付近にあるのだから、直角方向に進路を修正しなければならない。

再び藪の中へ引っ込み、入り江の中央に向かうよう軌道修正しつつ突撃する。

見えてきた。
ターゲットに対して最短距離となる護岸の位置ではないかも知れないが、ここ以外顔を出せそうな場所がない。それこそ護岸までみっしりと密に植わっていて眺めが全然効かないくらいだったのだ。


この倒木は地面から中途半端な位置に横たわっていて、上に乗るには高く、跨ぎ越すには嫌らしい位置だった。
枝を頼りによじ登って護岸に向かった。まったく酷い場所だ。護岸を造ったときから全く人の手が入った様子もないらしい。

護岸の少し手前にしゃがんでカメラを持った腕だけを突き出して撮影。
前回よりは水位が上昇しているので下部はよく分からないが、絶対的距離は前回よりずっと近い。


周囲に張り巡らされた木の枝を避けつつズームする。
かなり大きい。当初思っていた「産業廃棄物説」が否定されそうなほどのサイズである。


頭の上を押さえつけている幹が邪魔になってこれ以上護岸に近づけなかった。周囲には頼りになる太い幹もなく、身を乗り出し過ぎると転落の恐れもあった。

やむなく視座の高さを犠牲にする代わりに枝の下からカメラを差し出してズームした。
これが陸地部分から観察できる最も近い場所からの映像である。


目測で一辺が2m程度の打ちっ放しなコンクリート塊で、中央に鋼管が差し込まれている。鋼管の根元は完全に一体化しており、コンクリートを打設したときからこの状態だったらしい。
頻繁に鳥が訪れて羽根を休めるらしく、コンクリートの上には糞が散乱していた。

それ以外には何の情報も得られなかった。
ただこれだけの情報と映像を得て、再び藪の中へ引っ込んだ。

撤収劇も一苦労だった。
なんとか自転車の元へ戻ってきた。


自転車を停めたときから、藪に突入した場所が常盤寮の駐車場へ繋がっているらしいことに気付いていた。
フェンスの一角が切れている。


駐車場の端になるこの場所に立て札などはなく、物理的には自由に出入りできるようになっていた。
車がある位だから、市道楢原線の終点部分にまで抜けられるだろう…


もっとも市道楢原線を走ったとき、常盤寮の入口に部外者立入禁止の標示が出ているのを知っていた。私有地進入になるし、自転車には「実験中」のタグが掛けられており周遊園路を出るとき返却しなければならない。勝手にここから遁走するわけにはいかない…^^;
それで来た道をきちんと引き返した。
この記事を制作している現在ではフェンスの切れ目は既に封鎖され通り抜け禁止となっている。
周遊園路へ復帰し、白鳥大橋を渡った先に回収担当者が居たのでタグを外して返却した。

何だか前振りばかり長くて物件そのものの写真が殆どなく、内容の薄い続編となってしまった。そこで映像提供だけでなく、水没建築ブロックのときと同様この物件の正体を推測してみた。

ここまで調べた限りで得られたのは、コンクリート塊の次の特性である。
(1) 2m×2mの現場打ちコンクリート塊。
(2) 高さは水底から2m程度。
(3) 中央に直径50mm程度の鋼管が刺さっている。
(4) 昭和40年代後半から今の状態。
先に知られた水没建築ブロックと類似している部分もある。国土画像情報閲覧システムで現物らしきものが視認される点である。
しかし水没建築ブロックが明らかに何かの意図をもって製作されたのに対し、このコンクリート塊は「造られた」という感じが薄い。それ故に特段の目的なしという以下のような推測も可能である。

a.【過去の工事に関わる投棄物】
回収しきれない(または当時回収不能だった)コンクリート仮設材をそのまま池の中に放置した?

b.【鳥類の観察関連の設備】
常盤池に飛来する野鳥の観察用設備?

c.【街灯や広告塔などの基礎跡】
かつて何かの塔が設置されていたのだが、倒壊あるいは不要になり撤去して基礎だけが遺った?

d.【タブ跡または坑道を塞いだ跡】
楢原の入り江を横断して地底に掘削された坑道にコンクリートを流し込んで塞いだ跡?

一連の推測のうち、a.はもっとも「つまらない結末」であろう。現在なら工事のために現場を改変しておいて現状復帰しないなんて施工は有り得ないのだが、昭和中期まではいい加減な後処理を行っていた事例は珍しくない。施工後に水没するダムサイトや人里離れた山奥の工業導水路などでは、余った生コンクリートをそのまま山積み投棄なんてことはザラにあった。
しかし鋼管がついたままのコンクリート塊を常盤池の入り江に捨て置くなんてのはちょっと考え難い。護岸工事で生コンクリートが余ったにしても、こんな形に成型して鋼管を差すという理由に乏しい。

b.の鳥類飛来観察設備というのは、現状で確かに鳥が羽を休める場にはなっているものの、何故この位置に造ったかの説明がつかない。岸辺からは離れており、あの場所へ行くならボート以外ない。普通ならもう少し餌やりや観察がしやすい場所に造るものだ。

c.はその形状による推測だ。中央に鋼管が刺さっていることからかつては塔が建っていたのでは…と思われた。
この説には致命的な欠陥がある。塔を入り江の中に設置する何かの目的があったと仮定しても、通常基礎が露わになる状態で据え付けることは有り得ないからだ。あのコンクリート塊周辺を盛土して島のようになっていたところを土砂だけ洗い流されたというケース以外ない。そしてあの場所にそんな塔を設置する必要性を思いつかない。

d.はこの記事を書いている最中ふと頭に浮かんだ仮説で、もしかすると…と思わせる要素がある。楢原の入り江あるいはその地下に大きなタブ跡ないしは坑道が掘られていて、常盤池の水が漏れてしまわないようコンクリートで塞いだのではという大胆な仮説だ。
こんな説を思いついた背景は、宇部という町の地下には至る所坑道が走っている事実もさることながら、恐らく自分の勘違いだろうが何処かでこれと似たようなものを見たことがある気がするのである。この仮説を支える根拠はコンクリート塊の中央に設置されている鋼管だ。
あの鋼管はコンクリート塊内部だけでなくずっと地中まで続いている…コンクリートで塞ぐとき坑道内部の空気抜きとして設置された…云々…

この尤もらしい仮説も過去に楢原の入り江で石炭が採取された歴史的事実がないならば泡沫に帰してしまう。常盤原に人々の暮らしがあった時代には、確かに石炭を採取していた。しかし楢原の入り江にコンクリート塊で塞がなければならないほど規模の大きな坑道や炭生跡があったかどうかは調査を要する。ただ、それほど規模の大きなものがあったなら、普通は常盤池関連のかなり目に着く遺構として取り上げられる筈なのだ。

水没建築ブロックと合わせて本件も未だに正体が分かっていない。もしかすると「答を知ってはならない物件」なのかも知れないなどと穿った考えを持ってしまうのであった…

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2012年の低水位時、藪を漕いで観察した半島部の護岸下へ降りて汀を伝って近接撮影してきた。
続編としてお届けする。

(「常盤池・水没コンクリート構造物【3】」に続く)

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