常盤池・楢原鋭角点

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現地踏査日:2010/4/4
記事編集日:2012/12/27
常盤池は数百年も歴史を遡る人造池であり、周囲に民家や道などがない汀は元の地形そのままなので、海岸同様複雑に入り組んだ曲線を描いている。しかし後年になると、湛水容量にあまり貢献していない干潟や遠浅部分の外側を護岸で仕切り、内側を土砂で埋めて土地を有効活用するようになった。そのような場所は直線的なコンクリート護岸となっている。

常盤池を精密な地図で眺めると、しばしばそのような直線的な護岸に出会う。そのうちとりわけ興味深い場所が楢原の入り江にある。
護岸の二直線が鋭角を作っている
下の地図は、この場所の鋭角部分を中心にポイントしている。


さすがにこれは常盤池が造られた当時のものではなく、後世に造られた人工的な護岸によるものである。地図を写真モードに切り替えると護岸らしい部分が見えている。常盤池にはこのような人工の護岸が数多くみられるものの、二本の直線が鋭角を成す形状をしているのはこの場所だけである。

この護岸に対する興味と、この近くから恐らく常盤池に見えると思われる「気になっている物件」を撮影しに市道楢原線を走った。その途中でこの「尖った入江」に立ち寄った。

市道の走破レポート向けに写真撮影している途中、この入り江付近にさしかかったので自転車を停めた。


ズーム撮影する。
V字を描く護岸のうち市道側には何やら奇妙なものが乗っかっているように見える。


遠目にもそれはかなり古そうなポンプらしき設備だった。
護岸の天端に据えられているということは、もしかすると樋門があるのかも知れない…


自転車を道路脇に留め置いて護岸の方に向かってみた。
市道から低い草地に降りる道がついていたので困難はなかった。

見た目は草の生えた原っぱに見えるが、あれでも湿地帯かも知れない…歩いていて足がズブズブとハマるのはかなり悲惨なので、一応足元を注意して進攻した。
この原っぱは個人の土地かも…立ち入りはオススメできない

護岸から見える常盤池の様子。水位は比較的高いようにみえる。


さて、護岸の上に見えていたものの正体は…
こんなモノが乗っかっていた。
酷く錆び付いた動力ポンプと鉄パイプの一式だった。もう使われていないのはかなり明らかで、相当長いこと放置されているようだ。


元からポンプを据え付ける目的だったのか、この場所だけ護岸の天端が池の方へテーブル状に張り出していた。プラスチックのようなパイプは常盤池の中まで伸びているものの、鉄管は朽ちたのか途中で切れていた。

発動機は型式も読み取れないほど酷く劣化していた。燃料キャップは外されたままで、何故か木製の台座が着いたまま天端に放棄されている感じだった。
とても重くて微動だにしなかった


何でもない場所にコッソリとポンプが設置されていたなら、モグリで常盤池の灌漑用水を「我田引水」していた可能性もあるだろう。しかし天端をテーブル状に加工していることから、当初からポンプをここに据え付ける目的だったと推測される。かつては護岸の内側が田畑で、護岸が造られた後に慣行水利権によって常盤池から用水を汲み上げていたか、逆に護岸の内側に溜まる水を常盤池へ排出するために設置されたのではないかと推測される。
多分後者…元は護岸の内側が低かったが埋め立てて地盤が上がったので排水の必要がなくなったのだろう

それから護岸の天端を伝ってあの「尖った部分」を見てきた。
二直線の交わる末端部分を原っぱの少し離れた場所から撮影している。


そして最も尖った先端部分は…
こうなっていた。
まさに地図に描かれている通りである。如何にも人工的だが、こう見えても常盤池の一部である。
先端まで行くのは自重しておいた…写真には入っていないが菜の花の右側はすぐ民家の軒先だった


ここを「常盤池で最も尖っている場所」と認定したいと思う。
常盤池の築造に深く関与した領主福原広俊公がお聞きになったら草葉の陰で目を回すだろう

先端部分から楢原の入り江に向かって撮影。
風でこの鋭角部分に木の葉などが吹き寄せられるようだ。水もかなり淀んだ感じで透明度が低い。護岸から見ただけではどの位の深さか分からなかった。


このV字形の護岸の由来だが、遠浅になっている楢原の入江を適当な位置で仕切り、内側を排水して土地を有効利用するための改変と想像される。
溜め池で海岸の如く遠浅になっている場所は、土地の面積が食われる割には貯水量に貢献しない。浅い部分の適当な場所で締め切って外側を可能な限り浚渫して水深を確保し、残土を乾かして護岸の内側へ埋め戻せば貯水率は殆ど変わることなく土地を有効利用できる。昔は家を建てる場所の確保に悩むこともなかったでしょうが、昭和中期以降の急激な住宅需要が土地の確保に向かわせたのではないかと思う。

そのせいか、常盤池の周囲で家屋など建物のある部分は殆ど明確な護岸になっていて、自然の汀は周囲に民家がない場所に限られる。楢原の入江もかつては市道楢原線あたりまで常盤池の一部となっていて、自然な岸辺になっていたものと思われる。

一連の写真を撮影後、市道の路肩に停め置いていた自転車に跨って市道楢原線の走破ミッションに戻った。

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翌年(2011年)11月に再び同じ場所を訪れた。
この時は常盤池の水位が低く、興味深い光景が観られたので後続記事としてレポートする。

(「常盤池・楢原鋭角点【1】」に続く)

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