常盤池・楢原小鋭角点

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現地踏査日:2013/1/27
記事編集日:2013/6/14
楢原の入り江の先端はブロック積みという人工構造物により鋭角点を形成している。
これほど明瞭ではないが同じ入り江にもう一つ小規模な鋭角点があることが地図で分かっていた。

下の地図は、この場所の鋭角部分を中心にポイントしている。


この小鋭角点に近接する家の入口は恐らくここだろう。
市道常盤公園開片倉線の高専グラウンド手前だ。
これと次の2枚だけは記事執筆年月と同時期に撮影している


この先は私有地だから当然進攻不能である。
間違って乗り入れる車が多いからか、明確に侵入禁止の私設看板が出ている。


このような状態なので、物理的にはすぐ近くに岸辺がありながら直接接近することはできない。
元々の鋭角点ほど規模は大きくなく形状的にはそれほど興味を呼ぶものではない。しかし入り江の右岸側は対岸から眺めることしかできなかった。

これは低水位期に水没コンクリート構造物へ接近したときズーム撮影した写真である。


2014年1月のこと、まったくの偶然から今まで到達不可能と思われていた楢原の右岸側入り江にアクセスする経路を見いだし現地調査してきた。

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時系列では「楢原【6】」の続きとなる。

途中かなりの困難があったが小鋭角点の末端部までやってきた。
小さな入り江を形成している護岸部分は練積ブロックの布積み、一部が建築ブロックになっていた。


入り江末端部から先端部分を観たショット。
言うまでもなく通常水位ではこの場所まで水が押し寄せて来る。


入り江部分は遠浅になっているせいか砂が溜まっていた。


先端部分はやや尖っていて、木の葉がかなり堆積していた。
ここまで水が上がってくるのだろうか…


先端部分。小段を持つ練積ブロック構造になっていた。
小段部分まで水が上がることは多分ないだろう。


ブロック積みの立端が意外にも低い。砂が堆積している部分から精々5段だ。
これでは満水時に大雨が降って水位が急上昇したとき、ブロック積みを越えて家の方まで浸水してしまいそうな気がする。


小鋭角点の中心。
大鋭角点とは異なり完全な二直線の交線ではなく先端部分は2列ほど通常のブロックが積まれていた。


写真でも分かる通り、護岸ブロックの後ろにフェンスなどは何もなく草地になっていた。
この場所は官民境界が何処にあるのか分からなかった。すぐ民家の裏庭に繋がっていて、水場や散水用のホースが見えた。護岸の天端に自然石などが並べてあったので、もしかすると護岸ブロックの外ツラが官民境界になっているかも知れないと思った。

そういう訳でこの小鋭角部分の入り江全体を写すにもブロックの上に立っての撮影が精一杯だった。


小鋭角点の左岸側。
この末端部分に以前のズーム撮影で気になっていた部分が明らかになった。


護岸ブロックには小段が付属しているが、左岸末端部ではブロックが階段状に残されている。
建築ブロックに取り付けられた錆び付いたドアの正体は不明…階段部分の撮影に気を取られて忘れてしまっていた


一部のブロックが欠けてしまったのではなく最初から階段を意図して拵えられていたようだ。


この階段状の加工部は、初めて水没排水口を見つけたときから分かっていた。
下の画像でも小鋭角点の左岸末端部に階段らしきものが見えているだろう。


階段があるということは、何処からかここに到達する経路がある筈だと考えていた。
結局、私有地を通らずにこの階段へ来ることはできないらしいと分かった。


階段というには当たっていないかも知れない。しかしこのような構造になっているということは池の底へ降りる用途は一応想定されていたようだ。


左岸末端部からの撮影。


右岸末端部は民家が少し退いていて荒れ地になっていた。
この部分も恐らく私有地を通らず到達する経路はないだろう。


今まで辿ってきた護岸部分はどれも常盤池よりかなり高い。この小鋭角点付近だけが低い護岸になっている。


国土画像情報閲覧システムで昭和49年代のこの付近を眺めても既に現状とあまり変わりがない。したがってこの小鋭角点を含めて護岸整備される以前の岸辺がどのようであったかを推測するのが困難である。
しかし後述する高専グラウンド下を通る排水口があることから、かつてはこの付近を含めて市道側へ切れ込む小さな沢だったと推測される。

編集追記っぽくなるが、あの護岸階段の近くにあった錆び付いた扉をよく調べておかなかったのは不覚だった。もしかするとあの反対側へ到達できる経路があるかも知れないからだ。
しかしそう簡単に来れる場所でもなく、この地点の踏査は恐らくこの一度のみになるだろう。
初回踏査時よりずっと水位が下がればあるいは再訪するかも…

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