常盤池・山炭生の鼻より北側の汀踏査

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時系列では「常盤池・東條【2】」の続きである。
この記事のタイトル通り、この日は山炭生の鼻から北側へ土取の入り江左岸を辿るタスクが第一課題だった。


現在居る場所を地図でポイントしている。


この地図でも示される通り、周遊園路を東から歩くと、山炭生の鼻を回った後真っ直ぐに山の中へ入っていく。道中暫く眺めがあまり効かない山の中を進み、枝線となるときわ湖畔北キャンプ場に至るまで常盤池の岸辺に出会うことがない。途中には園路として案内される程度に明白な分岐はないので、山炭生の鼻からときわ湖畔北キャンプ場までの間の汀は、到達はもちろん近くで眺めることすら出来ない「困難な区間」なのである。そのことは「常盤池の汀を正確に辿る」というミッションを思い付いた当初から認識していた。

常盤池の北部は自然の岸辺が多く残っており、周遊園路が辿っていない区間が結構ある。しかし到達困難と思われていたにしめの鼻は、案内されていないだけで実際には山道のような踏み跡があった。周遊園路が整備されたのは平成期に入ってからのことだから、それ以前の古い道が随所に残っているのでは…と考えるのは自然だ。
特に到達困難な山炭生の鼻から北側の岸辺には2つの入り江が存在する。特に山炭生の鼻に近い側の入り江は、地図で見る限り内陸湖のような記載がされており、実際はどうなっているのかが興味の対象だった。

こういった区間への踏査モチベーションは、単に「人が行かない場所へ到達できた」という達成感だけではない。後で述べるようにこの周辺はその程度の好奇心で潜入するにはあまりにも危険だ。そのリスクを承知で踏み込む理由は、永いこと訪れなかった場所にかつて人の営みがあったなら古いものがそのまま遺されているかも知れない…という推測が働くからだ。

本件に関する最初の取り組みは、今からちょうど一年前の2012年1月に実行された。
岸辺近くを歩く獣道程度の踏み跡があってもおかしくないと考え、周遊園路が内陸部に入る手前あたりを調べたのである。[2012/1/15]


このときは水位が高く岸辺が殆ど現れていなかったので、汀を辿って進むのは端から不可能だった。[2012/1/15]


岸辺が周遊園路から離れる地点である。
この場所で護岸が切れており草地まで降りることはできそうだ。もっとも獣道だに存在する気配がない。[2012/1/15]


念のため護岸の下に降りてそこから先へ進む踏み跡がないか検証した。しかし枯れ葉の積もる岸辺より先はすぐ原生林になっていて全く道筋が見えなかった。
この日は周遊園路を歩く人も多く、道などある筈がないこんな藪の中へ突入しゴソゴソするのは非常に憚られた。それで勝ち目なしと見てそれ以上の追求を自重し引き返したのである。

この日の踏査では岡ノ辻から東條の入り江へ下る地区道を経て、周遊園路の手前に自転車を停めていた。山炭生の鼻や東條の入り江の低水位踏査を行うより先に私はこの場所を訪れて以下の写真を撮っていた。
上の写真と比較してみると違いが分かるだろう。
枯れ葉や倒木が片付けられていた。


低水位は分かっていたことだが、岸辺に車のタイヤ痕が幾条にも遺っている。同じものを先ほど東條の入り江左岸を辿ったときにも見つけていた。堆積した落ち葉を集め、倒れた枯れ木をゴッソリと片付けたようだ。
軽トラが走り回っている位だから人が進攻してもハマる心配はほぼ皆無だ。汀もかなり退いており、この好条件なら辿れるかも知れない…という気持ちになった。

降りる場所の写真を撮るために再びここへ戻ってきた。
周遊園路は内陸部に向かって徐々に高度を上げている半面、護岸はその手前で途切れていた。


護岸の末端部は通常のスロープになっていて容易に降りることができた。


降りた場所から振り返って撮影。
作業に使った軽トラは周遊園路から直接斜面を下って乗り入れたようだ。何とも豪快だ。
と言うか軽トラはあの斜面を登って安泰に周遊園路へ戻ることができたのかちょっと心配…^^;


溜まっていた枯れ葉はもちろん結構大きな枯れ木も伐採処理されたようだ。


既に地面は乾いていたが、やはり軽トラはそれなりにハマっていたようだ。


いずれ折れてしまうと分かっている幹や枝を切断された木も何本かあった。
切り口はまだ結構新しい。木そのものは生きているようだ。


可哀想な感じでもあるが、そのまま放置しておくと結局は自重で岸辺の土手を崩して倒壊してしまう。土手が崩れると水位が上がったとき余計にでも侵食が酷くなる。どんどん汀が後退してしまうので、早い段階で枝打ちして「荷を軽く」しているのだろう。
こういう作業も軽トラが近寄れる場所に限定される。車どころか人が接近するのも困難なにしめの鼻のような場所は、侵食され樹木が倒壊する…倒壊した結果岸辺が抉られ更に侵食が進む…の連鎖で岬全体が後退している。

軽トラのタイヤ痕がついていたのもここまでだった。
そこから先は岸辺が狭まるので乗り入れられなかったらしい。未だに処理されない木が密集してきた。


汀に倒れ込み搬出されないままの枯れ枝も目立つ。


以上の変化から先行きどうなるかは今なら想像可能であるし、踏査に臨んでもある程度覚悟はしていた。しかし手つかずの岸辺部分は想像以上に酷い状態だった。

岸辺の半数以上の木々が既に斃れてしまっている。
生き存えている木々も殆ど水平か枝先を下に向けていた。力尽きるとそのまま岸辺へ伏せてしまうらしかった。


可哀想に…と感じるのは写真からの印象であって、現地に赴いた私はその気持ちはなかった。いや、可哀想なのは他ならぬ私自身だ。枝先を水中に突っこんでいる木々の下を潜って進む以外なく進攻自体が非常な重労働だった。
ジャングルジム潜りの要領で幹や枝を一つずつやり過ごして進む。しかも軽トラが一番奥まで進入した場所からまだ10m程度も進んできていない。こんな状態では先が思いやられる。

陸地側を撮影。
露岩がまったくなく全面的に粘性土である。至る所波を受けて侵食されたと思われる空洞ができていた。
最初野鳥か何かの巣かと思った


酷い原生林の倒壊区間をやり過ごすと、土取の入り江が見えてきた。その先端の高台に旧厚生年金センターの建物が見える。


前方のその景色から、地図で最初に見えている湾曲部をやり過ごして自分が土取の入り江の左岸延長上となる部分まで到達できたことが理解できた。そうではあってもターゲットの攻略可能性は近づくどころか、むしろ否定的な光景を見せつけられるだけだった。
それは上の一枚を撮影するために立ち止まった時点で分かっていた。

無理…
先の倒壊区間どころの比ではない。折り重なる枝で先が見えない程だ。 倒木の枝がどれほど酷い状態か分かるように原典ファイルを掲載しておいた。拡大対象画像です。
画像にマウスをかざすと拡大、ダブルクリックで最大化します。
クリックすれば元のサイズに戻ります。


倒木が延々と連なっている。これほどの状況なためにむしろ答を出すのは極めて早かった。


進攻不可能。
この夥しい枯れ枝の中に足を突っこみ、次の一歩を何処に踏み出すかの作業だけで間違いなく一分はかかってしまう。分速1歩、秒速1cmの超低速スピードだ…^^;
そんな枯れ枝倒壊区間が延々と続いているのである。しかもここをやり過ごして終わりではない。同じ道を引き返して来なければならないのだ。

枯れ木の異常倒壊区間に入る手前に削られやせ細った杭のようなものが刺さっていた。
遙か昔に打ち込んだ測量杭なのだろうか…


今回は当初から到達困難な場所を予想していたので、一式道具を持ってきていた。
その枯れ枝とも杭とも言えない代物にステートナンバーを遺しておいた。
もしかして…先人のここまで到達できたという目印だろうか…


それ以上何も得られるものがないと見てただちに撤収開始した。

横倒しになりながらもなお生きようとする大木。
根はほぼ完全に露出しているし根のあるべき場所の土も流失してしまっていた。


いずれ汀へ倒れ込み朽ちてしまう運命になるのだろう…


特に手を加えない岸辺は、見た目は自然な状態が保たれるものの汀の後退や倒木の処理などで維持の手間がかかる。人工的な護岸にすれば侵食や倒木の問題は解消され維持管理が容易になるが、自然な景観は失われる。
大がかりな護岸を全面的に施工すれば、コストが嵩むだけではなく生態系に影響が出るかも知れない。水位が低いうちに流木処理や刈り払いを行い、昔ながらの松丸太の長いものを打ち込んで土留め柵を造る程度では耐久性に欠けるのだろうか…

周遊園路には散発的にウォーキングを楽しむ人の姿が観られた。
尋常な精神の人なら入り込むべからざる場所に居るので、目立たないように岸辺の立ち木近くを歩いて戻った。


一連の足取りを経路図に表してみた。
今回辿れたのは精々、この図に書き込んだ程度だろう。


あの酷い倒木が連なる区間の汀はそう広くもなく、周遊園路から軽トラが乗り入れるにはもっと水位が下がらなければならない。そこまでして整備作業が進められるとも思えず、恐らくあのままだろう。
したがって現況より更に水位が下がって岸辺が広がらない限り、このルートによる攻略は今後考えない。陸路を前提にするなら土取の入り江先端から左岸を逆向きに辿るか、周遊園路から直接汀を目指すかだ。

現地の時刻はまだ午後2時半。すべてを諦めて撤収するにはまだ早い。冬場は午後4時には日が陰り寒くはなるが、もう一時間程度粘れる余地がある。そこで周遊園路から「困難な区間」に向かう踏み跡が本当にないのか調べるため、自転車を取り戻してときわ湖畔北キャンプ場に向かって押し歩きした。

もう一つ後続記事を予定している。
書き上がり次第リンク及び更新履歴で案内しよう。

(「常盤池・土取【1】」へ続く)

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この記事を書き上げるまでの2013年1月に別の暴力的な経路開拓によって遂に内陸湖らしき場所に到達できた。詳細は外部ブログの速報記事にて公開済み
しかし現地到達にはあまりに危険を伴うため、具体的な経路や内容を盛り込んだ記事は限定公開を予定している。詳しくは記事が完成次第、更新履歴で案内する。

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