常盤池・余水吐【旧版】

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記事公開日:2012/10/7
記事編集日:2016/6/26
情報この総括記事は内容が古くなったので旧版に降格されました。現行版は こちら をご覧下さい。旧版は互換性維持のために残していますが、編集追記はされません。

常盤池は真締川以東の不毛な土地に灌漑用水を供給し耕作地化するために江戸期に築堤された人工溜め池であり、可能な限り多くの雨水が溜まるよう努力が払われてきた。他方、極度な雨続きで水位が上がりすぎれば本土手が脅かされる。このため溜まりすぎた水が自然に流れ出るように当初から余剰水を安全に排出する機構が造られていた。この余水吐は後年補強や改修が加えられたものの位置は当初から変わらない。

余水吐の位置を地図で示す。


常盤公園正面入口から東に向かう市道常盤公園江頭線を進むと、飛び上がり地蔵尊の前を過ぎた先でカーブに差し掛かる。ここが常盤池の本土手で、現在は殆ど当時の面影を遺すこともなく舗装された道路で通過している。
元からそう幅もない本土手に対面交通の道路を通しており、後付けされた歩道を確保できなかったためこの付近は桟橋形式で常盤池の上に張り出している。
自転車で走るとコンクリート蓋がガタガタ音を立ててちょっと怖い


余水吐は本土手の東の端に存在しており、気をつけて通れば車道からも見える。しかし常盤遊園の外であり標示板などもいっさい無いため目立たず普段は殆ど用事がない存在だ。余水吐がこの位置に存在することを知っている宇部市民はかなり少数だろう。

歩道から見下ろしている。
4分の1分割された扇形をしており、一定の高さにコンクリートの堰堤が築かれ余剰水が流れ出る仕組みになっている。


コンクリート造りであることから分かるように、この余水吐は昭和50年代頃に既存の余水吐の上に盛り付ける形で改修されている。この整備時期は塚穴川の下流域をコンクリート水路に整備した時期と一致する。余水吐が高くなった分だけ常盤池の貯水量は増加しているが、夫婦池や塚穴川へ流出する水量が減少したため川魚が獲れなくなったという報告もある。[1]
天端に置かれた鋼製の手すりらしきものは、大きな木切れなどが流れ出て排水路を塞ぐのを防ぐためのスクリーンである。最初期は蛇瀬池の余水吐に設置されていたのと同様の網を掛ける石柱が並んでいたと思われる。コンクリート造りになる前の初期の余水吐はどういった機構になっていたか不明だが、これといった整備はされておらず自然に夫婦池の方へ流れていたらしい。[1]

初めて余水吐の踏査を行ったときは、前の月の豪雨で水位が高めだった。それでもなお余水吐の天端よりは20cm位低い。ここから池の水が流れ出ることはそれほど頻繁には起きないようだ。

余水吐に落ちた余剰水は、ボックスカルバートで市道の下をくぐっている。市道との高低差が3m程度あって何処からも降りられる場所がなかった。


常盤池に流入する主要な河川がないとは言っても、短時間で猛烈な雨が降れば園内の雨水排水路や常盤池が有するいくつかの沢を経て雨水が流れ込む。また、常盤池自体の湛水面積も相当に大きいので湖面に降り注ぐ雨の量も無視できない。

最初にこの余水吐の写真を撮りに行った翌年の5月、余水吐から越流する場面に遭遇することができた。

桟橋の歩道から撮影。
既に余水吐の天端まで湖水が到達している。


結構な流出量だった。ザバザバと音を立てて流れ出る音が聞こえていた。


5月は田畑が水を必要とする時期なので、灌漑用水需要を見込んで常盤用水路経由で給水される。水位の高いこの時期に長雨や豪雨が重なると余水吐を越流する場面も見られるようだ。


再び時期は下って、同じ年の11月である。水需要が少ない時期に少雨が重なったせいか、水位が著しく低下していた。


満水期よりも1m程度低い感じだ。
露わになった岩場には打ち寄せられた鳥類の排泄物とおぼしきものが目立っていた。


ここから50m程度離れた対岸にある本土手樋門が見えている。


水位が低いので、余水吐下部の構造がよく分かる。自然にあった岩場をそのまま利用し、湛水位の限界を固定するために越流部をコンクリートで固めている。
新しい余水吐を造る過程で放棄されたのだろうか…余水吐の下に石柱数本が転がっていた。
このとき降りて調べておけばよかった…今は水面下に隠れてしまっているはず


この石柱は最初期の余水吐の端に立てられていた網を固定するための支柱と考えられている。
悪水溝の上を跨ぐ石橋の残骸ではないようだ

余水吐を出た余剰水は市道の下をくぐった先のコンクリート水路に向かう。
写真は市道の歩道部分から覗き込んで撮影している。


深い水路で内部へ降りる場所はない。初期に見つけたときは道路から見えるこのコンクリート三面張り水路がずっと先の方まで続いているものと考えていた。実際には三面張り水路は元からあった排水路に接続されているだけで、その先は蛇紋岩を掘り割った人工の排水路となっている。詳しくは個人的関わりの項目を参照。
総括記事: 荒手
なお、この余剰水排水路は悪水路や悪水溝と呼ばれることが標準的である。
過去に荒手の名称のまま記事を作成してしまったのでそのまま援用している
出典および編集追記:

1.「FBページ|2016/6/23」投稿文に対する読者コメントによる。(要ログイン)
《 近年の変化 》
2015年頃から降水量の影響からか常盤池の水位が高めに推移してきた。このため少し雨が続けば頻繁に余水吐からの越流がみられるようになった。越流が頻繁になってからは、余水吐の天端に置かれていた手すり状のスクリーンは引き揚げられ草むらに置かれている。

余水吐から揚場に向かう岸辺に古い石積みが見つかっている。かつて庵や民家があったのかも知れない。
常盤池の水位が著しく下がった2012年の秋口に余水吐の周辺を実地に調査したときの記録。全2巻。
なお、この踏査は日を変えて行われており、2度目の踏査の折に余水吐の外側へ散らばっていた石柱を調べている。
時系列記事: 余水吐【1】

2013年の梅雨時に初めて余水吐から越流している様子を記録したレポート。後続記事で荒手を余剰水が流れる様子もレポートしている。
時系列記事: 余水吐【3】

2016年の梅雨時に短期間の記録的な降雨により夥しい量の水が余水吐を越えて排出される様子を記録したレポート。越流量は今まで観察されたうちでは最大規模であった。
時系列記事: 余水吐【4】

荒手が造られた経緯や歴史を知ったのは初めて余水吐を調査した8月以降であったが、このとき余水吐から流れ出る先がどうなっているかを少しだけ調査していた。以下は初期の調査における個人的関わりとして記述する。
《 個人的関わり 》
現地撮影日:2009/8/28
少し離れたところにこのような入口があった。
かつては車の乗り入れがあったらしく収納式の鋼製ポストが設置されている。現在は歩車道境界ブロックで締め切られていて車は乗り入れ出来ず、通路の奥は薄暗く散歩がてら足を踏み入れる人も少なそうに見えた。
先の水路が何処に続いているのか、好奇心もあって先に乗り入れてみた。


アスファルトの小道は最初若干登って下り坂になっていた。枯れ葉の量は意外に多くはないことから、ある程度の出入りはあるのかも知れない。
この道は下りの途中で分岐し、そのまま亀浦へ向かう市道に抜けられるようになっていた。
右側には更に沢の方へ下っていく分岐があったのだが…


その舗装路は、薮へ突っ込むような形で行き止まりになっていた。藪の手前までキチンと舗装されていながら、その先には全く道らしきものが見あたらなかった。
調べてみたのだが本当に獣道すら全くなかった


この水路が夫婦(めおと)池に流れ込むことは知っていたが、市道を横断するコンクリート水路のまま繋がっているように思われたので調査せずに引き返していた。
詳細は以下の記事を参照されたい。

(「常盤池・荒手【1】」へ続く)

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