常盤池・余水吐【2】

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現地踏査日:2012/10/3
記事編集日:2013/7/11
(「常盤池・余水吐【1】」の続き)

時系列では「白鳥大橋」の続きとなる。

常盤台方面に自転車で来る便があったので、好天に誘われて久し振りに常盤池を訪れ、白鳥大橋を撮影してきた。常盤池の水位はかなり低く、池の汀まで降りて橋を撮影することができた。
西駐車場に留め置いた自転車に跨ったとき、この低水位で余水吐横にあった石柱の存在を思い出した。

以前、水位の低いときに余水吐を訪れ、その横にかつての樋門の一部と思われる石柱が露出しているのを見つけていた。しかし市道から余水吐へ直接降りる方法がなく、歩道から撮影しただけだけだった。
もし今回の方が水位が低いなら、前回よりも多くの遺構が見えるかも知れない。また、水上に現れた岩場を伝って余水吐へ接近できる可能性もある。

飛び上がり地蔵尊の前を過ぎると歩道は桟橋に差し掛かり、カーブの終わりに余水吐が見えるようになる。
水位は確かにかなり低い。通常は水没している石柱は位置を変えず余水吐の外側に転がっていた。前回の低水位時と比べてどうだろうか…
帰宅して写真を比較してみた限り前回ほど水位が下がっていなかったようだ


歩道の桟橋から眺めたとき、前回来たときに比べてちょっと良さそうな状況に気付いた。
あの角から降りられるのでは…


自転車を歩道の外へ避けて停めた。
良い状況というのは、普段なら草まみれになっているこの場所が草刈りされていたことだ。柵への接近が容易で、それだけでも一手間省ける。


さて…ここから直接降りられるだろうか…
実際はそう甘くはなかった。なかなか嫌らしい高低差なのである。元々余水吐は特別なメンテナンスを必要とする場所でもないので、昇降用の設備はない。背丈を超える高さがあり、何処かに足場を求めなければならない。


常盤遊園の関係者が聞けば眉を顰める話だろうが、私はここから安全に降りるための自分の一挙一動をシミュレートしていた。何処に手がかりを求め、足をどう運ぶかなど…

余水吐の天端に置かれている鉄柵が足場としては確かに程良い高さではあった。しかしそれが単に天端の上へ置かれているだけで固定されていないことを前回の踏査で知っていた。あんな細く不安定なものを足場にするなんて危険だ。元々踏み台にはならないのだから、体重を預けたとパタンと倒れたり折れたりすれば、間違いなくあの薄緑色の水面に投げ出されるだろう。

この段差を回避して外側から回り込める経路がないか検討した。草刈りが進んでいたので汀への接近自体は容易だった。
この近辺は何処も露岩が目立つ。急傾斜だが滑る心配はなさそうだ。


降りてみる前にまずカメラを差し出し余水吐の方を眺めた。
距離的には短い。しかし途中に張り出した木の幹があり、回避するために大きな露岩をよじ登る形になる。すぐ下まで深さの知れない水際が押し寄せていて、こんな怖い岩場などとても通れない。何とか通過できても帰りは逆モーションになることを頭に入れる必要がある。
これは決して軽視できない大きなファクターだ


前回は遊歩道の斜面から強引に荒手へ降りて排水路を遡行して余水吐に到達した。そこからなら少しは安全に到達できる。しかし今の時期なら藪漕ぎは避けられないし、かなり遠回りになる。
…となると、最初のあの場所から鉄柵以外の岩場などに足掛かりを求めて降りる以外なかった。まあ…無理に降りなくても済みそうなものだが、余水吐の踏査だけではなく今しがた自転車で通った張り出し桟橋歩道の下も合わせて調査したかった。

手がかりとなる岩や木の幹を眺めつつ自分の行動をシミュレートした。大丈夫、こなせると判断した後でも更に考慮すべきことがあった。
子どもが近くを通らないタイミングで…
市道のこの辺りは偏ったタイミングで車や自転車が通る。一丸になって立て続けに通ったかと思うと、暫く静かになるときもある。この先の信号機に影響するのだろうか。
誰かに目撃され酔狂な行為だと笑われるのは構わないが、子どもの視線だけは注意が必要だった。興味本位で真似して怪我されてはいけない。
また決して模範的な行動とも言えない…

余水吐上の転落防止柵を含めて周囲に手を掛ける場所は豊富にあった。さすがにデジカメ片手でというわけにはいかず、ポケットに仕舞い込んで両手両足で取り組んだ。後ろ向きで防止柵につかまり、片足の爪先が余水吐の外側の岩場へ届いたところでゆっくり両手を離した。
ここまでは無傷で余水吐の底へ降りることは成功した。
ところが…

体重を足の方へ移して上体を降ろしにかかったとき、突然右手へ軽い痛みが走った。
余水吐の上空に枝を伸ばしていた小枝がトゲを隠し持っていたのだ。


3枚上の写真を観ると、確かに柵の外側へ細い木の枝が伸びている。存在は認識していたがイバラではないので少々身体に擦れても撓むので問題ないと思っていた。
木の枝かトゲか意外にしっかりしていたらしく、手の甲を引っ掻いていった。
まあ、木の枝がある場所に突入すればこの程度は怪我のうちにも入らないのだが…
昭和生まれの子どもたちは外遊びで負うこの程度の傷は日常茶飯事なのであった

さて、次の課題は余水吐の対岸に渡ることだった。歩道から見える石柱は対岸に転がっていた。
余水吐の外側を伝って進めるだろうか…


現在は余水吐外側の補強コンクリートに立っており、ここは通常水位なら水の下に隠れている場所だ。
補強コンクリートは余水吐から汀に向かって傾斜しており、打ち寄せる飛沫で下側の一部が濡れていた。

上の方は波飛沫がかかっておらず乾いている。滑る心配はないと思うのだが…


鉄柵は天端に固定されていないので体重は預けられない。
そこで万が一足を滑らせたときの補助的支えとして軽く手を添えて進んだ。


そう困難もなくこのタスクもこなした。

余水吐の反対側へ渡ってまず気になったのは、水上に姿を現したこの石柱だった。


水位が下がった今もなお一部が水没している石柱もあった。
これは以前、歩道から眺めたときには確認できなかった分だと思う。


同じ場所を引き返すので石柱群は後で調べるとして、まずは張り出し歩道の真下に向かった。
昔の本土手に関する何かが遺っているかも知れないことを期待した。
派生記事: 本土手【1】
張り出し歩道の下を歩いて古い護岸の下までを踏査したが、これといった古いものは見つからず再びここに戻ってきた。
水上に現れているだけで少なくとも3本の石柱が転がっていた。


3本と思われていた石柱は4本かそれ以上ありそうだった。
以前見えていた石柱のすぐ横に半分以上埋もれている1本が見つかったからだ。


最も護岸に近い場所にある石柱がサイズも大きく目立つ。
この一本は一つの面がかなり丁寧に研磨されていたので、何か意味ある文言が彫られているのでは…と思われた。


私の足に対してこれだけの大きさがある。
土に埋もれている面や下側になっている面は当然不明として、調べた限り露出している面に文字などはなかった。


一連の石柱はコンクリート補修される前の余水吐か石橋の一部だったのではと想像される。これと類似する石柱が蛇瀬池の余水吐と石橋付近にも見つけられる。
蛇瀬池の石柱も一部が石橋の下まで流されている

何のための用途だったのかが気になる。恐らく蛇瀬池の余水吐と同様、大きな夾雑物が直接荒手に流れ込むのを防ぐためだろう。元は余水吐の手前へ等間隔に立てられ、隙間を空けた堰板や網を置いていたのではないかと思う。

他方、石柱が荒手ではなく手前の池側に散らばっているのが気になる。何か別にあったものを壊して放置された部材とも思える。もしその可能性があるなら、かつてこの近くで荒手を横切っていた道の石橋などだ。
荒手の放水部を横切る常盤堤東荒手石橋は近道だったとされている…今の市道が本土手を渡る正規の道で石橋があったのかも知れない

古いものを壊した部材をそのまま池の汀に放置するなどというのは現在ではあり得ない話だ。工事に伴い発生した廃材は所定の産廃場へ搬入処分することになっている。このあたり昔はおおらかだったのか大雑把だったのか現地で適当に処分する事例が多い。元から自然のものなのでそれほど厳しくなかったのだろう。周辺に古い部材が転がっていることで改修された歴史の資料として求めることができる。

余水吐の本土手寄りにある露岩に削孔の痕跡を見つけた。
いつの時代か分からないが自然に出来たものでないことは確かだ。


直径3cmくらいの穴が岩に穿たれている。
歩道の桟橋を固定するための支柱保持目的で削孔されたのだろうか…


帰りは逆モーションである。
来るときと同様、余水吐の天端と鉄柵に手を添えバランスを取りつつ渡った。


この露岩を伝って降りてきた。
荒手ほど精密に削られている感じがない。元からこのような露岩だったか、大雑把に切り欠いたのだろう。


下からだと岩肌に細かなトゲを隠し持ったツル性植物だと分かる。
同じ場所から上がろうとしてまた引っかかれるのも嫌なので、途中まで露岩を足場に使い、岩の横に生える太い幹の方へ迂回してよじ登った。殆ど腕だけの力で上体を引き上げる必要があったが、降りるときよりは容易で無事に歩道へ復帰した。

余水吐周辺の踏査はこれでほぼ尽くされただろう。
続編が制作されるのは更に水位が下がり新たな遺構が現れたとき位のものだろうか…

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2013年のこと、灌漑用水需要期で常盤池が満水位近い状態となっている間に梅雨の雨続きで余水吐から越流している様子を数年振りに観察することができた。
新しい発見は何もないが映像を記録する意味で続編を作成した。

(「常盤池・余水吐【3】」へ続く)

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