常盤池・陸繋島

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現地踏査日:2012/3/21
記事公開日:2012/10/24
陸繋島および陸繋砂州(りくけいさす)とは聞き慣れない言葉なので少々説明が要るだろう。
海岸から十分近い位置にある島と本土との間の水深が浅いとき、本土に向かって押し寄せる波は島によって二手に分かれ、島の背後でぶつかるため砂が運ばれやすくなる。こうして造られた浅瀬は干潮など条件によっては水上に現れ、見かけ上、島と本土が結ばれる。一般にこうして出来た島を陸繋島と呼び、砂が運ばれて水上に現れた連絡部分の砂地を陸繋砂州と呼ぶようだ。
「Wikipedia - 陸繋砂州」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E7%B9%8B%E7%A0%82%E5%B7%9E
この現象は世界的にみられ、英語圏では陸繋砂州のことをトンボロ(tombolo)と呼ぶ。
耳慣れない言葉だがこの記事のファイル名もrikukeisasuでは長すぎるので英単語を借用している

水流と運ばれる砂による普遍的な現象なので、海岸に限らず湖でも起こり得る。もっともこれから紹介する常盤池に関する砂州や島は些か成り立ちを異にする。
常盤池は人造の溜め池なので、湛水され始めた江戸期以前は砂州など当然存在しなかった。元は恐らく特徴のない山野だったが、たまたま常盤池の計画水位が近い尾根状の半島があった。そこにひたひた程度に水が往来することで砂礫が運ばれ生じたのだろう。元は水に浸ることが無縁だった場所に湛水されることで生じる点は、小野湖の陸繋島と成り立ちを共にするものがある。

さて、ここまで書いても常盤池に関して知見のある読者からはこんな声が聞こえてきそうだ:
常盤池に陸繋島なんてあるの?
更に予備知識を蓄えた読者なら、常盤池に存在する島を列挙することができるだろう。代表格としては常盤神社が祀ってある島島としての固有名は現在調べている)、揚場付近にある白鳥島、かつてカッタ君が暮らし、今もペリカン一族のアジトになっているペリカン島だ。
水上に現れている構造物まで拡大すれば他にも相当数ある

しかしこれらとは別に常盤池には「第4の島」が存在する。それこそがこの記事で紹介する陸繋島だ。

いい加減引っ張ったので、まずはその所在場所を航空映像で示そう。
この付近にあることをご存じだっただろうか?


マーカーで示している岬を含む半島には名前がない。入り江を基準に表現すれば土取と金吹の間にある半島で、馴染みのある建造物を用いて説明するなら、ユースホステルがある半島の先端部分だ。
上野航空映像では、地図の中心点を陸繋島に、マーカーは島からもっとも近い本土部分をポイントしている。
直接島をポイントするとマーカーを移動できず見づらいので

航空映像を見ても半島の沖合いが怪しいと分かるだろう。岬付近の水深は浅いらしく、元から緑色に映る池の水が黄土色がかっている。岬から離れた場所には、明らかに陸地を示す色の領域が見られる。

しかし読者によってはこんなものは島ではない、ただの浅瀬じゃないか…と言うだろう。実際、航空映像を眺めていて見つけたときも私自身、砂が溜まって割と最近できた自然の浅瀬と考えていた。

結論から言って実態は浅瀬であるとしても、その成り立ちは最近ではない。この陸繋島および陸繋砂州は、常盤池が湛水された頃から存在し知られていた。
明治期に作成された常盤池の古地図に
この陸繋島が明確に記載されている。
これが証拠だ。
これは郷土資料館に展示されている常盤溜井之略図とされる古地図で、明治18年のものである。
デジカメ撮影およびネット掲載に関して資料館管理者の許可を得ている拡大対象画像です。
画像にマウスをかざすと拡大、ダブルクリックで最大化します。
クリックすれば元のサイズに戻ります。


常盤池の北側にある半島の先端部分に島と砂州が描かれているのが分かる。名前は記載されていないが、水位によっては半島と繋がる島の存在が知られていたらしい。

他の島に関しては常盤神社のある島だけが記載されている。ここも砂州が描かれ神社に向かう道が赤い細線で記載されているから、水位が低ければ渡って行けたのだろう。
ペリカン島は飼育用に造られた構造物だから当然地図にはないし、白鳥島も地図では半島のように描かれている。遊園時代になって半島部分を切り離して島にしたらしい。
島へ渡る橋がないことから白鳥が外敵に襲われる心配のない場所を造るためではないかと想像される

常盤池の成り立ちに関する資料や書籍は多く知られているが、今まで調べた限りではこの陸繋島に関する情報は先に提示した航空映像とこの古地図だけだ。ユースホステルの半島先に島があるなんて話を誰からも聞いたことはないし、当然ながらまだ一度も現地へ行ったことがない。

それ故に存在を知ってしまったからには、当然こんな好奇心が頭をもたげてくる。
そこにはどんな眺めがあるのだろうか?
その島へ渡ることは出来るだろうか?
航空映像では楢原に見える建築ブロック塔や水没コンクリートよりも目立つので、早くからその存在に気付いていた。しかし踏査が遅れていたのはアジトから遠いという以外にも理由があった。
その場所へ向かうには、ユースホステルの裏側から更に半島の先端まで200m程度歩く必要がある。地図には道らしきものは記載されておらず、延々藪漕ぎ難行となるかも知れない。しかもそれほど労力を払って現地へ到達しても常盤池の水位が高ければ何も見えない…という懸念もあった。

以下は第一次踏査の結果報告である。本編の収録項目が少ないので、第一次踏査のレポートを同一ファイルに記載している。今後もし基本項目の記載事項が増えたなら、第一次踏査レポートを別ファイルに分割する。

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これは陸繋砂州があると思われる場所を中心にポイントした国土地理院の地図である。


半島の中央に灰色で描かれているのがユースホステルの建物で、利用者は一般には市道丸山黒岩小串線から半島の尾根伝いに伸びる地元管理の道を進むことになる。途中で横切る点線の経路は常盤公園の遊歩道で、立体交差となっており昔は相互に行き来できなかった。

草木が勢いを取り戻し始める早春3月の下旬、常盤池の汀を可能な限り正確に辿るプロジェクトの一環としてユースホステル半島の岬接近を試みた。
汀踏査プロジェクトについては記事の体裁を現在考えている途中だ

ここが遊歩道から観た立体交差の場所である。
そのすぐ手前左側にユースホステルへ向かう入口がある。


「常盤池の汀を辿るプロジェクト」については、3月中に二度にわたって実行している。この日は山炭生の鼻付近から常盤スポーツ広場に向かって踏査していた。これといった目覚ましい成果もないまま既に時刻は午後4時を過ぎていた。

ここからユースホステルまでの経路および関連記事は以下に書いておいた。
派生記事: 宇部ときわ湖畔ユースホステル|遊歩道スロープ
ユースホステルの殆ど変わらない外観に懐かしみを感じ、自転車を降りてカメラを構えたのも束の間、ちょっと厄介な奴が現れてきた。

番犬である。
柴犬だろうか…私がここへ到達してカメラを構えるまでもなく、姿が見えたときから吠え始めていた。
カメラを向けると不思議に大人しくなった…全国ネット配信で緊張しているのか…^^;


あんまり吠え立てられると管理人さんが出て来られるだろう。私は怪しい者ではない…ただ残念なことにユースの利用者でないことだけは確かだ。目的地は建物の奥にある岬だ。
公共の施設とは言っても敷地内なので、どなたか常駐されているなら一言断った方がスマートだ。それに何か有用な情報を聞けるかも知れない…しかしハーネスで繋がれているとは言っても玄関前に柴犬が鎮座あらせられるので…sweat

まあ、いいだろう…常盤公園の中だから観たい場所を見学するのは自由ってことにして…

岬に向かうには柴犬の前を通らなければならないので、迂回するために一旦ユース前の西側斜面を下った。斜面は割と最近伐採されたらしく、草木を気にすることなく汀まで降りることができた。
そして入り江付近で汀の写真を撮影した後、斜面を斜めに登る格好で柴犬の居城前をやり過ごした。
犬が嫌いなのではなく吠える原因を作るのが嫌だ…部屋で静かに寛いでいる宿泊客があるかも知れない

斜面を登り、再び尾根部分に戻ってきたところで振り返って撮影している。
縄張りから目障りな野ウサギ(?)が退散したせいか、柴犬は大人しくなっていた。


180度転回し、こちらが常盤池側だ。
意外に下草がよく刈られ歩きやすくなっている。獣道もできていた。ユースの宿泊客向けに整備しているのだろうか。大変な藪を想像していたのでかなり拍子抜けした。


岬を前にして獣道は下り坂になった。
風致保安林の標識が立っていた。その更に先には何か石碑らしきものが見える。


初めて訪れる場所では、何を見つけても昔のものでは…と丹念に観察してしまうものである。


日本宝くじ協会の設置したサクラ植樹記念碑だった。
裏面には”宝くじ桜植栽地”と陰刻されていた。


先に掲載した”常盤溜井之略図”には、常盤池の東西と南北の距離を測定したと思われる場所が記載されている。最初、この石碑は基準点とされた石碑なのでは…と思い焦った。
実際の北側の測定点はここではなく一つ東側の半島だ

岬まで充分広く下草も刈られた獣道が続いており、接近には何の困難もなかった。
しかし常盤池の水面が見え始めたとき、この状態だと無理では…と感じた。


困難なく汀まで接近できたことは幸運だったが、ここで結果が現れてしまった。


水位が高すぎて何も見えない。


多分そうだろうという感触はあった。何しろここまでずっと常盤池の汀に沿って歩いてきたのだから、現在の水位が通常に比べてどの程度かは把握していた。
標準水位というものが設定されているのかは分からないが、私が何度か常盤池に足を運び、日頃から見慣れた水位からすればかなり高い。元から常盤池の水はそれほど清澄ではない。薄緑色を呈した水はこの場所の水深がどの程度あるかの情報すら推測させてくれなかった。

足元から真下を撮影している。
すぐ下まで水が押し寄せているので降りることはできなかった。
この場所に立つのが実は如何に危険なことかを後々になって知ることになる


本当に何もないのだろうか…

いや…何かが水上に見えている?
岬の前方に何かが浮いているように見えた。いや…浮いているのではない。水鳥か木片に思われたが、それはまったく動いていないようだ。

念のため原典画像を載せておく。何処にそれらしきものがあるか分かるだろうか…拡大対象画像です。
画像にマウスをかざすと拡大、ダブルクリックで最大化します。
クリックすれば元のサイズに戻ります。


それほど距離はないと思うが、対象物が小さいので肉眼でも辛うじて視認できる程度だ。デジカメでズーム撮影すると、夕暮れ近くの光量不足でどうしても不鮮明になってしまう。

これでどうだろうか…
水上に丸い玉と、棒のように突き出た何かが見えるだろうか。


ズームの倍率を上げるほど撮影は困難になる。ちょっとでも手ブレすると酷くぼやけてしまう。綺麗に撮影できているかは現地では分からないので、同じ構えから数回シャッターを切った。
2つあるうちの右側、棒状の何かに焦点を合わせてズームした。よく観ると一つではなく、すぐ近くにも似たようなものがある。


これ以上一歩も進むことができず、棒のようなものの正体も分からない。それにもかかわらず私はこの2つは、島に固着する何かの物体だと断定した。少なくとも流された木屑が漂っているのではない。

写真でも分かる通り、体感できる程度の風のせいで水面にはさざ波が出来ていた。しかしその物体は風や波にまったく反応せず、暫く眺めていても同じ場所で微動だにしなかった。その下に地山部分があり、そこから頭をのぞけている何かであろう。

丸いボウリング球のように見えるこっちの物体は浮きだろう。
風に反応してゆらゆらうごめいていたからだ。
しかし…何でこんな場所に浮きが存在するのかという疑問もあった


いくら眺めていようがこれ以上、どうすることもできなかった。

この周辺の汀を撮影した。
さほど高低差はないが見るからに滑りそうな粘土の斜面で、落ちたら陸地に上がるのは難しそうだ。


足元の映像。
何とか頑張れば降りることはできるだろう。しかしそこから一歩も進むことができない。


ともあれ、岬まで楽に歩ける道があることだけは分かった。充分に水位の下がった頃合いを見計らって再踏査すれば、正体が明らかになるだろう。
これだけ撮影して引き返した。

岬の周囲は意外によく草刈りが進んでいた。単に草木が枯れて歩きやすいだけかも知れないが、来た道ではなく金吹の入り江側に向かう別の道があった。


そこを進むとユースホステルの反対側に出てきた。


斜面を登り、自転車を停めた国旗掲揚台に近づくまでに柴犬君がまた異状を察知してしまったようだ。
こんな塩梅で一次踏査では常盤池の水位が高いため島の姿はまったく確認できなかった。
しかし島のあるらしい場所には確かに何かの物体が見受けられること、現地まで安泰に行ける道があると分かっただけでも収穫だった。

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季節は巡り、再び涼しい季節がやってきた秋口のこと…

少雨が続き、市内のダム湖や溜め池の水位が下がった頃合いを見計らって第二次踏査を実行した。
この踏査は成功を収め、多くの興味深い成果が得られた。また、実際の調査は大変にスリリングな冒険であった。一部の熱烈な読者は、きっと現地へ行ってみたくなることだろう。
他を差し置いてでも第二次踏査記事の作成を優先させる積もりなので暫くお待ち頂きたい。

(「常盤池・陸繋島【1】」へ続く)

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