県道小野木田線・通行不能堰堤【2】

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(「県道小野木田線・通行不能堰堤【1】」の続き)

それは車を停めた場所から山の方へ伸びていくこの砂利道であった。


車は入れないようになっていたが、徒歩なら問題なく進攻できそうなのでちょっと偵察してくることにした。寄り道になるので派生記事で…
派生記事: 厚東採石所跡
殆ど何の成果を得ることもなく車に戻り、右岸曝気循環設備棟の前に再び車を停めた。

入り江の北側部分から進攻し、確かに堰堤らしきものがあることは判明した。しかし現地は藪化が酷く接近できないため、右岸曝気循環設備棟まで引き返してきた。

車を降りて起点側を向いて撮影している。ここにさっき見たのと同じ看板があった。


こちらの看板は古びているものの健在だ。


先の「あぶないから通行止」とあった理解に苦しむ看板、そして同じ文言を書き記した倒壊看板と健全なこの看板…
このことからある仮説が導かれそうな感触を得た。

この”厚東採石所入口”の立っている区間は実は県道ではなく
採石所の私道を間借りしている形になっているのでは?
さあ、これはどうだろう。

この堰堤上を通る経路の方が県道指定されていて、旧採石所の私道を間借りする形で通れるようになっているとすれば、県道小野木田線はこの区間で繋がっておらず、未だに通行不能区間を持つという衝撃的な結果になる。
さすがにそうであるとは断定できない。たまたま地図では黄色に塗られておらず入り江を迂回する採石所入口の標識も放置されているだけで、実際は両方とも県道指定されている可能性もあるからだ。
国道や県道で道路改良されて旧区間が市道などに払い下げられた後も地図ではそのまま表記されている事例は結構多い

右岸曝気循環設備棟の横を過ぎて先に進んでみた。


堰堤になっているらしいことだけ分かる。そこを挟んで左右の水の色が異なっていた。
それにしても堰堤上の雑草の繁茂が…


堰堤部分が見えるか立ち位置を変えて撮影してみたが、草にまみれて見えづらい。
ここも吹き溜まりになるせいかダム湖のゴミが酷い。


橋ではなく完全に埋められ分断された堰堤だった。


ダム湖と入り江部分で水が入れ替われる部分がない。
堰堤を築けたということはこの付近それほど水深はなさそうだ。


先へ進むのはなかなか辛いタスクだ。
まったく雑草が刈られておらず人が通るあてがないらしい。


あまりに状況が悪く、途中で進攻を断念した。
先の様子は目視できるし、足元が見えづらいとあっては危険でもある。

何よりもこの堰堤部分には足元に絡みつく凶暴なイバラが異様に多い。
日の当たりが良い場所でありながら草刈りされないためだ。途中で何度も足にトゲ刺し攻撃を喰らった。


堰堤の始まり部分に古びた看板が埋もれていた。


通行止の看板である。業者が置き忘れて行ったもののようだ。
早い時期に通れなくなり、そのまま放置されていたらしい。


リンクは掲載しないが、例によって国土画像情報システムで昭和49年度の航空映像を見ると、当時はまだこの部分に道があることが分かる。
右岸曝気循環設備棟はまだ存在しておらず、現在ある入り江を巻く道が採石所に向かう通路になっていた。

このことから推測されるのは、右岸曝気循環設備棟が造られたときに堰堤部分を通る県道部分を締め切り、採石所の迂回路部分を県道として使うようになったということだろう。
右岸曝気循環設備棟をもう少し小野湖畔寄りに造れば従来通り堰堤部分を通すことはできていた筈だ。ここを通行不能にしたのは、恐らく堰堤の幅が狭く、車の転落事故の危険があるため改良しなかったものと思われる。

もう少し起点側に進むと、同様に県道が入り江を渡る部分がある。そこもここと同様の造りになっている。


以下の3枚は一昨年の秋、実際に上の場所を訪れたときの写真である。
ここで県道の道幅が思い切り狭くなっている。
写っている車は既に廃車にしているのでナンバーは隠していない


普通自動車一台がやっとの幅でもちろん離合など不可能。
堰堤の両側には脱輪防止程度のブロックが造られているだけである。


堰堤の側面部分。
たまたま小野湖の水位が下がっていて堰堤の下部が見えていた。
橋ではなく堰堤で入り江部分が締め切られている。両側の水が行き来できる管渠程度は造られているかも知れない。


今回訪れた右岸曝気循環設備棟付近の堰堤もこれと同じ構造になっていると推測される。

県道とは言っても元から交通量が少なく、沿線に殆ど民家もない場所である。
古いままの造りが残っているのもそれほど費用を投じて改良するメリットに薄いからなのだろう。
この地域の交通が活性化されるあては当面ないので、当分の間は一連の古い堰堤構造は遺り続けるのではなかろうか。

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