第一次・レンガ塔接近計画【3】

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現地撮影日:2014/11/7
記事公開日:2014/11/26
(「第一次・レンガ塔接近計画【2】」の続き)

後続記事のようなリンクを掲載したものの、実際は第一次のレンガ塔踏査とは訪問した日にちがまったく異なる。前の記事は4年前のものだ。
再度接近を試みるなどするなら本編は第二次踏査となるところだろう。しかし今回は当初からそこまで予定していなかった。この先にあるメインの物件を踏査するにあたってレンガ塔の近くを通るので、現在の状況を撮影したに過ぎない。そのため第一次踏査の記事タイトルを流用した続編として記述している。

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ここまでの経過を記事化するかどうか分からないが、本山岬の西側海岸へ降りる経路の入口へ来たところだ。


この場所をポイントした地図である。


山陽小野田市道本山線の本山岬バス停より100m程度手前で、海の方に向かう未舗装路の枝道を入ったところだ。看板など案内はないが本山岬の西側海岸へ降りる殆ど唯一の経路である。本山岬を午後訪れて独特の地層を観察するなら、西日が当たって映える西側海岸の方が好適だということは総括にも述べた通りだ。

この場所には釣り客の車が停まっていることが多い。
その先には錆び付いた鉄の門扉がある。数年前と変わっていない。


海へ降りる小道を自転車に乗って進む。


さて…どの辺りだったろうか…
浜辺に出るまでに右側へレンガ塔が見える場所がある筈なのだが…


笹藪のきつさも4年前と全然変わっていない。
毎年、生い茂っては冬場に枯れる…のサイクルを繰り返しているのだろう。


見つかった。
実際には既に見えている。しかし西日のきつさに隠れて映像を結ばない。


屋根のない三角の塔頂部分だけが藪から現れている。
この道からはとても近くに見えるから接近も容易そうに見えるだろう。


もう11月というのに藪の勢いは些かも衰えがない。
大きく伸びたツタ系の植物が屋根の一部を覆っていた。


実のところレンガ塔へ接近する前からかなり都合の良い想像をしていた。
誰かレンガ塔の周囲を刈り払いしてくれていないかなぁ…
時代の流れは速い。4年も経てば環境は大きく変わる。私自身もそして郷土にひっそりと眠るこうした遺構群も。
実際、4年程度前は地元にあるこのような遺構に目を向けて写真を撮るなどといったことは、一部の好事家や郷土研究者と目される人々の範疇であった。現地へ足を運び写真を撮るなんてのは、市外や県外の旅行で秀逸な景色に対してというのがまだ一般的だった。
しかし今や明らかに環境は変わっている。地元再発見の意識が一般庶民に少しずつ染み渡り、郷土が擁する史跡や遺構に目を向ける動きが高まっている。このことは再発見をテーマにした市内のツアーやイベントの集客状況において明らかだ。

このレンガ塔が造られた時期や用途などは今も精確には知られていないが、旧本山炭鉱斜坑坑口に次いで価値ある遺構であろう。しかし斜坑は早くから整備され説明用の看板が設置されていながら、レンガ塔は4年前なお藪に埋もれていた。今ほど郷土再発見の流れが明らかなら、整備とまでは行かなくとも見学しやすいように藪の刈り払いが行われているのではと内心期待していたのだが…

この小道からレンガ塔まで最も近い場所と思われる地点へ自転車を停めて偵察してみた。


残念ながらレンガ塔へ向かう道の整備などはまったくされていなかった。
しかし…先人がある程度開拓したのだろうか…笹藪を踏み倒したような跡があった。
まさか…4年前に私が格闘したときの跡ってことはないよね


やはり興味をもって接近してみようという人は確実に居るらし。
先人の苦労のお陰で、4年前よりは有る程度容易に藪の中を進むことができた。

レンガ壁が笹藪の向こうに見え始める頃、藪の中で朽ちていく四輪車を見つけた。
これは初回踏査時でも気付いていて、当初は石炭時代のトロッコかと思われたものだった。
車の座席カバー部分はまったく朽ちていない…こういう素材って永遠に土に還らないのかも…


足元に注意して廃車らしき残骸の上を踏み締めて進攻する。
4年前は非常に苦労して「あと10m程度先なのに…」と嘆きつつズーム撮影したのだった。


壁の様子がよく分かる。
しかしこれ以上の接近は不可能。


前回ここで撤収したし、今回もここまでの藪の進攻が容易になったというだけでレンガ塔への接近自体には至らなかった…と言うか着手しなかった。

レンガ塔にぴったり接触するまで何としても近づきたいなら可能性ゼロではない。何しろ現にそこへ見ているのだから。そして見える場所まで来ていながら何故に困難をおして近づかないのかと訝る読者もあるだろう。
そのことは私も前編までを移植公開向けに編集作業しているとき同じ事を感じていた。そこには写真だけでは読み取れない困難な事情があった。
レンガ壁に向かって急な下り斜面になっている。
どうやらレンガ塔は傾斜の中ほどか窪地の中に建っているらしかった。朽ちた車のから先は笹藪の生い茂る急な下り斜面になっていた。
手がかりとなるものは周囲に笹藪がある。しかしレンガ壁直下の地面がどんな状態になっているのか全く分からないまま進攻することになり、正直とても嫌な状況だった。アリジゴク状の擂り鉢になっていてレンガ塔の下が沼のような溜まり水になっていたなら…滑り落ちる状況を想像しただけでもおぞましい。

無理に進攻する意義が感じられなかった他の理由は、こちら側に向いているレンガ壁に開口部が見当たらないことだ。この塔の内部へ入る入口がもしあるなら、観察地点からみて左右か奥側だろう。苦労して壁面に到達した後に左右か背面まで移動しなければならない。それは想像したくもない労力が予想されたし、困難を承知で到達した挙げ句、レンガ塔をぐるっと一周したものの側面に開口部が何処にも無かった…ということも有り得るのだ。

しかし強攻策を取らなかった最大の理由は、今回の本山岬行きはこのレンガ塔の踏査が主たる目的ではなかったことに尽きる。この日のメインディッシュは本山岬の西側海岸で、しかもそれは干潮の時間帯に合わせて到着すべき時間的制約があった。ここまで寄り道が多く予定は遅れ気味だったので、レンガ塔の横を通るときもし先人が開拓してくれていて容易に到達できるなら調査しよう…位の考えだった。

大丈夫…今すぐ調査しなくともレンガ塔は逃げはしないし重要な遺構だから失われることもないだろう。仮に本腰を入れた第二次踏査を行うなら、少なくとも刈り払いの道具くらいは持ち込むことを考える。当面そこまで着手する予定はない。興味は大いにあるにしても私にとっては市外の物件だ。小野田市内にこうした遺構の開拓に興味を持たれる御仁がきっといらっしゃることだから、私が市外から領分を侵してはならないだろう。
もっともどなたもなさらないのなら…私がやりましょうかね?^^;

したがって「習慣とする徹底主義」を持つ野ウサギ(?)としては如何にもあっさりと藪の中から引き返した。
記事向けの新しい写真だけ撮っておけば足りるだろう…


実はその写真撮影ですらそう簡単ではない。
レンガ塔を覆い隠す勢いで伸びる周囲の雑木をかき分けつつ撮影できるアングルを探さなければならないのである。


カメラはこの秋口に新調したものなので、4年前より操作性が良く鮮明な映像で撮りやすくなっている。それにしても自動設定だと被写体の手前に伸びる木々の枝がピントを奪ってしまいなかなか巧くいかない。
現地ではここに載せた数倍もの写真を撮っている。掲載しなかった殆どが手前に茂る木の枝にピントを奪われたピンぼけ写真だ。

藪の隙間から撮影できそうな部分と言えば、特徴的なレンガ塔の屋根側面部分程度だった。


斜めの屋根部分。
経験変化からかそれとも当時からなのか、レンガの積み方はやや粗雑な風にも見える。


屋根の合掌部分。接合部分が縦に割れている。
アーチ積みは結構見かけるが三角屋根構造は結構珍しいのではないだろうか。


屋根の上部には井戸の釣瓶のようなワイヤと鋼材がみられる。


滑車部分を狙ってズーム撮影。
とても動きそうにないがワイヤは今もきちんと滑車部分にかかっていた。


ワイヤと滑車の存在からは井戸の釣瓶が想起される。そのことからここには竪坑が存在するのではないか…という想像が早くから働いていた。そして場所柄ここに竪坑があるならどうしても炭鉱の竪坑を連想してしまうのであった。
この滑車も何のためのものか不明だが、少なくとも鉱夫を地底の横穴へ昇降させるエレベータを吊る器具ではないだろう。滑車にワイヤが一本しか架かっておらず重量のある人間を乗せて昇降させるにはあまりにも脆弱だからだ。精々、資材の吊り上げ程度の用途である。接近できていないので内部の様子がどうなっているかはまったく分かっていない。

このレンガ塔の正体については総括記事の方で当時の発電所関連の施設ということを書いている。これは地域SNS公開時に寄せられたコメントに依るもので、今のところそれ以上の新たな情報は得られていない。そして発電所関連の遺構であることを明瞭に記載した公的ソースはまだ得られていない。
詳細なソースが得られたなら出典として追加する予定である

第二次踏査がいつのことになるかは今のところ未定だ。さしむき現地の私は時間的制約もあって本日のメインディッシュに急いだ。

(「本山岬西海岸・第二次踏査【1】」に続く)

出典および編集追記:

1.

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