旧本山炭鉱斜坑坑口

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現地踏査日:2010/2/3
記事公開日:2010/2/4
移植公開日:2014/11/18

情報この記事および後続記事はかつて地域SNSに公開されていたものの再掲載です。
誤記などの修正や読者コメントの除去以外は原文のまま掲載しています。

記事タイトルだけで「また本山まで行ったの?」ってのがバレちゃいますね。
まあ、詳しい経緯は本編で話すとして、いきなり本題へ…

県道の大須恵交差点から山陽小野田市道本山線に入り、本山岬へ向かう途中、市道の一本海側にある住宅地の公園に「それ」は隠れていました。

今回は時間がたっぷりあるので、市道を逸れて公園の見える方へ歩きます。
事前の情報は、以前見た個人のホームページないしはブログで確認してありました。
ブックマークし忘れた…だけど検索すればすぐ見つかると思います


正面の公園の右側に、それっぽいものが見えかけています。
住宅地の角を曲がると、現れてきました。


不本意なアングルだけど、また逆光が厳しいので斜め左側から撮影。
ラッパの先端みたいに広がった坑口です。


当然ですが、坑口はコンクリートで完全に塞がれているし、更には敷地内への立ち入りも一切できないように有刺鉄線付きのフェンスで囲まれていました。

近寄ってみましたが…

説明版がフェンスの内側でよく読めない…(涙)


これ…やり過ぎじゃあないんかなあ。
その場で読むことはできるけど、ワンショットで看板の文字を読めるような撮影など不可能。

仕方ないのでアングルを変えて説明板を撮影しつつ(現地で確認する愉しみを残しておくために説明板自体のアップ画像は載せないでおきますね[1])ざっと読んでみました。
市指定文化財 旧本山炭鉱斜坑坑口
説明板によれば、干潮時にこの近辺で石炭の露頭が存在することは江戸時代から知られており、夏場の大きく潮が引く時期を選んで船で採取していたらしい。
この坑口は主要運搬坑道として昭和初期には整えられ、昭和38年に閉鎖されるまで使われていたようです。地質が悪く、ガスや出水などによる殉職者はあったようですが、坑道水没による放棄という形の閉山ではないらしい。

側面に回ってみました。
どの程度の勾配を持って海に向かっているのかは分かりませんが、先に進むにしたがって坑道の天井部分にあたる余盛りが階段状に低くなっています。


背面に移動。
恐らく足元の真下何メートルかに坑道が走っているのでしょう。どういう状態になっているのか分かりませんが…
この足元を重機で掘り返したら…いや…何でもありませんw


隣接してこの児童公園があります。
坑口の正面には住宅地の道路一本挟んで民家があります。


公園の中から撮影。


一周し、左横付近に戻ってきました。
両袖部分は間知石積みで補強されています。昭和初期に積まれ、部分的に補強や補修などを行いつつ閉山期まで運用されたようです。
坑口のラッパ状のコンクリートの縁は坑口封鎖時の後補ではないかと思う


かつてはここから石炭満載のトロッコや炭坑夫の往来があり、寂しい場所と言われていたこの近辺にあっては都会並みの賑わいを見せていたのでしょう。
海に向かって伸びていく坑道…配線やレールは回収したでしょうけど、まさか全部のルートを埋め戻しはしないでしょう。まして落盤・陥没の恐れがあるから、坑道内の支保工は間違いなくそのまま眠っているはず…

昭和の中期に閉鎖され、坑口はコンクリートで厳重に封鎖されています。大抵はメンテナンス用に鉄製の扉一枚を設けるものですが、それすら無く全面封鎖したということは、未来永劫出入りする予定がないことを見越してのことでしょう。

厚さ何メートルあるか知らない坑口のコンクリート壁…その先には、閉山期のまま時間が完全停止している坑道が眠っている…
(沖合約3km、深さ約200m、総延長は19km余りにも達するという)
海水の流入もなく、昭和中期の空気を蓄えたまま永遠の眠りに就く空間もあるだろう…
そこには一体、どんな光景があるのだろうか…

そう考えただけで、何かゾクゾクしてきませんか?
怖い意味でのゾクゾクではなく、近づき難い神秘性を伴ったゾクゾク・ワクワク感ですよ♪

言うまでもなく、坑口から中を覗くことも適いません。じでんしゃ隊の信条(?)たる、
「穴があれば覗き込む。
可能であれば、中へ入ろうと試みる。」
…なんて考えの人間を阻止するためでしょうし、ここが児童公園に隣接しているのも厳重なフェンスの理由でしょう。だけど正直、有刺鉄線付きのフェンスってヤリ過ぎではないかい?

防衛関連の施設とか、工業用水関連など、侵入されれば業務に著しい支障を来したり、生命にかかわる危険が明白な場所なら分かるよ。だけどここにあるのはどう頑張ったって内部には潜入しようもない坑口の遺構なんだけど。しかも来訪者に見てもらうための。
「国指定史跡・浜五挺唐樋」の遺構だって、これほど厳重なフェンスなんてなかったよ。むしろあそこの方が唐樋の停留池部分に転落する危険があるけど、普通のフェンスだった。ここは近寄って現物に触れることが出来ないばかりか、説明板すらフェンス越し。読みづらい。

フェンスがなければ、子供は恐らくあの坑口背後の築山部分に上がるだろう。そしてトロい子供は転落して膝をすりむくなり、骨折なりする。そんなのは自己責任と思うんだけど、多分昨今の親は黙っておらず、何でこんな危険なものを公園の近くに放置していたんだと苦情が出て…そうなる前に有刺鉄線付きのフェンスで予防線を張った…って顛末でしょうか。
こんな過保護なことじゃあ、そのうち本山岬公園にある擬木の柵にも崖から子供が転落しないように背の高いネットフェンスを張るようになるのかも…と思いきり皮肉を言ってみる(何笑)

元々坑口は表に出ている部分は少ないし、場所柄がこうなのでぐるっと一周し写真撮影しただけで立ち去ってしまいました。残念ながら私自身はもう来ないと思う。得られるものがないし…
ところが岬からの帰り道で恐らく大いに関連するモノを見つけたりする…これは伏線ですw

振り返って撮影。
この公園の名前を把握しておこうと入口に来たんだけど、名前がないみたいなんだよね。


現地へ行ってみようという方のためのメモ書きを…

本山公民館から本山岬側には2つの児童公園がありますが、この坑口があるのは本山児童運動公園の公民館側にある方です。市道をそのまま走っていると見落とすかも知れないので、海側の景色を確認しつつ本山公民館の前の通りを進むのが良いでしょう。
なお、末尾にGoogle地図でおおまかな位置が示されています[2]が、Yahoo!地図の方がより精密に見ることができます。下のリンクを開いた後、航空映像モードに切り換えれば、公園や斜坑の映像が確認できます。
Yahoo!地図 - 山陽小野田市・本山付近
本山公民館に車を止めて歩いても数分の場所です。
実際、昨日は歩いたのだよ…公民館から本山岬までを往復して歩いた

なお、直接現地まで車を走らせても路上駐車は一応可能ですが、住宅地内部は地区道ないしは私道かも知れないので、停める場所および時間には注意して下さいね。

(時系列を追って読みたい方は「第一次・レンガ塔接近計画【1】」へどうぞ♪)

出典および編集追記:

1. 現地で撮影した画像はこちら。(説明板前半部説明板後半部

2. 当時の地域SNSでは位置情報を投稿すれば末尾にgooglemapが挿入される仕様になっていた。

* 以下は地域SNS公開時の読者コメント情報

この団地があるエリア自体がかつての炭鉱住宅の跡地である。坑道のあった近くであり陥没が予想されるので、杭打ちで地盤補強を行ったうえで住宅を建てているので不等沈下の心配はないという。
30年前にはまだ坑道が塞がれておらず中へ入れる穴が存在していたようである。
また、別の読者の情報によれば10年程度前にはこの場所から海側に地下の坑道へ繋がる入口があったらしい。内部は煉瓦巻きで数十メートルで行き止まりになっていた模様。ホームレスの居留地にも使われていたようである。近辺には当時のプールも暫く遺っていたという。

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