山口県教職員宇部住宅1号棟

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現地撮影日:2012/6/6
記事編集日:2015/2/14
恩田の陸上競技場の外側を通る市道野原線に面して、この記事を書く時点で居住者がまったく居らず廃墟のようになっている集合住宅が1棟ある。

場所をYahoo!地図でポイントしておこう。


この記事を公開してそれほど経っていないなら、上の地図を最大限ズームすれば同じような建物が2棟並び、それぞれ第一棟、第二棟と表示されると思う。

市道野原線から1号棟を撮影している。画面からは外れているが左側に陸上競技場の外周路とトラックがある。


右側は2号棟で、現在も居住者が通常の生活を送っている。左側が今回話題にする1号棟だ。


私の日常生活では陸上競技場とは無縁なので、この方面に車で来ることはまずない。自転車では最近、元住んでいた恩田地区の記事を充実させる推進計画の流れで数回訪れた。この市道も撮影対象に入れていたので、当初は起点へ移動し撮影開始する積もりだった。。
ところが最初に訪れた3日は競技場で大会が催されたらしく、競技場本部席付近になるこの周辺は学生が一杯でとても撮影どころではなかった。日を改めようと諦めて次のターゲットに向かおうとしていて、廃墟のようになった1号棟の存在に気づいたのである。

市道から少し入って1号棟を撮影している。
傍目にも建物自体が傷んでいる。窓にはカーテンがなく、ベランダには洗濯物どころか物干し竿すら見あたらず、誰も入居していないことが明白だった。


かなり気にはなったが、中高生が周囲を右往左往している近辺ではカメラ持って誰も居ないアパートへ接近できる状況ではなく、この日は一旦アジトへ帰った。

その後になってふと思った。
あのアパートはいずれ解体されるのでは…
ここが教職員住宅であるということは早くから知っていた。小学生の頃、両親が学校の先生をしている同級が住んでいた話を聞いている。私がアジトへ越してきた3年前からこの市道は自転車で数回通っていて、その時から既にこの棟は空っぽだったかかなり寂れていたような気がする。なくなってしまうのなら、今ある姿は撮影するに値するのでは…と考えたのだ。

暫定的にこの記事を廃モノのカテゴリに収録しておくが、取り壊しが決まっているわけではない。耐震補強工事を施すとかオーナーが変わった等の事情で全員退去しているのなら、外装などを修繕した上で再び入居者を募集することもあり得るだろう。この記事は、観察した現時点においての「廃墟」という位置づけであることを断っておこう。

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その数日後、市道岬赤岸線の追加写真を撮りに行った帰りに立ち寄った。中学生の下校時間だったが、市道を歩く生徒は少なく殆ど気にならなかった。前回は背面からしか眺めていなかったので、建物に入ることができるか表側に回ってみた。

周囲にかなり草が生え始めていることで入居者がいないことを悟る状況だ。それ以外は立入禁止のロープ等もなく、自由に入れるようだ。


居住者がいないことを知りつつ訪れているのだから正当な訪問者とは言えない。もっとも危険な要素があって部外者に接近して欲しくない物件なら立入禁止を明示するだろう。
別に金目になりそうなものを持ち出すとか、部屋まで無断侵入してシンナー遊びの拠点にする…なんて黒い意図はない。あるのは廃墟に対する純粋な興味だ。それも個人宅ではなく集合アパート全体だ。
このため特定可能な一個人の住居に固執するような撮影は行っていない

この棟の構造はちょっと変わっていて、最下階は半分ほど高い位置にあり、地下の倉庫は半分ほど低い。玄関側の地面と倉庫側で1階分の高低差が生じている。

半地階に降りる階段の手前に集合ポストがあった。
公営住宅で標準的に見られるステンレス製のポストである。部屋番号などは外されており、どれも鍵がかかっていなかった。投げ込まれたチラシが溜まっているポストもあった。


まずは半地階部分に降りてみた。
降りてすぐ横に電気メーターの集合盤があった。当然だがどれも微動だにしていない。


半地階部分の半分に4戸の収納庫が割り当てられていた。
普段でも暗いせいか電気のスイッチが設置されている。


もう半分は共用スペースらしい。裏側への出入口には扉が付いて居らず吹き曝しである。自転車などを置く目的のようだ。
まだ自転車が留め置かれている区画もあった
壁は打ちっ放しのコンクリートで寒々しさを感じる。天井の電灯もこの空間の広さに対して豆電球一つとは貧相だ。


裏口から出ると1号棟の住民から丸見えで、不審者と思われかねないので自重し引き返した。

階段は問題なく昇降できる状態だったので上れるところまで上がってみた。屋上まで階段が続いておらず、点検口がある梯子で昇降する現在と同じタイプのようだった。

3〜4階の踊り場より撮影。
俵田体育館がこの方向に見える。


各戸のドアの前には酷く錆び付いた鉄蓋が壁に取り付けられている。
これは現在のアパートにも普遍的なものだから正体が何かはすぐ分かった。


ガスや水道などの集合メーター格納庫である。
いずれもメーターは取り外され、末端部分は留めのキャップが施されていた。扉自体は永いこと開閉されないせいで蝶番が錆び付いており、撮影後元通りにしようにもキチンと閉まらなかった。


さすがに表札はなかったが、部屋番号を示すプレートや地名表示板(緑色地に白文字で記載されたプレート)はまだ遺されていた。

鋼製のドアは公営住宅仕様だ。しかしのぞき窓が魚眼レンズタイプではなく通常の小窓である。このタイプの鋼製ドアを他に見たことがない。


確かめるまでもなくドアは施錠されているだろうから、ノブは回さなかった。しかし小窓ガラスの埃を指先で拭い取れば部屋の中を覗き込むことができた。
プライバシーが保てない…現代ならこんな小窓はまず歓迎されないだろう

小窓にカメラを押し当てて撮影している。古さは感じられるがそれほど酷い傷みはみられない。襖に一部破れがみえる程度で、畳に綻びも見られなかった。


階段を上ってきたときには気づかなかった貴重なものを見つけた。
階段踊り場の壁に取り付けられたこれである。読者はこれが何だかおわかりだろうか…


こういうアパートに住んだことがない私でも正体が何かは知っている。小学生時代、こういうものが備わった民間アパートに住んでいる級友を訪れたことがあったからだ。
ネジ留めの位置から分かるように、取っ手を持って手前に回して倒すように動かして使う。しかし危険だからまず動かないだろう…


そう思って取っ手を引いたら、驚いたことに正常に開いた。
この中にあるものは…メーター機器群ではなくただの竪穴である。そうでなければ役目を果たさない。


ダストシュートである。
正直、これにはかなり驚嘆した。実物を見たのは数十年振りというくらいに現在では姿を消した昭和の遺産だ。しかも塞がれておらずその気になれば現在でも投入可能な状態になっていた。

読者が私よりずっと若い世代ならまず何のことやら分からないだろうから、知っている範囲で説明しよう。[1]
早い話、ダストシュートとは集合住宅にあって「家庭ごみを投棄するために設置された竪穴」である。
平屋ならともかく、数階建てのアパートに住むなら日々のゴミ出しが重労働であることは想像つくだろう。窓のすぐ下がゴミの集積場だったら窓からポイッと投げ棄ててゴミ出し終了…となればどんなに楽だろう…
今から思えば、そう大差ないものを昭和中期の人々は正規の設備として設計し利用した。さすがに窓からポイ捨ては危険なので、居住スペースに近い場所からゴミを投棄できるような専用の竪穴を設置したのである。

ゴミ出しを簡素化することが目的なので、ダストシュートは通常各戸の玄関から近い場所に設置される。大抵は階段に面した部分で、階段を共用する同じ階の2戸が一つの投入口を共用し、同様の投入口が階ごとに存在する。
およそ想像つくと思うが、最低でも2階の高さからゴミをフリーフォール状態で棄てるのだから、状況によっては袋が破れて非衛生な状態になる。もちろんゴミの分別なんて考え方が一般的になる以前の時代のことだから、棄てる側の利便性最優先で収集する立場が殆ど考えられていなかった設備と言える。

また、日常的に接近する場所に深い竪坑があるということは、一歩間違えれば重大な事故につながる。実際、投入口からの幼児転落事故が全国で起きていたようだ。更にゴミの分別収集とそれに伴う責任あるゴミ出しの必要性が説かれ始めた昭和40年代以降、ダストシュートは集合住宅には造られなくなった。のみならず既存のダストシュートも使用禁止となり、転落事故防止のために開口部を塞がれる措置が取られるようになった。
ダストシュートは大量製造・消費を旨と成した昭和中期を象徴する落とし子的な存在と言えるだろう。民間アパートまで含めれば、同時期に建てられダストシュートが付属するアパートは少なくない筈だ。設備の更新時期に差し掛かることで無くなっていくのは明白で、既に絶滅危惧物件になっているかも知れない。[2]

もう少し詳細を映像で記録しておく必要性を感じ、階段を下りた後取り出し口を撮影しておこうと思った。

永く使われないせいか、ダストシュートの取り出し口はどこも藪に包まれていた。その中から比較的接近しやすそうなものに狙いを定めた。


どの取り出し口も蓋が開いていると言うか、扉自体が存在しない。子どもの閉じ込められ事故を防ぐ観点から外されたのだろうか。
取り出し口の横に水道栓の痕跡が見られる。不潔になりがちな取り出し口を水洗いするためだろう。

通常ここは投棄されたゴミの飛び出しと臭い漏れを防ぐために閉じられている。ゴミ収集時には扉を開き、溜まっているゴミ袋を回収する。
収集作業の最中にゴミを投棄される事態も起こり得る…今思えば危険な作業だ


ダストシュート竪穴の底面は通常の打ちっ放しコンクリートである。ある程度軽い紙ゴミが棄てられた後ならまだしも、運悪くゴミ収集された後の初回に水気の多い厨芥ゴミが4階から投棄されたら、底部に叩き付けられて中身が飛散する悲惨な(?)事態になるかも知れない。
そこまでならなくても破れかけた袋から汁気が漏れ出ることは起こり得ることで、底部の中央が少し窪んでいて目皿のような排水孔が設けられている場合もある。
小学生時代の級友の住んでいたアパートのダストシュートがそうなっていた[2]

さて…あまり気乗りはしないが、歴史的遺産を後世に伝えるという意義からすれば、竪穴の内部を撮影しておかなければならない。撮影中にゴミ投棄され直撃を受ける危険は皆無だし臭いもまず残っていないはずだが、暗い空間へ入るのはちょっと気が引けた。
雑草をかき分け身を屈めて取り出し口より潜入した。撮影中に何かが落ちているかも知れない…という恐怖は、別の意味で感じた。
ゴミではなくムカデなどが…

竪穴だから当然真っ暗で何も見えない。そこで静かに立ち上がり、上部に向けてシャッターを切った。

ダストシュートの竪坑である。
50cm角くらいの大きさで、壁面は意外に綺麗だった。投入口のフラップの一部が見えている。
たまたま錆び付いたフラップが落下すれば大怪我をする…撮影は勧められない


このような竪坑が屋上まで続いており、各階の階段踊り場に投入口がある。屋上部分には雨の降り込み防止で笠が取り付けてあるため直接空は見えない。

帰り際に正面から撮影した。
ダストシュート竪穴の外壁がレンガ積み造りなのが印象的だ。屋上にはまだ共同アンテナが遺されている。


この1号棟が将来的にどうなるのかは…詳しいことは分からない。外観は傷んでいるが、耐震強度に問題がなければ適宜改修してまだ充分に居住できるようにも思える。

なお、冒頭でも述べたように2号棟は今も居住者が日常生活を送っている。現時点で観に行くのは自由と思われるが、不審および危険な観察は自重するようにお願いしておきたい。
《 記事公開後の変化 》
本記事を公開後、2014年5月に再訪したときは既に1棟は解体撤去され更地となった。土地は県の所有で、解体直後から山口県庁総務部管財課による売物件案内の看板が設置されていた。
2015年に入るまでにこの土地はパナホーム(株)により買い取られ、パナホーム・コート恩田運動公園前という新興住宅地として分譲が開始された。1月現在ではモデルルームが完成し公開中である。
出典および編集追記:

1.「Wikipedia - ダストシュート

2. 2015年2月現時点でダストシュートを備える現役アパートを少なくとも2棟知っている。そのうちの1棟は本文中にもある学童期に友達が住んでいたアパートである。ただしいずれもダストシュート自体は使用されていないものと思われる。具体的なアパート名は明示しないが、写真撮影は既に行っている。

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