写真は起点付近の様子。
現在の経路を地理院地図に重ね描きした画像を示す。●は起点、矢印は終点を表している。
(経路のGeoJSONデータは こちら )
路線名に現れる東汐土手とは旧藤山村の南の端に存在していた小字である。詳細は本編の末尾に記述している。
派生記事: 東汐土手について
上記の経路図からも分かるように、本路線は自分自身を経由しないことには到達できない場所に起点を持つ。特に起点から市道助田鍋倉線との接合点付近までは、その名の通りかつて栄川が鍋倉山の麓まで伸びていた頃の土手道だった可能性がある。特に本路線の後半部分は鍋倉山の西側の裾野を通るが、この付近はかつて波打ち際だったという。[1]恐らくは成り立ちの古い土手道であったが故に道幅は狭く、全線に渡って殆どフラットである。起点からの一部には護岸に特有のコンクリート路部分もある。四輪の通行は可能だが殆どが離合困難ないしは不能な道幅である。交通量は起点で藤曲浦漁協への出入りの車があり、終点では鍋倉市営住宅への往来がある。
《 関連記事リンク 》
本路線の時系列レポート。全2巻。なお、このレポートは早期に途中まで書いていたものに追記を行って公開している。
時系列記事: 市道東汐土手線【1】
【路線データ】
(延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください)
名称 | 市道東汐土手線 |
---|---|
路線番号 | 656 |
起点 | 漁業組合駐車場前 |
終点 | 市道藤曲居能線・交点 |
延長 | 約800m |
通行制限 | 起点付近は大型車両通行不可。 |
備考 | 車両通行困難区間あり |
(延長など各データの正確性は保証できません。参考資料とお考えください)
《 近年の変化 》
2017年のはじめに本路線の終点、市道藤曲居能線への接続点に面して建っていた家が解き除けられた。写真は市道藤曲居能線側の路側にある側溝整備時の様子。
このとき狭かった終点接続部分から建物がある場所まで敷地がセットバックし道幅がやや広くなった。
《 個人的関わり 》
現在の市街地へアジトを移した後、自転車で市内を走り回るようになった初期に訪れた地として記憶深い。それ以前は鍋倉市営住宅に訪れるとき車で通っていた程度だった。自転車で好きなだけ市街地を動き回れるようになった最初の年の連休、新川祭りに託けて新川の前身となった旧真締川の経路が居能付近に注いでいたことは知っていた。その旧河川の経路を調べてみようという過程で栄川の存在を知り、それ以後頻繁に訪れるようになった経緯がある。特に初めて真締川の旧川とされる部分のトレースを試みたときのレポートは外部ブログに記録されている。全4巻。
(ただし現在では明白な誤りと思われる記述もみられることに注意)
外部ブログ記事: 消えた河川の謎(2009/5/9)
業務で鍋倉市営住宅を訪れるので月に最低一度は車で通る。ただし常に本路線の終点側からの進入のみである。《 東汐土手について 》
本路線の名称にも含まれる東汐土手(ひがししおどて)とは、旧藤山村の鍋倉に存在していた小字である。正確な領域は分からないが、古い版の小字絵図では鍋倉の一区画にこの地名が見える。ただし新しい版の小字絵図には記載がない。また、地名明細書にも収録されていないので、その名の通り栄川を運河として整備したときの東岸の呼び名だったと思われる。本路線の起点付近がこの小字で、路線自体は殆どが鍋倉である。東汐土手という小字が現れるのは今のところ本路線名のみで、構造物や電柱の経路表示板などではまだ確認されていない。小字絵図以外の書籍などで記載されているのを見たことがない。
漢字表記のスタイルからも想像されることだが、一般に「潮」と言えば早朝に押し寄せる海水上昇、「汐」は夕刻時のものとされる。東汐土手の表記が「汐」となっていることにその意味が込められているかは分からないが、他に「しお」の音を含む地名では両者が適当に記述されているものもあり、一概には言えないかも知れない。
出典および編集追記:
1.藤山八十八ヶ所の御堂を管理する方からの談話による。
1.藤山八十八ヶ所の御堂を管理する方からの談話による。