《 荒野に取り残された公衆便所 》
現地踏査日:2012/4/1
記事公開日:2012/4/21
記事タイトルから推測されるとは思うが、お食事中の方はご注意頂きたい。とは言ってもこのような場所につきものな「汚物」そのものは撮影していないので安心して欲しい。記事公開日:2012/4/21
なお、この物件は歴史的意義などを含めて記事作成されるほどの重要度は殆どない。全く私の恣意的な興味によって掲載されている。公衆トイレと認識しているものの実際は個人の所有物である可能性もある。その場合は判明次第、物件掲載ポリシーに則りこの記事は削除されるだろう。
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公共施設・個人の所有物を問わず、建造物が使われなくなった場合の顛末は2通りである。即ち借地など契約条項に則って更地に戻すべく全て解体撤去されるか、エントロピーは時間の経過と共に増大する方向に進むという摂理に則って形を失っていくかのいずれかだ。後者においてそれが目に見えて顕著なものは、廃墟あるいは廃屋などと呼ばれる。その進行度は対象物の堅牢さや経過時間に依存するが、人為的な処理が行われない限り、周辺にあるものに対し全て同等に働く…
…と言えば何とも尤もらしく堅苦しいが、上記のどちらにも当てはまらない廃墟っぽいものを見つけてしまった。周囲の殆どが形を失い撤去されていながら、ある物件だけが殆ど当時のままの姿で現存しているという奇妙な状況である。
まあ、この種のものは何処にでもありがちでそう珍しくもないと思いつつ見つけた場所を航空映像で示そう。
概ね以下の場所になると思う。
ここは床波の長生(ちょうせい)と呼ばれる地域で、かつて長生の炭鉱住宅で賑わった場所である。航空映像はこの記事を書いている現在よりも10年以上遅延しており、その時点で既に多くが廃屋ないしは更地になっている。現在では航空映像で示されるよりも更に家屋が少なくなっている。
床波方面を自転車でうろつき、車の喧噪を避けようと帰りは国道を離れて宇部線沿いの砂利道を進んでいた。正確な場所が上の地図の通りかは自信がない。海岸沿いに走る割と最近できた道(市道大沢新浦線)と宇部線の間に広がる荒野だった。
これは何だろう…?
公園にある公衆トイレのように見える。
見渡す限り…という程ではないが、かなり広い平原である。
かつては車の乗り入れもあったのだろうか。一部はアスファルト舗装が残っていた。
自転車を留め置いて接近してみた。
ガスボンベ庫かも知れないが、それにしては小さいし入口の扉がトイレっぽい…
膝下くらいまでの草地を進む。扉のない開口部から見えかけているもので、やはりそうだったか…と確信できた。
大便器のみを備えた典型的なトイレである。
建築ブロック積みにコンクリートの屋根だ。木の扉があったらしいが失われていた。
個人の持ち物ではなく、公園か何かに付随していたトイレではなかろうかと思った。
個人の住宅が取り壊されトイレだけ遺ったとしても、建築ブロック積みのこんな素っ気ないトイレだけを屋外に造るとは考えがたいからだ。
正体が判明すれば足りるので、詳細な映像は必要ない。
しかしあと一歩だけ踏み込んで撮影した。
使う人など誰も居ない。そもそも市道からも相当離れていて、存在すら気づかれないだろう。
そのためペーパーなどの遺留物はなく、便器自体も砂埃を被っていた。さすがに便槽を覗き込もうなんて悪趣味な考えは起きなかった。
(実際覗いていないし写真も当然撮っていない)
周囲は場所によっては背丈近くまで雑草が伸び、低木も進出を始めている。廃屋自体も現在では僅少で、残骸も殆ど見られない。
長生の炭住はどれも木造一戸建てで、コンクリート製の遺構はあまり見られない。それだけに現役使用されてもおかしくないトイレの存在が奇特に映った。
このトイレは意外に新しいものではないかと思う。建築ブロックだから綻びが出にくい面はあるものの、便器は昭和中期以降のものに思える。現在ではこのような和式自体少なくなったが、昭和期から使われている公共施設のトイレは依然として和式が主流である。
推測するに、まだ炭住の居住者がそれなりにあった頃に造られた公園に付属していた公衆トイレではなかろうか。児童公園などに付属する現役のトイレで同程度のものは市内でも観察される。
しかしその当てずっぽうが仮に正解だったとしても、周囲にあった諸々のモノが撤去されていながら、何故にトイレだけ壊されることなく遺されたのかは謎である。
この謎は究明するに値しない。闇の中へ葬り去られるままに捨て置かれることになるだろう。
《 新江頭橋 》
現地踏査日:2014/5/4
記事公開日:2014/5/9
本路線の終点を前にして江頭川を渡る。記事公開日:2014/5/9
写真は起点側から撮影した様子。
橋の前後はフラットで欄干も一般的なポールタイプなので、特に目立つ橋ではない。車で通りすぎるのも一瞬である。
この辺りの江頭川は既に殆ど海の一部であり、潮が遡行する。
右岸側に江頭川のプレート。
もろに海の潮を浴びるせいか欄干や取り付け金具は既に錆びていた。
左岸側に平かなで「しんえがしらはし」となっていた。
(江頭川に沿う下の道は市道江頭漁港線…昔の護岸沿いの道である)
下流側の左岸は既に海である。
ここに竣工年月を示す昭和62年2月のプレートが設置されている。
下流側の右岸。
新江頭橋という漢字表記プレートである。江頭橋は国道190号が江頭川を渡る橋として命名されている。
橋の外側から亀浦方面を撮影している。
長生炭鉱の著名な遺構であるピーアが見えている。
終点側から撮影。
本路線の終点は、新江頭橋を渡った先の旧護岸端点となっている。そのため新江頭橋は本路線で唯一の川を渡る橋になる。