島地区の生活道

生活道・その他の道インデックスに戻る

記事作成日:2013/10/17
記事編集日:2022/2/23
ここでは、島地区にある生活道の総括について記述する。小串土地区画整理事業(以下「区画整理事業」と略記)以前から存在し、今も少しずつ変化し続けている昔ながらの里道を記録することが主眼なので、同地区にある認定市道や区画整理事業により変化してしまった里道については除外している。
《 概要 》
市内の新川地区にある島(しま)は島1〜3丁目から構成される。平成後期まで連綿と続けられてきた区画整理事業以前で島を含めた周辺地域の複雑な路地や狭い県道、入り組んだ敷地が整理された。これに伴い古い地名(唐戸、内堀など)が喪われ東小串や西小串が冠せられた新しい町名に置き換わった。この中で島1〜2丁目に相当する区域は渡邊祐策翁の生家である松巖園や旧市立図書館といった価値ある郷土資産が豊富であり、またこの区域は蛇紋岩に覆われた高台ということもあって区画整理事業から取り残されていた。

このことにより今でも区域の道は狭く車の往来が非常に困難である半面、他の地区では既に喪われた数百年前からある昔ながらの路地や当時の郷士の敷地跡などがよく遺っている。島3丁目は全領域が区画整理事業によって改変されているため昔のものは殆ど何も遺っていない。

この記事を制作する2014年始め頃に島地区北側の一角に開発の手が入り、一部の生活道路が喪われた。この流れがただちに島地区全域に波及するとは思われないが、昨日まで普通に鑑賞できた路地が明日以降も形を変えず在り続ける保証はない。以下の記事は、今の時点で観測できる島の生活道路全般を映像と共に記事化し後世に伝えることを主眼とするものである。

島地区への入口という明確なものは存在しないが、島地区へ向かう登り坂の始まる市道島2号線との交点がもっとも相応しいように思える。
この入口位置をポイントした地図を掲載する。


この十字路には新川七区自治会の住居案内図が設置されており、記事作成日現在における居住者や地図には掲載されない微細な通路も表記されている。拡大対象画像です。
画像にマウスをかざすと拡大、ダブルクリックで最大化します。
クリックすれば元のサイズに戻ります。


ここより北上する市道島線は車同士の離合が限られた場所でしか行えない狭い道なのだが、それでも四輪を通さない道が殆どの生活道路からすれば、メインの道と言える。この先の地域は市道が概ね1丁目と2丁目の境になっており、それぞれの生活道も市道から直接分岐するものが多い。そこで市道で分けられた1丁目と2丁目についてそれぞれマップを作成し、生活道を特定するために主要地点に記号を割り振った。
なお、以下のマップに記載されている記号などの意味については以下を参照されたい。
派生記事: 生活道・その他の道|記述法
島1丁目
島1丁目地区相当において当サイトで掲載している生活道のマップ。
マップのGeoJSONデータは こちら


通行可能な里道のない市道図書館線より南側は省略している。マップの赤線は認定市道をあらわし、黄色が里道である。橙色の実線は地理院地図に記載がないものの通行可能な里道であり、破線は里道ではないかも知れない経路である。
島2丁目
島2丁目の生活道。
マップのGeoJSONデータは こちら


既に公開している笹山町(恩田小学校)の生活道には経路ごとに名称を与えているし、いずれ公開を予定している恩田町の記事では特定の経路に恣意的な命名を行っている。しかし島地区の生活道に対しては呼称を設けず、地図に記号を付与した上で連続的に掲載している。
命名なしのこの掲載方式は些か味気ないかも知れないが、特定の路地が私の生活に関わっていたわけではないこと、一連の情報を求める方はすべての路地の記事を連続的にお読みになると想定されるための掲載方式である。もし個別の路地に昔からの固有名が与えられているなら、路地の名称記載を優先し記号による分類から書き換えるのでお知らせいただきたい。

《 近年の変化 》
1丁目ではこの総括記事が作成された2013年までにはS〜TおよびF〜Tに面する区画の民家は解体されていた。その後造成が始まり2015年までにはすべての区画に新しい家が建っている。これに伴い元から殆ど通る人のなかったS〜T区間は恐らく赤線相当の幅のみ残され道としての機能をほぼ喪失している。

2丁目ではB〜C〜Eの里道で囲まれる敷地も既に民家がなかったが、2016年中に新築工事が始まり年末までに民家ができている。周囲の里道は通行可能だが里道沿いの景観は大きく異なっている。(2016/12/27)
島という地名の由来について。
派生記事: 島について
出典および編集追記:

1.

ホームに戻る