本山岬

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記事公開日:2014/11/15
本山(もとやま)岬は山陽小野田市の最南端にある岬である。
写真は岬西側からの撮影。


広域の位置図を示す。


現在のところWikipediaにはまだ本山岬の項目がないので、以下に概要を記述する。

上記の地図でも示される通り、本山岬は南へ大きく出張った岬であり、これに次いで東側にある自然由来の岬は宇部市の黒崎になる。陸地全体から言えば宇部岬近辺の方が南へ突き出ているが、後年の埋め立てによるものであり自然由来の南限が何処か不明瞭になっている。更に宇部市から山陽小野田市にかけて南に面するこの地域は東沖、西沖地区に代表されるような埋め立てにより生じた領域なので、海沿いはコンクリート護岸に固められ工場が並び殆ど自然の砂浜が存在しない。本山岬はこのエリアの西側にあって厚東川右岸河口部にある竹の小島に次いで初めて自然の地勢が現れる場所である。

岬には神社があり、突端部には本山岬公園が整備されている。


ただし岬では伸びすぎた樹木が眺めを遮り、東側に興産大橋を眺められる程度で広角度に水平線を眺められる以外景観的な魅力はそれほどない。公園についての詳細は以下の記事を参照。
派生記事: 本山岬公園
本山岬の最大の特徴は、波により削られ露出した礫岩層である。海辺の低い場所は露岩が目立つが、陸地側は礫岩の絶壁となっており、日々押し寄せる波で現在も少しずつ削られている。
礫岩層は河川由来のような丸い石が目立ち、それらが固着したようなさざれ石状の外観になっている。


この地勢は遙か昔、まだユーラシア大陸と繋がっていた時代に広大な河川ないしは海水に洗われて丸い礫となった石が地殻変動により陸地化してできたものと考えられている。[1]類似する地形としては市内では松崎や厚南の原あたりで観測されているが、ごく近い竹の小島は蛇紋岩が主体である。同時代の地殻変動で古代に育っていた樹木が埋没し、経年変化で浅い位置に堆積したものが宇部および小野田地域の発展の原動力にもなった石炭である。そして本山岬は沿岸部を東へ辿ったとき石炭の産出する海岸の東の端に相当する。

本山岬特有のこういった地勢を観察するには浜辺まで降りる必要がある。公園の横から岬の東側へ降りる小道があり、釣り客によく利用されている。岬の西側へ降りるには公園から若干離れた道があるが、近年の太陽光発電所建設により浜辺へ降りる道が分断され容易に通れなくなってしまった。(後述する)

波が強く打ち付ける岬突端の下部は侵食が著しく、土質の柔らかな部分から削られいくつもの洞穴が形成されている。深いものでは5m以上の奥行きがある。


遙か昔にできた洞穴には海水が及ばない高い位置のものもあり、昭和中後期あたりまでは自然の洞穴を利用した居住者もあったという。[2]

特に薄い部分では洞穴が貫通して洞門状態になっている部分がいくつもある。
それらの一部は実際に通り抜け可能である。


岬の突端の一部は波に削られて本土から切り離された離れ小島状態として存在する。
満潮時には完全な島となる。周囲はすべて崖で登攀は不可能。


また、この小島と周辺の露岩により岬の東西を往来するには海水位が充分低い時間帯に限られる。
波に削られて現れた礫質層は充分に厚く、崖の上部は水没することがないので常時観察は可能である。しかし地層観察を主な目的として訪れるには潮見表で干潮の時間帯を調べておいた方が良い。
《 本山岬の東側 》
岬の東側は自然の景観と工業地帯が入り交じった様相を呈している。即ち岬のすぐ東側が西部石油の工場敷地に隣接しておりコンクリート護岸に固められている。本山岬公園の横から海辺へ降りる階段があり、下っていくとすぐコンクリート護岸が見えてくる。


階段を降りて右側が岬の崖になる。地層の変化がより明瞭に現れているのは東側だが、観察位置に対して崖が西に位置しているため午後訪れると逆光になって写真が撮りづらいことは注意を要する。


公園横から降りられるため道が分かりやすく歩く距離も短い。地層の観察を主体にした学校関係の野外授業では専らこちら側から観察されることが多い。

コンクリート護岸側は工場敷地に隣接していて景観として観るべきものはないが、釣りスポットとして好適らしく訪れる人は結構ある。
消波ブロックの間から海に向かって伸びるパイプは、沖合に停泊した石油タンカーから西部石油山口製油所まで送油する専用管である。


この送油管は遙か沖合まで伸びており停泊所は視認できないくらい遠い。本山岬から西沖周辺までは遠浅であり大型タンカーが接岸できる場所がないのでこのような形式になっている。タンカーの接岸しない石油精製基地は全国でも珍しいとされる。
《 本山岬の西側 》
岬の西側も埋立地の護岸と自然の崖が混じった景観を呈している。しかし観察可能な範囲が東側に比べてかなり広く、崖のすぐ下まで砂浜が続いているため観察は容易である。最大のメリットは、午後訪れたとき順光となるため潮位と天候さえ恵まれれば誰でも容易に秀麗な写真を撮ることが可能である。

岬の東側は本山岬公園の横から海辺へ降りられるのに対し、西側へ降りるにはその手前の市道から分岐する地区道をたどる必要がある。公園や神社敷地は崖地なので海辺へ降りる道はない。

地図ではこの場所を経由する。


地図では表記されていないがここから西海岸部へ降りる踏み跡がある。上記ポイント地点には車止めが設置されていて先へは進めない。また、ここから北東へ向かう直線路部分は私道かも知れない。
しばしば釣り関連の先客の車で塞がっている

この道を経て海岸へ到達する途中、右側の笹藪の奥に炭坑時代のレンガ積みの遺構が眠っている。
春先は草木に包まれるため注意していないと見落としてしまう


一見炭鉱の竪坑のように思われるが、これは当時の炭鉱構内に必要な電力を賄うための発電建屋の一部だったと考えられている。[3]現地は酷く藪化している上に塔の近辺は急斜面となっているため接近は危険。
移植公開記事: 藪に埋もれる謎のレンガ塔
崖の下へ到達するには数百メートル歩かなければならないが、午後から訪れる場合には岬の西側エリアをお勧めする。充分に潮位が低ければそのまま東側へ回り込むことができる。

本山岬の東側は十数メートルもの垂直壁となっている。
本山岬公園のすぐ外側がこのような状態なので、危険防止のため園内には擬木コンクリートの柵が二重になっている。
写真でも崖の上部端に公園の柵が見えている


西側海岸は宇部興産(株)所有の埋立地に隣接している。(次項で述べる
《 本山岬の西側護岸 》
本山岬の突端より東側近くは自然の砂浜になっているが、更に西側はきららビーチに至るまでの間は独特な形状をしたコンクリート護岸および石積みである。
写真は本山岬西側の端でコンクリート護岸開始部から撮影している


この護岸は埋め立てにより昭和中後期に造られたもので、宇部興産(株)の社有地となっている。埋立地は本山岬側からは農道状の小道が続いていてかつては柵など存在せず容易に進攻できていた。この他に民家の横を通って埋立地内を経由する道が存在するようだが、近年まったく往来がなく安全に通行できる保証がない。
ただしJR小野田線本山駅側にある通用門には立入禁止の札が明示されている[4]

埋立地自体には特に見るべきものはないが、護岸下の砂浜は大量の石炭屑が打ち上げられ黒い海岸となっている。当時採掘されていた石炭のこぼれ出たものと考えられる。


充分に長期間波で現れ続けているため大きな石炭塊はなくどれも河原の石のように角が取れている。
相当な高温に晒されなければ恐らく燃えないだろう

また、西側には炭坑時代と思われる桟橋やトロッコの残骸が知られている。


岬の景観からは離れるが、この海岸は炭坑時代の遺構を調べる上で重要なエリアである。この方面の探索も干潮時に限定される。
《 アクセス 》
宇部方面からの場合、県道妻崎開作小野田線を進み、浜河内緑地公園前の小さな峠を越えて下った先の東須恵交差点を左折する。


山陽小野田市道本山線を進むとバスの転回場が見えてくる。そこにも案内板が出ているので、地区道を更に進む。神社の手前に十台程度停められる駐車場がある。岬への来訪者は少ないが、営業車の昼食タイムや時間調整スポットとして利用されているらしく常時数台は車が停まっている。
県道から岬までの市道はバス路線に設定されているので船鉄バスで本山岬行きを利用することもできる。

本山岬の西側へ降りるには、市道を進んで本山バス停展開場の手前のコンクリート桝が見えるこの場所から海岸へ向かう未舗装道に入る。
この突き出た桝の正体は未だによく分からない


この道の突き当たり右折点手前に徒歩でのみ進攻可能な踏み跡がある。後述するように先の方は荒れている。
《 個人的関わり 》
恩田校区に住んでいた幼少期、地区子ども会イベントで本山岬と竜王山を訪れたのが最初である。

注意以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。

2016年の12月末、ある調べ事で本山方面を訪れた折に公園および東側海岸を調査しようとしたところ、かつての宇部興産(株)社有地である埋め立て地が太陽光発電所となっており海岸へ降りる道が分断され通れなくなっていることに気づいた。(2017/1/6)
幼少期以来初めて本山岬を訪れたときの全般的記事。
かつて地域SNSに公開されていた記事からコメントとリンクなどを取り除いて移植公開している。全4巻。
記事タイトルは地域SNS公開時の「本山岬の浜辺に遊ぶ」となっている
移植公開記事: 本山岬【1】

かつて地域SNSに公開されていた記事からコメントとリンクなどを取り除いて移植公開している。全3巻。
記事タイトルは地域SNS公開時の「本山岬の西海岸に見つけたもの」となっている
移植公開記事: 本山岬西海岸・第一次踏査【1】

2010年に実行された初回踏査から4年後、再度現地を精密に調査したときのレポート。全6巻。
一般公開記事: 本山岬西海岸・第二次踏査【1】
《 近年の変化 》
項目記述日:2017/1/7
岬東側にある宇部興産(株)の埋め立て地は長らく遊休地となっていたが、近年の電源開発の流れに沿って太陽光発電所となった。これに伴いソーラーパネルと変圧器などが設置されたエリアは柵で囲まれ立入禁止となっている。また、埋め立て地外周に設置された独特な護岸にもネズミ返し様の部材が設置され護岸上を歩けなくなった。
ただし潮が引いていれば岩場伝いに護岸の下を歩くことは可能と思われる


変圧器関連の機器はかつて岬の東側へ向かう道の上まで出っ張る形状に造られたため、海岸へ到達する手前で発電所エリアのフェンスで分断されている。


フェンスの外側は通路としての整備が行われておらず、海岸へ降りるには藪漕ぎ同然でフェンスの外を辿らなければならない。この不備のせいで東側海岸へ散歩する人が居なくなったからかレンガ塔から海岸まで向かう道はかき消された状態となっている。
以前は犬の散歩で海岸を歩く人の姿をよく見かけていた

海岸へ降りる踏み跡自体が元からの社有地を横切っていたのかも知れないが、数十年もの間公然と通行されていた経路を恣意的に分断し代替の小道も整備しないのは本山岬の海岸へ往来する見学者の意向を無視した遺憾な措置である。社有地に発電所を造ってフェンスで囲うのは当然としても、フェンスの外を迂回し誰もが海岸まで安全に往来できる通路を企業責任で整備すべきと考える。
この辺り地元住民への説明があったのかどうかも疑問
出典および編集追記:

1. 恩田ひまわり子ども会作成の児童向け配布プリントによる。昭和40年代後半作成のものなので現在は異なる学説が提示されているかも知れない。

2. かつて地域SNSに記事公開していたときの読者コメントによる。本山岬に限らず同様の居住形態は宇部市西岐波区新浦の黒崎近辺でも観測されている。

3. かつて地域SNSに記事公開していたときの読者コメントによる情報。塔の上部には滑車のような部材が遺っているため竪坑ではないかという意見もなおあるが、別アングルの写真では塔の内部から樹木が伸びている様子が確認されている。

4. かつて本山岬側からは埋め立て地を経由して徒歩で進攻可能だった。また、本山岬側以外にも埋め立て地へ降りる踏み跡がいくつもあったことが知られている。現在では埋め立て地のすべてがフェンスで囲障されソーラーパネルを並べた太陽光発電所となっているため埋め立て地への侵入はいっさい出来なくなっている。

5. このプリントが保存されていた理由は、当時母が子ども会の役員をしていてガリ版で刷った余剰分を持っていたからと考えられる。足りないのは困るので各家庭配布分よりかなり多く印刷していた。小学校の事務室でガリ版からの印刷作業を手伝った記憶がある。刷り残しの大半は中学3年生の高校受験期のとき、端に穴を空けてリングで留め計算用紙として消費した。しかし小学生時代の記録として残しておく必要性は当時から感じていたらしく、子ども会のクリスマスイベント案内などの何種類かのプリントも数枚ずつ残っている。

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