本山岬西海岸・第二次踏査【4】

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(「本山岬西海岸・第二次踏査【3】」の続き)

4年前、観察したいと思いながらも浜辺へ降りられる場所がなく護岸の上からズームで偵察するしかなかったその場所へ来ている。
数十本のコンクリート柱が同じ方向に倒れている。


コンクリート柱はどれも積み重なることなく奇妙なほど整った方向に横倒しになっていた。
見るからに古い。波頭が直接当たる末端部分は削られている。


これはかなり昔に設置された石炭積み出し用の桟橋か波止めの一部ではないかと思う。近くにはサイコロ型の石材も転がっていた。しかしこのコンクリート柱から元はどんな構造だったか想像するのは難しい。同じ方向に倒れていること、末端部に基礎コンクリートが付着していないことから、柱としてではなく桟橋の側面や上部に使われていたのではないだろうか。
昭和40年代後半による航空映像では海に向かって突き出る長さ100m以上の堤防のようなものが観察される。この辺りには数十本のコンクリート棒が波に洗われているが、沖合いに沈んでいる分もあるかも知れない。

ショルダーバッグにスケールを持参していたのでサイズを測った。ほぼ原型を保っていると思われるコンクリート棒で幅が25cmくらい長さが2.3m以上あった。
これは炭坑時代とは断定できないが昭和中期までのものであることはかなり確からしい。現代では海や河川のような公共の場に建設廃材を放置したままということはまず有り得ず、撤去して現状復旧が求められるからだ。

4年前に来たときは殆ど 岸壁の真下にトロッコらしき残骸が見えていた。岸壁からズームで数枚撮影しただけなのでデータは少ない。今回浜辺に降りてここまで歩いてきたのもその詳細を調べたかったからだ。

しかし石積みの近くには何も見つからなかった。
それに最も近いものと言えば…コンクリート柱の近くに転がっているあれだろうか…


散らばったコンクリート柱の近くに車軸部分のようなものが見えていた。


確かにトロッコの車軸部分のようにも見える。しかし4年前に見たものとは全く異なっていた。
木製の台座部分はまったくない。それに車輪と考えるにはちょっと違和感があった。


横から撮影。
車軸は片方のみに付属しており、しかも貨車などに見られるものではなく歯車だ。


部材は重い鋼製で半分以上砂浜に埋もれているため引っ張り出そうにも微動だにしなかった。
似たものが他の場所には見当たらないことから、4年前に岸壁から見たトロッコの残骸と同一物だろう。[2]材木部分は完全に喪われていた。潮の干満は毎日のことだし海が荒れる日もある。4年も経って分解し流されてしまったのだろう。

変化と言えば、この周辺に乱立していた木製電柱みたいな杭は数が減っているような気がする。
砂が堆積したのか石積みの高さも低くなっているようだ。[1]


木柱は地中深く突き刺さっているのか少し傾いているだけだ。朽ちてボロボロというイメージはない。
近接画像はこちら


これは木製の桟橋の一部だったのだろうか。類似するものを見たことがなく正体が何かはちょっと想像つかない。

ここの石積みにも埋立地の排水穴らしきものを見つけた。ヒューム管と四角い暗渠になっている。


前回はこの真上から観察していたのだから当然暗渠の存在には気付かなかった。
埋立地が昭和40年代以降のものだから一連の構造物もそう古いものではない。しかし穴が有れば反応する野ウサギの習性上(?)覗き込んでしまう。

管渠の方は機能していないようで砂が詰まり閉塞していた。


その隣りにあるもう一つの四角い暗渠。
しゃがめば入っていけるサイズで先の方は見えない。何だか…そそられる。


ちょうど西日が差し込む角度だったので外からの光を頼りにある程度進攻できた。
ずっと奥の方まで続いている。遙か昔、テレビで見たトンカラリン[3]を思い浮かべた。


先の方は砂が溜まって天井が低くなっていた。奥の方は斜め上部に伸びる構造になっていて興味はあったが、中は向きを変えることができない狭さで脱出不能になってしまうほど追跡する本気度はなかったので程ほどにして引き返した。
一番奥まで行ってみて欲しかったとか?^^;

岸壁の近くにあった杭は殆どが短くなっていた。
4年前に来たときはもっと長かったような気がするのだが…[1]


杭が建ち並ぶ近くに海の方へ伸びるコンクリート堤防がある。
その先端が異様な形で破壊されている。4年前は怖い思いをして高い堤防の端まで歩いて上から観察したのだった。


この辺りはやや浜辺の傾斜があるせいか、干潮時を見計らって訪れたとは言ってもそれほど行動範囲が広がらない。先端部の海水上に現れた部分も前回訪問時とほぼ同じだった。
しかし今回は至近距離から観察できる強みがある。


護岸は基礎が現れる場所から先が失われている。
それにしても…この壊れ方は西海岸にある構造物ではトップクラスだ。


四角いコンクリート製の箱を2列に並べて中に栗石を詰め込んでいた。
基礎部分か護岸と一体化した下部構造かは分からない。


箱を寄せ集めたようなこの構造については4年前に記事を書いたとき、部材の軽量化ではないかという意見があった。ケーソン状の部材を造って海に沈め、中に現地調達した割石を詰め込むことで安定化させるのである。恐らく最後に全体を一体化させるように隙間部分をコンクリートで充填したのだろう。

経年変化からか、ケーソンの間の詰め物が流れて海水が直接入り込んでいた。
足元かなり下の方でジャバジャバと音がしている。あまり気持ちのいいものではない。


何十年も経っているものの筈だから足を掛けた途端ガラガラと石材が崩れるなんて心配は多分ないだろうが、なるべくケーソンの縁部分に足を掛けて歩いた。

西に向いて張り出した堤防なので逆光になり鮮明な画像にならない。
先端部分の部材は中込材が流出して空き箱状態になっていた。見かけが井戸のようでかなり怖い…危険なので進攻もここまでだ。


危険を冒して先端まで歩いたのも順光になる位置からこの堤防を撮影するためだった。
ご覧の通り、海に突き出た堤防の中ほどから倒壊しバラバラになっているのである。横倒しになった堤防の上部はそのまま放置されている。


初めて目にした4年前は衝撃的な風景だった。堤防や護岸の壊れた例はいくつか見かけるもののこれほど酷いものはなかったからだ。

(「本山岬西海岸・第二次踏査【5】」に続く)

出典および編集追記:

1. この体感は気のせいではない。4年前の写真と比べてこの辺りは砂が数十センチ堆積している。
海に突き出た堤防下のコンクリート管の現れ方で比較できる

2. 現地および執筆時はそう判断したもののこれは完全な誤りである。4年前のこの写真には今回見つけたのと同じ場所にこの部材が写っている。それとは別に石積みの下にトロッコの残骸が見つかっていた。
砂浜時代が数十センチ高くなっていること、当時は海へ突き出た堤防の下に転がっていたコンクリート柱がまったく見当たらないことから、砂に埋もれているか片付けられた可能性もある。

3.「Wikipedia - トンカラリン

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