本山岬西海岸・第二次踏査【6】

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(「本山岬西海岸・第二次踏査【5】」の続き)

自転車に乗って進んできた方の浜辺を眺めている。
元々は砂浜なのに間知石や礫石が転がる異様な光景だ。


元から岩場なら一面にデコボコと不定形に削られた岩が現れているものだろう。それが下地は砂なのにその上に様々な形の石や岩が散乱している。別の場所から持ち込まれたものが波で散らばったように思えるのだ。

さて、そろそろ帰ろう。日がかなり傾いてきた。


自転車を押して埋立地まで持ってあがり押し歩きする。
先ほど現地で眺めたものを4年前と同じように護岸の上から観察しつつ歩いた。


離れているとコンクリート柱と倒壊堤防の位置関係がよく分かるだろう。


コンクリート柱が同じパターンで倒れているだけでなく、その両側に直方体の石材が散乱していることに気付いた。
これがかつての桟橋だったとしたらどういう構造だったかのヒントを与えてくれるだろう。


4年前もこの上部が壊れている石積みのところで足を停めた。
このすぐ下にトロッコの残骸らしきものがあった筈なのだ。


実際は一面が砂地になっていて残骸らしきものはなかった。乱立していた木柱も数が減っている。たった4年のうちにこれだけ変化が起きるのなら、更に時間を遡って平成初期あたりだともっと当時の姿に近いものを遺していたことだろう。

ここで再び足が停まった。
あの倒壊堤防を近くで撮影したいために、恐怖を堪えてこの上を渡り歩いたのだった。


再びその地点に立ってみる。
心なしか当時ほどの恐怖心は感じなかった。堤防から下の砂浜までの高さが変わったような気がしたのである。[1]


当時の感覚を回想するのも兼ねて再びこの堤防上を歩いてみることにした。
歩き始めのところが大きく欠けて幅が狭くなっている。


心理的には当時ほどの恐怖心はなかった。経験を積んで慣れもあった筈だし、4年前に比べて風がそれほど強くなかったのも幸いした。
そうは言うものの海側へ近づくにつれて堤防は高くなっていく。先の方は砂浜から5m以上の高さがあるので流石にゾクゾクした。


堤防の端から撮影。
この先の断面部分は平坦な施工継ぎ目になっているのは先ほど下で確認した通りだ。


堤防の幅はおよそ30cm程度なので平均台歩きよりはずっと容易だ。ただし民家の屋根以上の高低差があるので落ちればいくら下が砂浜でもダメージを受けるだろう。

引き返すには当然身体を入れ替えなければならない。
さすがに立ったままでは無理だ…堤防の上でしゃがみ込んで向きを変えた。


恐怖心は感じながらも堤防の上から左右の浜辺を見下ろすショットを撮影するだけの余裕はあった。

ちょうどこの堤防の延長上に本山ドリーム体育館がある。
航空映像ではかつて体育館の辺りまで炭鉱の敷地だったようだ。


この体育館はかつて隣町バドクラブと合同でバドマラソンを行ったとき何度か利用したものだった。
現在も当時のメンバー何人かが活動しているようである

今まで乗ってきた道を振り返って撮影。
いつまで現在の荒野であり続けることだろう…昭和開作のように太陽光発電のパネルが並ぶときが来るのだろうか…
そうなればあの船出しの場所も接近できなくなるかも知れない


埋立地を脱出できる道は、4年前にもくぐったあの門扉しかないらしいことは分かっていた。
本山岬側から訪れれば立入禁止の表示は出ていないのでここまで来ることができる点に問題はないのだが…


県道に面して施錠された門扉がある。
門扉が塗装替えされた以外は4年前と殆ど何も変わっていなかった。


侵入拒絶度はそれほど高くない。歩いて来ているならくぐり抜けられる。
しかし今回は自転車押し歩きなので処遇に困った。


県道を行き交う車は比較的多い。歩道の通行者もあるし道路沿いには家も並んでいた。
しかしここまで来てしまった後でまさか門扉がこんなだからと本山岬まで引き返す判断はないだろう。

門扉の下は自転車を横倒し状態でくぐらせるだけの余裕があった。
こちら側からは掲示板の文字は見えない。もっともその内容は知っている以上こんな場所でもたもたしてはいられなかった。


自転車を横倒しにして門扉の下から押し出し、自分は柵の間をくぐって県道側へ出て自転車を引きずり出した。
門扉の立入禁止掲示は4年前と変わっていない。発見次第警察に通報しますの穏やかでない掲示もそのままだ。


既に見てきたように本山岬西海岸の興味深い遺構群は埋立地のこちら側に近い場所に集中している。それにも関わらず今回も本山岬側から進攻したのは(もちろんレンガ塔を撮影するという目的もあったのだが)この立入禁止掲示を回避するためだった。本山岬側からなら柵も掲示もまったくあく安泰に進攻できる。
この門扉に厳しい掲示を出しているのは県道に面した社有地という場所柄、不法投棄に入り込む車両を排除するためだろう。現地には沼地があり幼児や学童が入り込むのも危険だが、もしそうなら子ども向けに警察云々の掲示は出さないものだし、そもそも子どもなら易々とくぐって入れるこんな仕様の門扉ではまったく不十分だ。

踏査においては立入禁止の掲示が出ているなら、たとえ物理的な障壁がなくとも原則としてそこから進攻しないことに決めている。「日本語が読めないのか」の誹りを受けたくないからであって、その先にある遺構調査の重要性と立入禁止の訴求性が低い場合はやむなく進攻する場合もある。[2]看板は社有地である埋立地への不法投棄を対象にするものであって、埋立地を通って公共の場である砂浜へ出て現地の遺構を踏査するなどは看板が想定していない進攻目的であろう。
一連の記事を読んで現地へ行ってみようという読者は殆ど居られまいが、その場合もここからではなく本山岬西側から進攻することをお勧めしておこう。

さて、本件は第一次踏査記事でも言及したように、編集過程で当時の判断の疑義に気付き詳しい現地の追加情報を得るために行った踏査である。時期を替えて現地を再訪してもこれ以上の新たな情報は得られないので、第三次踏査は当面考えていない。詳細な調査は私が着手しなくとも近場の同志メンバーがこなしてくれることだろう。

現地で採取し持ち帰った石炭屑と思われる欠片の一つ。
遙か昔からこの黒々とした石を採取する営みがこの地で続けられていたのだった。


現代も石炭需要がなくなったわけではない。なくなるどころか火力発電向けに現在も海外から輸入している。石炭自体は今なお私たちの足元の宇部および小野田沖に眠っている。現代において採算ベースに乗るほどの埋蔵量がないから捨て置かれているに過ぎない。
私たちの日常生活においても石炭の出番はもはや殆どない。風呂の焚き付けでは多くの家庭で新聞紙や広告を火だねに型枠廃材や山から採ってきた木切れを燃やし、最後に石炭を投入した。石炭は熾となって長く熱を発し続け、風呂の湯冷め防止に大変役立つ有能な燃料だった。もし小学生の私がこの浜辺に出くわしていたなら、燃料代が助かるとばかりに嬉々として石炭屑を袋詰めして持ち帰っていただろう。
マトモに燃えるものかどうかは別として

今やこんな黒い石を拾って持ち帰るのはその筋の研究者か私の如き奇特な探索者くらいのものである。
私たちの足元にあるかつての鉱業資源が何かの拍子で再び見直され、熱心に採取される時代が来ることがあるだろうか…黒々とした石炭屑に埋まった特異な浜辺を眺めて思われたのだった。
出典および編集追記:

1. 前述の通り砂が数十センチ堆積しているせいで堤防から下が低くなっている。

2. たとえば市道東汐土手線起点の先、藤曲浦漁業協同組合の敷地内にある昭和開作記念碑など。

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