門前橋

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現地踏査日:2013/2/15
記事公開日:2013/2/21
門前(もんぜん)橋は、かつて中山川の上流に架かっていたと思われる石橋である。
位置図を示そう。


この地図で示される通り、県道琴芝際波線の中山観音バス停付近である。
詳細は県道記事の折りに言及するが、かつてここから東へ向かう道(市道高嶺中山線)はなく、県道はこの場所で大きくカーブしていた。

なお、門前という地名は東岐波にもあり、同名の橋が存在するかも知れない。その場合は該当する橋を記事化するときに双方を区別するためのリダイレクトを作成する。

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中山観音バス停から県道方向を撮影している。
写真で言えば県道は直進と右折で、左折側が市道高嶺中山線になる。


バス停サインのすぐ背後が中山川である。
その袂に古い石材が放置されていた。


中山観音バス停は県道を自転車で走破したとき立ち寄った。この他にも常盤用水路の中山バック呑口や馬の背堤に向かう拠点にもなる重要な場所で、車も含めて複数回訪れている。最近では常盤用水路の中山川排水竪坑の位置を同定する際にこの近辺を入念に踏査していた。
しかしこの石材については今まで注意して観察していなかった。

ある程度近づいて観察していて、これは橋の部材ではないか…という想像が働いたのである。


現在では中山川と言ってもこの場所ではただのコンクリート水路である。中山川はボックスカルバートに置き換えられている。
しかし周辺に置かれている上部が湾曲している部材は、橋の本体のように思われた。


傍に転がっている四角柱状の石材を観察してみると…
やはりそうだった。


門前橋という文字が見える。親柱だったのだ。


すぐ横に置かれているもう一つの石材は、上になっている部分には何も陰刻されていなかった。
言うまでもなく石材は非常に重く、微動だにしない。持ち上げて裏側を確認するには至らなかった。


ボックスカルバートの下流側を観察してみたが、そこには石材はまったく置かれていなかった。


県管理の限界を示す標識柱がボックスカルバートの下流側に設置されていた。


片側の親柱のみ確認できる状態だが、ボックスカルバートに置き換えられる以前の石橋に使われていたものと断定できる。一体、いつ頃に架けられた橋なのだろうか…

昭和49年度の国土画像情報閲覧システムで過去の映像を確認できる。
「国土画像情報閲覧システム - 常盤池西部(昭和49年度)の航空映像」
http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CCG-74-12&PCN=C20&IDX=14
別ウィンドウで開いたページ右上にある400dpiのリンクをクリックすると高解像度の画像が表示される
航空映像では当然ながらまだ中山と高嶺を連絡する道が存在せず、県道は中山観音の前で大きく曲がっていた。その過程で確かに中山川を横切っている。
当時既に県道は舗装されていたようで、県道が内回りしているために親柱は離れた場所にあったようだ。

うち棄てられている訳ではないが、恐らく中山観音への参拝用出入口をボックスカルバートに置き換えたとき、親柱を産廃処理するのも畏れ多いと現地へ放置されているのだろう。


一部の石材をボックスカルバートの縁へ置いているのは、通行する車の脱輪防止目的と思われる。

門前はこの近辺の小字である。かつては庶民が集う中心地だった時代もあるわけで、当時を今に伝える歴史の証人としてもう少し良い形で遺す方法があるように思うのだが、如何だろうか…

もう一つの親柱から架橋年月などが確認できたなら、本記事に追加の写真を載せることにしよう。

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