パルセンター宇部は西平原4丁目にある体育関連の複合施設で、一般には
パルセンターと呼ばれている。
写真は正面付近からの全体像。
位置図を示す。
パルセンターは勤労者の福祉の充実と勤労意欲の向上を目的に建設されている。ただし勤労者に限定されず一般の利用が可能で、現在は指定管理者(市体育協会グループ)によって管理されている。バドミントンや球技ができるアリーナをはじめ、説明会やワークショップなどが行える会議室を備えている。
[1]利用可能な種目や使用申し込み方法などについては同サイトを参照されたい。
隣接する
労働会館は、かつて松山町一丁目に存在していたものの移転である。開作地の有効利用ということで同時期に建てられたのかも知れない。相互の直接の関連はないと思われるが、パルセンターの会議室とアリーナ利用が重なったときは駐車場が手狭になり、その折りには労働会館側の駐車スペースに停めても良いことになっている。
(
労働会館入り口のフェンスにパルセンター駐車場の札が出ている)
《 内部の様子 》
| この項目は写真未採取のため編集追記待ち状態です。 |
《 アクセス 》
市街地から向かう場合、国道190号厚東川バイパスを進むと厚東川に差し掛かる手前で左へ降りるランプと案内板を見る。
ここを降りてすぐ左折し中央分離帯のある幅広な
市道昭和開作岩鼻線を進むと、右折にパルセンター宇部を案内する標示板が出ている。
玄関付近の様子。
入口に海抜サインが設置されている。
海抜サインは1.4mを示していて、これは最初にこの種のサインを設置し始めたNPO法人「うべ未来100プロジェクト」によるものとしては現在知られている限りでもっとも標高の低い数値を提示している。
[2]
(
海抜サインのズーム画像はこちら)
これほどの絶対高度なので、広いアリーナを備えていながら地震や津波などの避難場所としては案内されていない。この周辺は最初期は遠浅の海であり、居能開作として陸地化された立地である。体育館以前は一面に田であった。
体育館の周囲には現在も耕作されている田が広がる。
このため夏場など、練習を終えて更衣室で着替えていると、開いた窓からカエルの鳴き声が聞こえてくることもある。
《 関連記事リンク 》
FBページでの投稿。
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出典および編集追記:
1.「
宇部市|パルセンター宇部」
2. その後防災会や各自治会により設置された海抜サインの中には更に低い標高を示すもの(海抜0.5mなど)が存在する。
3. 現在では男子シャワー室には「洗髪禁止」の貼り紙が出ている。ただし温水シャワー自体は従来通り無料で利用可能。
《 個人的関わり 》
かつて自前で運営していたバドミントンクラブ
「常盤屋」の活動本拠地であった。以下もそのことを中心的に記述している。
| 以下には長文に及ぶ個人的関わりが記述されています。レイアウト保持のため既定で非表示にしています。お読みいただくには「閲覧する」ボタンを押してください。 |
パルセンターの設立時期について正確なことは分からないが、昭和60年代以降だったと思う。平原方面に新しい体育館ができたという話を聞いたとき、周囲の反応は必ずしも芳しくはなかった。市街地から離れていて車でなければ行けない立地のため、初期にはあんな離れた場所に体育館を造って利用者があるのだろうかという声もあった。
【 常盤屋時代 】
勤労者対象のバドミントン教室で一通りのスキルを身につけた後、自由に試合を愉しみたいという声が高まった。初期は最寄りの校区にある小中学校の体育館を借りて行っていたものだが、校区在住者が最低一人は居ないと借りられないなどの制約があるため、一般向けに使える体育館を探していた。この過程で市内にいくつかある体育館でコート予約の空きを探し、やや市街地から離れるもののパルセンターが最も予約を入れやすく使用料も妥当なことが判明した。
教室の舞台ともなった島の勤労者体育館は市街地に近く交通の便が良いため人気が高く、予約が殆ど取れなかった。少なくとも当時は土日の夕刻のようなゴールデンタイムは殆ど常連クラブで占められていて新規参入できる余地が無かった。パルセンターもなかなか予約が取りづらかったが、メンバーの希望と擦り合わせることで日曜日の午後1〜5時の枠に入るようになり、やがて常連組となった。
車で来た場合、パルセンターは市街地からだと帰りに国道190号へ出る道路が変則的で不便だった。他方、厚南方面からの往来は国道スロープが整備されて比較的容易だった。市街部から離れている件は、メンバーの誰もが二輪もしくは車で訪れるためかさほど問題にはならなかった。
勤労者体育館と同様、パルセンターも夏季はアリーナがとてつもなく暑くなった。試合の合間には側面のドアを開けて空気を入れ換えていたし、特に暑い日には自前のサーバーへ冷えた麦茶を作って持参していた。
暑いながらも他の体育館よりも優れている点として、ロビーに冷水機が備わっていること、シャワー室を無料で使える点が挙げられる。特に終了後汗びっしょりになっているときは、男子更衣室に2つあるシャワー室はすぐ満室になった。無料であるだけでなく温度調節可能なシャワーが使えた。汗まみれで車に乗るのが憚られたが故に、かならずシャワーを浴びていた。やがて石けんも持参して身体や髪も洗っていた。
[3]
訳あって常盤屋の運営から手を引き、クラブを解散宣言したのもこの体育館である。その段階では最後までクラブへ参加し続けていたのは常盤小メンバーのごく一部であった。
【 クラブ解散後 】
常盤屋を解散させた後、暫くバドミントン活動を市外のクラブに限定し活動を縮小させていた。毎週パルで常盤屋を運営していた時間を自身のものとし、新しくできた余剰時間を使って現在行っているような自転車による探索活動を始めている。こうして野山から市内のクラブへ行くことはまったくなくなった。
市街地のアパートへ引っ越してからいつだったかは不明だが、土曜日にパルセンターで開催されるクラブへ顔出しするようになった。そこには当時の常盤屋メンバーも若干居たが、殆どは知らないメンバーだった。夏場は汗まみれになるので以前のように温水シャワーを利用したが、特にアパートでは熱源がプロパンでガス代が高くつくため、このクラブで汗をかいた後にシャワー室で温水を浴びつつ髪や身体も洗って帰宅していた。
[3]ただし時間帯が土曜日の午後で埴生と重なるため、最終的には遠いながらも埴生クラブへ行くようになり足が遠のいている。
バドミントン以外では、自転車による題材探しで西の方へ走ったときたまに給水やトイレ休憩の目的で立ち寄ることがある。そして館内へ入ったときにはかならずアリーナを覗き、誰か知ったメンバーがバドミントンをしていないか眺めている。日曜日の午後はバドミントンをしているグループが若干あるようだが顔見知りは居ない。
【 最近の状況 】
2018年度チャレンジデーが行われた5月30日、午後5時終了後に
防長スイミングサークルへ居合わせたメンバーの所属するクラブがパルセンターで午後7時までやっていると聞いて、ラケット一本持って参加している。午後7時から同じ防長スイミングサークルで定例クラブが開催されるので、空いた時間を有効活用するためだった。防長スイミングサークルで一緒に活動したメンバー以外には誰とも面識がなく、まったく見ず知らずのクラブへ飛び込んで活動する久し振りの事例となった。
最近では常盤小クラブの熱心なメンバーがコートの空き具合を調べてバドミントンの予約を入れている。頻度はそれほど高くはないがパルセンターでも既に数回活動している。
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