回避している語法

筆記インデックスに戻る

記事作成日:2017/10/13
最終編集日:2024/8/16
文章は正確性を旨と為すものであるが、それだけで足りるものではない。日本語を読みこなす多くの現代人に対してなるべく平易で美しくリズム良いものであることが必要と考えている。この観点から一般には許容範囲とみなされているものの個人的な理由も含めて意識して避けている表現系を挙げる。なお、以下のルールは記述のみならず話術でも通用する。
《 安直で浅い表現 》
以下は現代社会で比較的受け入れられており、致命的な誤りとは考えられていない。特にマスメディアは好んで多用する傾向にある。しかし個人的にはこれらを注意深く避けて別の言葉で表現する。
△「凄い美味しいですね。」
×「贅沢ランチが最高過ぎる」

これを「凄く美味しい」にしても幾分軽減されるだけで本質的に同じである。殊に話す場合では顕著で、この場合「何がどう美味しい」のかを別の言葉で表現しなければ伝わらない。「凄い〜」は多用すればするほど「凄くなくなって」しまう。丹精込めて作ったコース料理を食べるお客からの言葉が毎回「すごく美味しいです」だけだったら、シェフは顔で笑っていても内心がっかりするだろう。

「〜過ぎる」は、今やマスメディアがニュース記事で当たり前のように使っている。如何にも浅はかで徒に煽る意図しか感じられない。現代社会は未だこの表現を適正と認めていない。勝手にマスメディアが多用し一般人に追認を求めている愚かな表現である。この表現は個人的には誤用であり、追放されるべきという非難を込めて×の評価としている。
《 英文直訳調が強い表現 》
現代の教育システムでは、小学校より英単語に馴染ませ中学校から文法を教えている。単語や英語の構文、そして訳出の教育がそのまま作文技巧へ影を落とす事例がある。それ自体は一つの文化移転であり誤りとは言えないのだが、些か過剰になると冒頭にも述べたような「日本人による作文らしさ」が色褪せる。
△「靴下を履くには私にとってあまりにも小さすぎた」
○「靴下が小さくて私には履けなかった」
これは、中学校の基礎英語でかならず教えられる too 〜 to 原形動詞 の直訳調である。英語のテストではこの構文を正しく理解していることを明示するために「〜するにはあまりにも…だ」と訳さなければ点がもらえないかも知れない。しかし一般の作文技巧では多用すると効果的どころかむしろ野暮ったい表現に写る。pay が「払う」で日本語と合致するがために pay attention は殆ど間違いなく「注意を払う」と訳出される。しかし一般には単に「注意する」で事足りることが殆どである。[b1]積極的に置き換える程のものではないが、あまり多用すると持って回った表現という印象が強くなる。
《 過剰な敬語表現 》
これは記述ではなく話し言葉にみられがちな現象である。特に会合冒頭の挨拶言葉として用いられる以下のものが典型例である。
×「個人演説会を開催させていただきます」
○「個人演説会を開催します」
対象となるのは「〜させていただきます」の部分であるが、注意すべきはこの言い回し自体が完全な誤りというわけではない点である。例えば「敷地内を撮影させて頂けないでしょうか?」のような表現は、記述と口述共にまったく問題ない。本来実行することが難しかったり認められていなかったりするのを、相手の厚意によって許諾を得るような場合はへりくだった言い回しをするのが自然である。

ところが冒頭の例のように、相手に許諾を求めることが前提となっていない自分の行為について用いられることが目立つ。行政による説明会の冒頭挨拶で顕著であり、近年では民間主催の司会挨拶でも多用されている。元来のへりくだった謙譲的意味合いはまったくなく、単に格式高さや重々しさを表現する手段として使われている。個人的は用例の誤りと認識している。[b2]

用いられる場面に依存する表現であり、語法自体の誤りではないので当サイトの記述でも同種の表現が含まれ得る。敬語表現として「〜です」と書けば済むところを敢えて「〜であります」と書いている部分がある。これは語調の持つ雰囲気を表現するための意図的な選択であり、普通の場面で用いることはない。意図されているのは書籍からの引用や格式張った空気、ときには故意に丁寧な表現を用いることによる皮肉や軽蔑が込められている。
出典および編集追記:

b1.「注意する」だけだと「意識を置いておく」という義と「制止する」の2つの意味に解釈されるという意見があるかも知れない。しかしこの両義の区別は殆どの場合前後の文脈から判断可能である。

b2. 何故誤りと判断するかは「FBタイムライン|『〜させていただきます』は時代遅れの似非敬語」でシェア論述している。

トップに戻る