テールランプの別れ





もう何年前のことだろうか
今さらなんて思った恋というものが始まったのは
毎日顔を合わせてたし
「おはよう」「ご苦労さま」なんて言ってみたり
そんなのあまりにも当たり前すぎて
まさかこれが恋になるなんて
多分僕じゃなくても思いつかなかっただろう




不思議に僕たち似通っていたよね
お互い離れた場所で生まれ
違う環境で育った
それでいて
人の輪に入って行けず
友達も少なく
言いたいことも言えず
多くの悩みを抱えているってのに話す人も居ない…
だからこそきっと
惹かれ合う何かがあったんだろうね






待ったなしの恋が始まった。






いつでも逢いたかったし
いつまでも一緒に居たい
それは恋する誰もが感じることで
僕たちだって同じことだった
だけど
悲しいほどに違っていることがあった
僕はいつだって暇
けれども君はいつも時間に追われていた
時間だけでなく
他の何かにも常に追われているようだった
ふとした会話の切れ間を境に
君は時計を気にしながら
僕に謝るように言ってたものだった
「ごめん。もうそろそろ行かなくちゃいけない…」




一緒に居たい気持ちが強まるほど
僕には君の言葉がナイフのように胸に突き刺さった
どこに行くの?
誰と逢うの?
今という大事なときを犠牲にして
君がすぐ車を走らせなくちゃいけない場所って何処?
それは…
訊いちゃイケナイことだって感じてはいたけど
君の会話の隙間からうすうす読みとれることではあったけれど…






まさか君のお父さんが
そんなに難しい名前の病に冒され
家から遠い病院で寝たきりになっていたなんて。






あれは僕たちが出会って
見つめ合うようになった夏の終わりのことだったよね
覚えているだろうか
何日も逢えない日が続き
携帯さえ暫くつながらなかったある日のこと
駆け出す心を抑えきれずに夜遅く携帯にかけたあの日のことを




「どこに居るの?」
「いつものところ。今から家に帰る。」
電話の向こうからは疲れがにじみ出た君の声があったね
だけど言いにくいから‥なんて考えはなかったんだ
「今から逢わないか?」
君の返事はすぐだった
「無理よ。こんなに遠いのに。」
「だから僕がそこまで車走らせるから。」
「そんな…。今から出たら疲れさせちゃうでしょう。私はいいけど…」
いつも一歩引いている君のことだから
本当の君の気持ちがどうかってこと位分かっていた
「この前ドライブした帰りに立ち寄った池があったよね。」
「うん。だけど…」
「君の帰り道だろう。そこで待ってるから。」
君の返事を待つ時間すら惜しくて
あり合わせの服着て僕は家を飛び出していた




国道の喧噪を離れ
地元の人しか通らないような狭い道のほとりに
その大きなため池があった
名前も知らず
恐らく名前なんて元からなくて
誰も待ち合わせ場所になんて考えも起こらないような
どこにでもある普通のため池だった
君は僕よりも先に路肩へ車を停め
エンジンをかけたままで待ってくれてたよね




言葉は要らなかった
街灯もない狭い道だったからお互いの表情も分からなかったけど
時間に追いまくられて
スケジュールを縫いながら
こうして同じ一つ場所に居ることができる…
それだけで十分過ぎるほどだった
池の上を渡って来る冷たい夜風を身体に受けても
抱き合えば心地よいそよ風にすら思えた




「じゃあ‥。おやすみ。」
別れのキスをして僕は車に乗り込んだ
アクセルを踏む間も僕の目は上の方に向いていた
ルームミラーに映るのは君のテールランプ
ため池の前の道が真っ直ぐだったことは
普通の人ならどうでもいいことなのに
僕の心に重くのしかかった
いつまでも消えない
小さくならない君のテールランプ




何故にこうなんだろう
ここまで気持ちを通じ合えてるのに
どうして
いつも一緒に居られないんだろう
逢いに行ってよかった
けれども行かなければ良かった
こんな余計に辛い気持ちになってしまう位なら…









久しぶりに君の電話の声が弾んでいた
君のお父さんが少しばかり快方に向かっているって
付き添いの人に頼める位になったから
今度の休みには一緒に出かけられるって
心底嬉しかった
そして
来るべきものの予感を覚えたんだ




木枯らし吹く寒い時期だったけど
そんなの僕たちには全然関係なかったよね
僕がそのことを君にどこで尋ねたか
どんな会話の弾みで言い出したのかも思い出せないけど
君の返事だけはよく覚えているよ
「ねえ。いつやら逢ったあのため池のこと覚えとる?」
「私が病院の帰りに待ち合わせた場所でしょう?」
そして僕が言いたいことそのままを言ったよね
「帰るときテールランプがルームミラーにずっと映っていた。」
「見てたんか?」
「見えるわよ。テールランプが視界から消えなくて。停まってるかと思ったの。」
「そうだろ。俺と同じこと思っとったんか。」
「停まってるんならUターンしようかなって思って…」
「なんだよ。そう思った位なら早くUターンして戻って来いよ。」




少しばかり生活(くらし)に余裕が出来て
同じ方向を見つめ合えるようになった
”愛とは二人がお互いに見つめ合うことではなくて
二人で同じ方向を見つめ合うことである”
そんな難しい誰かの言葉を借りなくたって
あの一番苦しいときを乗り越え
あの苦しかった出来事すら思い出に変えて
こうして二人で笑い合えたんだから
いつまでもこのままで…と思っていたよ








桜が咲く前の
まだ肌寒い季節だった
君がまた病院と家との往復生活に戻ったことは
いちいち訊かなくても解っていた
逢える回数は減ったけど
お互い心の奥底で信じ合うものがあったから
一抹の不安も感じていないつもりだったんだ




この時期にふさわしくもない早春の雷が
いきなり君を襲った
「いつもの公園で待っている。すぐ逢って。」
電話の声が違っていたから
鈍感な僕ですら気がついたよ
僕には祈ることしかできなかったんだけど
凡人の願いなんてものは所詮神様には通じないものらしい






「お父っちゃんが…。逝っちゃった…。」






君は一つの大事な心の拠り所を失った
そして僕は自分の無力さを知った
君が唯一無二の大事な支えを失ったことで
お互いの心の中から何かが揮発していったような気がした
もう病院に行かなくていい
忙しい仕事の合間を縫って
無理やり僕の逢いたいという我が儘を叶える時間を作らなくてもいい
いつでも逢える
逢いたいときにはいつだって逢える
だけど
僕がいつでも君の傍に居て
百万回愛していると囁こうと
飽きるまで抱き締め合っていようと
君の受けた
あまりにも過酷な永遠の別れという心の傷を
小さな僕が癒せる筈もなかった








「えっ?。何故?」
「あんなに仲良くしていたのに…」
噂好きの仲間たちは好き勝手なこと言ってたよ
だけど僕は一向に気にしなかった
「やっぱり一人が気楽だよ。ハハハ…」
もちろん
気にしない振りをしていたに過ぎないけど…
本当は今だって
いや昔からその気持ちに変わりはないけれど…
君には強く生きて欲しい
僕は…








そしてまた今年も夏の終わりがやって来た
たまたま仕事で足を運んだ行き先が同じだったという理由だけで
僕は何とはなしに思い出の地へ車を走らせていた




確かこのあたりだったと車を停めてみたところには
もう何も昔の面影は残されていなかった
僕たちが一緒に佇んでいた池のほとりに自然の堤はなくて
真新しいコンクリートの護岸と
緑色のネット柵へと置き換わっていた



ある溜め池




それは僕にとってはむしろ幸いなことだった
もう何も思い出さなくていい
ここが二人の思い出の地だったなんて
そんな衒った言葉で脳裏に焼き付けなくていい
ただ過去の記憶の一場面として凍り付かせておけるものなら…








ただその時と変わりもしない夏の終わりの風に吹かれながら
僕は一人で池のそばに佇んでいた。




この叙情詩における人物名、場所などの設定はすべて架空です..
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