鉄道カテゴリ

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記事作成日:2022/5/1
最終編集日:2024/1/31
ここでは、物件を撮影した画像(動画を含む)を区分する鉄道カテゴリについて記述している。
《 概要 》
鉄道カテゴリは物件を構成する10の主要カテゴリの一つである。現在のところこのカテゴリに収録されている主要なセクションは以下の通りである。
宇部線、山陰本線、山口線、山陽本線、私鉄、小野田線、新幹線、廃線、美祢線
かつて市内を通過するセクションのみサブフォルダを作成し、全体が市外にある路線は市外セクションのサブフォルダを作成していたが、収録される路線名が少ないことから市外セクションを削除して単一セクションに変更した。
【 テーマカラー 】
鉄道カテゴリのテーマカラーを茶色(maroon)と定めている。この色である。

鉄道からイメージされるレールの色に依る。
【 近接するカテゴリとセクション 】
道路や河川と同様に線の要素を持つので、双方が交差する場所において生じる。具体的には橋りょうと踏切である。現在のところ鉄道と平面交差およびオーバーパスする物件は鉄道カテゴリに含め、道路がオーバーパスする跨線橋のみ道路カテゴリに含めている。しかし道路カテゴリの画像枚数が極端に多いことと、名称が分かりづらい市道に含まれる跨線橋を特定するのが困難なこと(例えば市道大沢新浦線に含まれる大沢跨線橋など)から、跨線橋も順次鉄道カテゴリへ移動中である。

鉄道向けの変電所と現役線への給電地点については、電気カテゴリの画像枚数がそれほど多くないことから変電所に付随するものとして扱っている。こちらは鉄道カテゴリへ移動するか検討中である。

各セクションの接点となる駅(居能駅や宇部駅)は、今のところ上位の路線に含めている。ただし宇部駅は構内が広く、宇部線の接続地点が限定されることから山陽本線と宇部線に宇部駅サブフォルダを作成し収録している。
《 主要な物件と観察ポイント 》
鉄道関連の物件を記録するようになったのは、前述のように鉄道関連構造物に現れる名称から地名を解析するためであった。初期には認定市道の路線名を解析し、後に鉄道構造物にも現れることを知って記録を始めている。このため当サイトでは鉄道カテゴリの成立自体がかなり後になってからである。

したがって当サイトの記事を含めて記録されているのは鉄道関連の構造物のみで、車両はほぼ記録されていない。例えば宇部線では2010年頃までは白い電車であったが、現在は橙色の車両である。たまたま記録されているものを除いて、白い旧車両のみを意図して撮影した画像は一枚もない。これは鉄道車両自体にそれほど興味がないことに加えて、層の厚い撮り鉄と呼ばれる人々によって記録されているから重複して自分が行う必要性を感じなかったのが理由である。鉄道カテゴリに限らず写真撮影やドキュメント制作で他の人々が着手している同一内容を後追いするのは、時間と労力の無駄と考えている。

そうは言うもののこれは単に当サイトのスタンスというだけであり、実際に鉄道車両の画像を多数枚撮影していて分類するなら別途セクションを作成するのが妥当だろう。
【 引込線 】
現在のところ宇部港線、電車区、東見初専用線の3セクションに収まっている。多くの物件では既にレールもバラストも除却されている。現在も遺っている大型構造物としては、栄川に宇部線と並行して架かっている栄川橋りょうが代表格である。


コストを掛けて撤去すべき理由がない区間のみ遺されているので、今後は現地が宅地造成されるなどして変化が起きたときのみ写真が追加される。
【 宇部線 】
駅、橋りょう、踏切のサブフォルダがあり、この基本セットは他の路線も共通する。収録する物件が多く所在地が距離標により一意に定まるので、起点から順番になるように名称の前に距離標の数値を置いている。市外にあるものは更に市外サブフォルダを作って分類している。

宇部線セクションに固有のものとして、昭和30年代に施工された岩鼻上開作間の線形改良における旧区間を線形改良サブフォルダを作成して保存している。旧線区間で現在は市道など他の用途に変更されているものは含まれない。
【 山陽本線 】
基本セットの他に、何度か撮影したことがある場所を距離標+場所のサブフォルダを作成し収録している。善和ずい道もその中に含まれる。

山陽本線は近隣エリアにおいて最も歴史が古い路線であり、明治期のレンガ積み橋台などは現在もそのまま使われている。昭和初期の複線化と中期における電化に伴う構造物の改変がみられるものがある。

近隣地区では山陽小野田市千崎にある三線立体交差の遺構が顕著な物件で、山陽本線の全区間において三線となっていた唯一の場所として知られる。


山陽本線を跨ぎ越す第三の路線は既にレールが撤去されており、構造物自体も鉄筋が露出するなど傷みが激しい。上部構造が撤去される可能性もある。
【 市外 】
遠方に出かけることがないので、今のところ山陰本線、山口線、長門鉄道、美祢線のみである。山口ケーブルビジョンのロケで訪れた地が多い。

美祢線では2010年に豪雨災害で運休になったとき撮った画像が存在する。
【 小野田線 】
基本セットのみである。市内区間が短いこともあり、撮影枚数は少ない。

居能駅より厚東川東岸にかけて経路を若干変更した痕跡がみられる。厚東川西岸側には上開作駅が存在していたが、既に痕跡は窺えない。
【 新幹線 】
新幹線は在来線に比べて線路敷に接近できる場所が非常に少なく、構造物はトンネルと橋りょうに限られる。最近、門扉番号をサブフォルダに追加している。

在来線に比べて特殊車両が運行されることが多く、撮り鉄たちを惹き付けている。構造物に関しては昭和40年代の建設であるが故に、特筆すべきものは殆どない。開業から半世紀近くが経過していて随所で橋りょうの補強工事が進められている。しかし外観が大きく変化する可能性は少なく、特に記録はされていない。
【 船木鉄道 】
西宇部〜吉部間を4分して鉄道線形が確認できる場所に限定して記録している。

線路敷を現在の県道に転用された区間が多く、遺っている区間も有帆周辺では新興住宅地に変わることで路床が喪われるなど改変が進んでいる。他方、山間部で土地利用価値が低い区間は一部にバラストが遺っている。

吉部地区にある大棚隧道は原形をよく遺している構造物であり、隧道を含めた経路が散歩道となっている。


現行の道路などと重ならない区間は概ね調べられているが、一部に私有地となっている場所が未踏査である。
《 撮影の優先順位 》
鉄道はインフラ関連のうちでも成り立ちが古く、山陽本線のように明治期の構造物が現在も使われている。大きな変化が起きることが殆どなく通常は撮影の優先順位は低い。

ただしJR西日本が採算性回復の見込みがない赤字ローカル線の廃止に一歩踏み出していることから、該当路線は少しずつ重要な地点を記録している。また、古い駅舎を取り壊して簡素なものに更新していることから、建築年の古い駅舎は重点的に記録しておくべきである。

遮断器と警報機を欠く第4種踏切を逐次廃止する動きがあり、採算路線として今後も継続する山陽本線の該当踏切は記録が必要である。市内区間においては既にすべて採取済みである。
《 最近の状況 》
2023年6月末の大雨による災害で美祢線の第6厚狭川橋りょうが倒壊し押し流され、他区間でも路床が洗い流されるなど甚大な被害が生じた。この総括記事の編集追記時点でも全区間で運行停止され、復旧のメドはまったく立っていない。JR当局も厚狭川の河川改修計画を見てから対応すると明言している。[1]

遺憾ながら、美祢線は将来的に廃線となることを前提に関連構造物の撮影記録を強化している。被害を受けていない橋りょうや駅舎などは廃線後も鉄道経路を代替輸送路としたとき温存されるが、踏切は一般道との平面交差が障壁になることから確実に消滅する。踏切の名称や周辺の関連設備を重点的に撮影している。既に踏切名を示す標示板の上に「使用中止」と書かれた札が被されて名称が確認できなくなっていたり、遮断棒が除去された踏切が存在する。

2023年の災害とは無関係に、不採算路線の合理化が検討されつつある。宇部線や小野田線は最終編集時より十年先で安泰に運行されているとは考えられず、同様に少しずつ鉄道関連の構造物を映像記録している。
《 未解明の課題 》
歴史的にみて市内には多数の引き込み線が存在し、またJR宇部線そのものも経路の変更が行われている。道路との交差部はモータリゼーション隆盛に伴い古い構造が消えているため、初期状態が分からなくなっている問題が多数ある。
【 旧芝中橋 】
現在の国道190号が松山通りを離れて恩田に向かうまでの間にある立体交差は、戦前から存在していたことが判明している。旧郷土資料館横に宇部鐵道の芝中橋が据えられており、この辺りに橋りょうを要する河川が存在しないことから府県道宇部小郡線のものであると考えられている。

しかし芝中橋の親柱が現地に据えられた状態の写真はひとつも知られていない。現在は4車線の立体交差でコンクリート床板構造である。それ以前の立体交差がどのような構造であったかも全く分かっていない。最初期はレンガ積みのアーチ構造(拱橋)であったと思われるが、コンクリート床板の橋に架け替えるとき元の構造をすべて除去したようで痕跡が何も遺っていない。
【 レンガの上部構造が遺る立体交差 】
芝中橋以外に道路が上を通る立体交差がJR宇部線に数ヶ所ある。戦後建設された厚東川バイパスの平原跨線橋を除いて、その全てが遙か昔から道が存在していた。それらはレンガの上部構造の一部を遺したままコンクリート床板を上に載せる構造になっている。電化時に架線を設置するとき車両限界にかかることから、上部を削って現在の床板に変更したと考えられている。

元はレンガの拱橋であったと思われるが、当時の姿を記録した映像は一つも知られていない。
【 最初期のすべての踏切の解析 】
踏切名は原則として当該構造物が存在する小字を用いて命名される。複数存在する場合は第1、第2…のように決められる。

鉄道を挟んで明白に踏み跡が続いているような場所には、大抵が危険とか線路に入らないで下さいといった注意喚起の札が立っている。これらは元々第4種踏切があったものの管理上の問題から踏み板などを除去し廃止されたと考えられる。

通常の踏切には警報機に起点からの位置を示す距離程標が取り付けられている。第4種踏切には名称板しか存在しないので、前後にある100mの距離標補助標識から推測している。
出典および編集追記:

1.「不通続くJR山陰本線 復旧には「着工から1年半」これから具体的な検討へ 山口県|乗り物ニュース

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